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カット箇所を決め、独唱曲を決めました

 声楽のレッスンに行ってきました。前回のレッスンでは体調不良でレッスンを中断せざるをえなかった私でしたので、今回はきちんと体調を整え、しっかり練習をして臨みました。

 まずレッスンは、発表会の打ち合わせからです。

 カルメンの二重唱「Parle-moi de ma mere/母の便りは」のカット箇所を決めました。カットをすると、曲の長さが2/3程度になります。元々10分程度の曲ですから、カットしても7分程度はあるわけ(長えなあ…)です。まあ、カットして残念な気もしないではありませんが、一般的なオペラ劇場でも採用されている、割と普遍的なカットなので「こんなもんでしょ」という気もします。ちなみにカットされる箇所のほとんどはテノールの独唱箇所だったので、二重唱における私の負担が減る…という事実が判明しました。ちょっぴりラッキーです。

 これからきちんと譜読みをして、フランス語を覚えて、この二重唱の準備をしていきます。もう発表会まで三ヶ月程度しかないので、少し急いで準備をしないと間に合わないかもしれません。頑張れ>私。

 二重唱が決まったので、独唱曲も決めていかないといけません。発表会での持ち時間は約10分程度なので、かなり大きな曲も歌えます。で、考えた結果、シューベルトの「Erlkonig/魔王」を歌いたいと思います。…ってか、せっかく「Erlkonig/魔王」を学ぶなら、発表会で歌いたいじゃない? ってわけで、この曲を今回の発表会での独唱曲として歌う事にしました。

 となると、まだ時間に余裕があるので、3分程度の短めの曲をもう一曲イケちゃうわけなので、少し時間をかけて3曲目を探すことにしました。二重唱、歌曲…と来たので、短いオペラアリアが適当なんだよね。あるいは、声の慣らしができるような軽めの歌曲もいいかもしれません。

 とにかく、これからしばらくは、カルメンの二重唱「Parle-moi de ma mere/母の便りは」と「Erlkonig/魔王」の2曲に集中して準備していきたいと思います。

 さて、レッスン本体です。ハミング練習から始めました。

 まず、最初の音から、可能な限り高いポジションで歌い始めるように言われました。さらに、絶対に声を下方向に掘らずに歌うように言われました(これは私の悪い癖です)。感覚的には、予備動作無しで、いきなり上にジャンプするように歌うのです(心理的に難しいです)。

 次は発声練習です。とにかく腹筋を動かしていきます。ノドを開けていきます。この2つの動作を同時に行うのが肝要なのです。片方だけなら私もできますが、それを同時と言われると、なかなか難しいです。一方に注意すると、もう一方が疎かになりがちです。どちらかでも、意識せずともできる段階まで練習して身につけておかないと、2つ同時はなかなか難しいのです。

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コメント

  1. オペラ座の怪人の怪人 より:

    またも、コメントを書き込むことをお許しください。
    これも、あと半年~1年のこと、と言いますのは、
    私、大腸がんで(既にご報告済みですが)、
    余命半年~1年、と医師に、最近、言われております。
    余命半年~1年、というのは、ずいぶん幅がありますが、
    医師としても「そうとしか言えない」のだそうです。

    さて、ひとことのところで、
    「スーパーエルニーニョにして(日本は)猛暑」とお書きですが、
    教科書には「エルニーニョの時(日本は)冷夏」と書いてあります、
    って、それは原則、というか、それこそ「教科書的」な理論であって、
    現実に、今年はエルニーニョなのに「猛暑」という非標準的な年。

    小学生の頃、不景気で、物価は上昇、給料は停滞、という現実を
    「不景気」と思い込んでいたのですが、
    のちに経済学を学び、経済学の教科書に曰く、
    好景気=インフレで物価が上昇、給料も上昇、
    不景気=デフレで、物価は停滞、給料も停滞、

    教科書と現実の不一致があったら、
    どんどん教科書を修正して欲しいですな~。

    さて、先日の「親ガチャ」のお話。
    >>>能を見抜くのは、教師の仕事と言うよりも、今は親の義務
    大昔から親ガチャってあったわけで、それじゃ子供がかわいそう、

    先生という「国家資格」を持った人たちが、全ての子供を教育して、
    子供の才能を見抜くべし、という理念(理論?)があったのでしょうが、
    こちらも現実は?

    一流大学(って、どこまでという話は置いといて)の学生が、
    もっと「ガッコの先生」にならにゃいけませんが、
    こちらも現実は?
    やれやれ~。

    (/_\;) (/_\;) (/_\;)

    (-A-) (-A-) (-A-) ← ざっくぅ

    おしまい

  2. すとん より:

    オペラ座の怪人の怪人さん

     人の死亡率は100%なので、誰であっても、遅いか早いかの違いはあれども、みんな死にます。ただ、普通は余命宣告などされませんから、自分はいつまでも生きられるような気がしているだけで、私の余命もあとどれくらいなのかは分かりませんが、常識的に考えれば、そんなに長くはないでしょう。

     とは言え、余命が“半年~1年”とは、やはり短く思います。残りの時を健やかに楽しく過ごしていただけたらと、ひたすら願うばかりです。

     さて、教科書って…まあ、原則論しか書かれていないので、しばしば現実との乖離が見られるのは、どの教科においても…です。そこを埋めるために、教師がいるんだろうなあと思います。

     親ガチャの行先は“階級社会”です。そして、その階級社会を打破する力が教育なのです。昨今、親ガチャが叫ばれるようになってきたのは、教育の力が弱まってきたからなのだろうと思いますし、このままでは階級社会が明確に発生してしまいます。そして、階級社会は独裁政治へとつながっていきます。

     そう考えると、親ガチャが叫ばれる社会って、民主主義社会が壊れ始めている社会なのかもしれません。それはちょっとイヤですね。もっと教師たちに頑張ってもらいたいです。

    >一流大学(って、どこまでという話は置いといて)の学生が、もっと「ガッコの先生」にならにゃいけませんが、

     あー、それは無理だね。だって、教師って仕事はブラックだからね。おまけに、労働時間に対する給与も決して良くはないからね。ちょっと目端が効いている人間は、教師にはならないのよ。

     お医者さん並の給与をガッコの先生にも与えたら、すぐにでも力のある人材が集まると思うんだけれどねえ。少なくとも、公立の学校の先生には、公立病院のドクター並の給与にするのは、そんなに無理な話ではないと思うのだけれど…政治が動かないとダメだろうね。

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