クラシック声楽では、声色は低音でも高音でも同じが理想です。低音だから低音っぽい音色で歌うとか、高音だから高音っぽい声とかで歌うとかは不要です。そんなわけで、男性が高音をファルセットで歌うのは、声色が高音っぽく変わるから不可なんですね。
つまり、歌の最初から最後まで、自分のベストな声で歌う。ただ、それだけが求められているわけなのです。
でも、これって割りと難しいんですよ。私も身に覚えがありますが、低音を出す時、ついつい声を掘っちゃうんですよ、だってその方が、何となく“いい声”が出ているような気がする…んですよ。それにたまに、そんな掘った声を“イケヴォ(イケてるヴォイス)”とか言って褒める女子もいるし…だから勘違いしちゃうんです。
あれはそもそも美しくて深みのある低音ヴォイスの持ち主の美声であって、私のような甲高いテノール声でやっても、所詮モノマネだし、それっぽく聞こえても、やっぱり薄っぺらな声にしかなりません。ちょっと聞いた感じは、なんとなくイケヴォっぽくても、そもそもがそんな声ではないので、どこかに無理が生じるし、まあ、偽物はニセモノってだけの話です。
それをやるくらいなら、自分の持ち声を磨くべきなのです。
フルートを習っていた時は、まず徹底的にやったのが美音づくりであって、自分の楽器から最高に美しい音を引き出すことが、指の訓練やら音量増大などよりも優先的に、徹底的に指導されました。実際、演奏する音が美しければ、簡単で単純なメロディだって美メロに聞こえるわけです。
歌だって、同じでしょ?
これでちょっと悩んだのが、シューベルトの「Erlkonig/魔王」を歌った時です。この曲は歌曲だけれど、登場人物が4人いるわけで、それそれの人物ごとに声色を変えて歌うのが演劇的だし、効果的なのですが、クラシック声楽として歌う時は、それは原則的にしません。しなくても、作曲者であるシューベルトが、それぞれの登場人物ごとに旋律の書き方(音域とかリズムとか)を変えて作曲しているので、自然と歌いわけができるようになってはいるものの…やはり声色を変えて歌うべきではないかと悩むわけです。
結局は、美声を追求して歌うという姿勢で臨めば、役ごとに声色を使い分けて歌うなんて余裕は全くなかったわけです。
とにかく、名曲を美声で歌い上げる…というのが、クラシック声楽の大原則である以上、歌は最初から最後まで、自分の美しい声で歌うのです。それが結果として「音色は統一する」という事になるわけなのです。
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