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緋ドジョウたちが大きく成長しました

 緋ドジョウたちが大きく成長しました。後から入ってきた4匹たちは、以前からいる、頭のおかしい子よりも大きく太く長くなりました。今や、一番の古株が一番小さな個体となりました。

 しっかりエサを食べている子たちは、ちゃんと成長するんですね。

 大きく成長していると言えば、比較対象が無いだけで、金魚たちもそれなりに大きく成長しています。今や、水槽で一番大きな個体は、アカリではなく、明らかにビジョです。もう、プクプクです。

 ロナも吹き流しのように、ヒレをヒラヒラさせた美形金魚に成長しました。

 元黒出目金のラクも、もはやどこにも“黒”の要素がなくなり、真っ赤な出目金になりました。

 カスミも大きくなりましたか、他の金魚たちと比べると、その成長速度は遅めに感じられますが、そもそも黒らんちゅうなんて、飼育の難しい種類の子が、ここまで元気に育っている事だけで、儲けものでしょ?

 残りの素赤琉金のアカリですが…大半の時間を水底で横倒しになっています。元気がないわけではないのですが、その体勢が楽なんでしょうね。まるでコイキングのようです。

 そんなわけで、緋ドジョウ、金魚ともども、一部の子を除いて、元気に大きく成長しているのでした。

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コメント

  1. オペラ座の怪人の怪人 より:

    大腸がん、ステージ4を宣告され、
    余命も半年を宣告されていますが、
    抗がん剤で1年くらいは生き延びられそうな、
    オペラ座の怪人の怪人です。

    ドジョウ様が健やかにお育ちで、良かった、良かった。
    でも、以前には、先輩の「いじめ」で、体調不要→死亡、
    のドジョウ様もおられました?

    そんな(いじめ)のことを考えていたら、
    以下の、長い文章を書いてしまいましたので、
    誠に勝手ながら、書き込ませていただきます。

    私は、基本的に前向きの人間で、
    過去は振り返りまへんが、
    (だから、同窓会の類(たぐい)には一切出席しない)
    それでも、さすがに、最近は過去を振り返ります。

    中学生時代、いじめられていましたな~。
    よくあるのが(決して、私の例では、ない?)
    背が低い人が「チビ」とか、
    太った人が「デブ」とか、
    メガネをかけている人が「メガネ」とか、
    髪の薄い人が「ハゲ」とか、
    顔が明らかに悪い人は「ブス」とか、

    そういう身体的な、ひどい言い方を、周りは軽~くするんだけど、
    本人が物凄く嫌がると、面白がって、周りは猛烈に言う。
    私もそうでした、猛烈に言われました(具体的には書かないけど)。

    東京オリンピックの関係者(名前は書きまへん)が、
    大昔の「いじめ」を蒸し返されて、非難されて、
    結局、オリンピックの関係者であることを辞退(辞任)しました。

    本当にいじめはあったのか? という議論もありましたが、
    どうやら、いじめはあったらしい。

    問題は、それほどまでに重大な、いじめだったのか?
    非難ごうごうされるほどの酷い、いじめだったのか?
    関係者を辞退・辞任するほどの、いじめだったのか?
    みんな、若い頃、これくらいの、いじめをしたんじゃないのか?

    私は、いじめは絶対にいけない、絶対に許されない、と思っています。
    「いじめじゃない、ふざけだ、いじりだ。」という反論もありましょうが、
    加害者側の勝手な論法であって、被害者側が「いじめ」られたというなら、
    それは「いじめ」なのです。

    だから、私自身も、いじめに加わったことがあるから、大いに反省します。
    そして、いじめられた私の過去も変えられない、本当に嫌な思い出です。
    例の、オリンピックの関係者(だった人)も、辞退・辞任が当然だと思います。

    (-A-) (-A-) (-A-) ← ざっくぅ

    おしまい

  2. すとん より:

    オペラ座の怪人の怪人さん

     抗がん剤が効いているようで、私的にはうれしくて安心しました。でも、痛かったり苦しかったりするのははつらいですから、痛かったり苦しかったりしたら、我慢せずにお医者さんに相談するようにしてください。

     私もいじめは嫌いです。しかし、いじめは社会性の生き物にとって、自分たちの社会の安定と安心のために必要な異物排除という意味で、必要悪だとも思ってます。とは言え、排除される身には辛い話なのですが。

     そういう意味では、自分とは異質な連中とは付き合わないというのが、その予防的処置として不可欠なのですが、学校とか会社とか、ある意味、強制的に参加させられ、逃げ出せない集団においては、どうしても発生せざるをえない事案だとも思ってます。

     事が大きくなる前に逃げ出すのが、生き物としては当然の行動なのですが、それが敵わないと、本当につらいと思います。

     だから人間は教育の力で、異質な者も受け入れる事が望ましい事だと刷り込みますが、それは本能に逆らうことなので、なかなか達成しきれないのです。

     必要悪は、必要であっても、悪であり、あってはならない事なのです。そこが難しい所です。

     私自身は、他人をいじめる事は、たぶん、してこなかったと思います。まあ、自罰傾向があるので、たいていの事は「自分の力不足」が原因であると考えてきたので、あまり他人を責める事をしてきませんでしたし、変わった人間、つまり異物は結構好きなので、排斥するなんて、無い無い。

     自分に向けられたいじめや悪意に対しては、常に暴力で対抗してきました。悪意を向ける相手には、肉体的な恐怖を与える事で対抗していました。無論、子どもの頃の話です。青年期以降は、暴力を控え、そのような場には近づかず、そんな人たちとは付き合わないようにしてきましたが、それでも「いざとなれば、ぶん殴れば良し」と思っていたので、どんな相手であっても、余裕を持って付き合えたのだと思ってます。

     いつでも暴力を使えるという安心感は、精神的な余裕を生み出すものです。

     発想が野蛮で物騒だという自覚はありますが、私は基本的に、そういう人間なのです。

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