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昔の私の話

 昔々のその昔、私は複数の合唱団に所属していました。週末ごとに合唱の練習等をして、練習終わりに声が枯れていたり、疲労感を感じていると、意味もなく満足し、充実感を得ていました。「いっぱい歌ったなあ…」って感じだったんだと思います。心地よい疲労感に酔っていたのかもしれませんでした。
 あの頃の私は考え方が脳筋で、疲労感がすべてでした。疲れる事がやりきった証でした。変な満足感でしょ? でも、当時はそれが楽しかったんです。歌は下手だったけれど、声が枯れるくらいたくさん歌えて、それなりに満足だったし、幸せでした。
 そういう歌の楽しさもあるわけです。
 大勢の人と一緒に大声を出して、声を枯らせて、ワイワイ言い合って…ああ、楽しい。ほんと、楽しかったんです。
 歌に対する向上心が無かったわけじゃないけれど、どうやれば歌がうまくなるかなんて知らなかったし、個人的に教えてくれる人もいなかったし、とにかく大声を出すことでストレス発散をしていたのだと思います。歌って、ただ歌っているだけじゃ、絶対に上達しないからね。どんな物事であっても、上達するには導き手が必要なわけだけれど、合唱団にそれを望むのは…魚屋でスマホを買おうとするくらいに間違っているわけで、じゃあどうすればいいのかって話になってくるわけです。
 歌の技術的な事は、当時はまだネットも無かったし、専ら書籍(それも私が持っていた専門書はどれもこれも古いんです)頼みだけれど、実際の話、いくら専門書を読みこんでも、歌はうまくならないからなあ(笑)。そんなに歌って甘くないんだよね。ルールブックをいくら読み込んでも三割打者になれないのと同じです。
 今でもそうだけれど、特にあの頃の私は“下手の横好き”だし“旦那の義太夫”だったからなあ…。あ、それは今もそうか(涙)。
 歌って…ほんと、独学は難しいと思います。自分自身が楽器だから、自分を客観視する事が難しいんですよね。
 当時は自分も若く、周囲の人たちも優しかったし、合唱団も居心地が良かったのだけれど、自分的には歌の上達を強く強く願っていたわけで、そこで一念発起して合唱団を辞めて、個人レッスンに切り替えたわけだけれど、個人レッスンなら必ず上達するってわけでもないし、先生との相性とかもあるし、当時は独唱ではなく合唱がしたかったわけだし、先生は先生で教えることにあまり熱心ではなかったし…そんなこんなでやがて歌うことが嫌になってしまって歌そのものを辞めてしまったんだよなあ。
 今思えば、あそこで歌を辞めずにいたら、今頃はもっと…なんて事を考えないでもないのですが、昔を悔やんでも仕方ないんだよな。
 そんなまとまりのない、昔話でした。

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コメント

  1. おぷー より:

    合唱で声が枯れる歌い方は全く間違ってますよ。
    独唱でも舞台を降りた後に声が枯れたり、潰れたりしているのは、発声を全く間違えてます。
    喉の中の構造からちゃんと学んだ方が良いのですけど、そこを教えられる先生はかなり少ないと思います。

  2. すとん より:

    おぷーさん
     そうなんですよ。合唱で声が枯れるなんて、全く間違ってます。でも、そんな事を歌初心者は知らないし、教えてくれる人もいないし、一生懸命やっている結果の声枯れなんだから、むしろ良いんだ…程度に考えてました。ほんと「何事にも先達はあらまほしきことなり」です。
     悲しいけれど、これが日本の合唱界の実態なんだから、仕方ないです。良い指導者に恵まれた団なんて、ほんとに恵まれているんですよん。

  3. おぷー より:

    高校の合唱コンクール上位のグループを聴いていても、音はあっているけど、喉が開いてない歌い方をしている所がたまにあります。
    合唱でも、喉を開けて歌わないと苦しいですよ。
    日本語の所為でそうなるのかな?とたまに思います。

  4. すとん より:

    おぷーさん
     学校の合唱部の顧問とか指導者って人は、吹奏楽部と違って、音大卒の音楽教師が担当する事が多いのですが、残念な事に、その出身学科は、音楽教育学科かピアノ科が大半なんです。声楽科を卒業して音楽教師になる方は少数だったりします。
     なので、学校合唱も声楽的なアンサンブルの観点ではなく、器楽的なアンサンブルの観点で指導されやすいので、発声よりも音程に重点が置かれてしまうのです。
    >日本語の所為でそうなるのかな?とたまに思います。
     それは違うと思います。演劇関係の発声は、きちんとノドを開いた滑舌の良い発声をしています。そうしないと、舞台でのセリフが観客に聞こえないからです。日本の合唱界には(プロ・アマ問わず)日本語の発声に無頓着な指導者が多いだけ…なんだと思います。
     蛇足ですが、学校の吹奏楽部の顧問や指導者は、音大ではなく、一般大学を卒業された音楽以外を担当されている先生がなる事が実に多いんですよ。当然、音楽的には素人ですが、多くはご自身が元吹奏楽部だったりするようです。面白いですよね。

  5. おぷー より:

    私の高校の合唱部顧問の先生は、国立音大の声楽出身の先生でしたので、発声はわりとちゃんとしていたと思います。ラッキーでした。
    演劇の発声と歌の発声は別モンですよ。
    ごっちゃにしてはいけません。

  6. すとん より:

    おぷーさん
     これは言葉が足りなくて申し訳なかったです。クラシック声楽とミュージカル発声はもちろん別なのですが、要は“意識”の問題だと言いたかったのです。普段の話し言葉の延長で歌ったりしゃべったりするのか、否かって事です。
     もちろん指導者の姿勢によるのですが、学校合唱にかぎらず、日本の合唱って、発声の正しさよりも、団体としての音色を揃える事に重点が置かれているかもしれません。実際、声の色が揃っていて、まるで一人の人間が歌っているように聞こえる合唱の方が、群衆の歌として歌っている合唱よりも、コンクール等では良い点が取れるのですから。学校の合唱は、運動部の試合のように、勝ち負けにこだわっているところが多く(マジですよ)。正しい歌い方よりも、勝てる歌い方を重視しているところが多いです。学校として勝つためなら、生徒は3年間で入れ替わりますので(残念な言い方ですが)潰れてもかまいやしないのです。

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