ブログのコメントが書けるなら、ブログの記事本体も書きたくなってくるのが人間というものです。
私の場合、記事は、ある程度書き溜めて、冷却期間を置いてから推敲し、それからアップしています。で、その書き溜め原稿を、以前は書斎のパソコンにローカルで保存していましたか、ここ数年はGoogleドライブにクラウド保存をするようにしています。
幸いな事にJotterPadは、Googleドライブと連携できますので、そこに置いてある書き溜めた記事に、Fireタブレットからアクセスして編集するのが、自由自在なのです。これは便利です。
ちなみに、Googleドライブの他に、Dropbox や OneDrive も使えるようです。BOX や Amazon Cloud Drive を始め、その他のクラウドサービスはダメみたいです。BOXが使えると、私的には嬉しいのだけれどなあ。
合法的にクラウドを使いたいなら、アマゾンからダウンロードできる OneDrive がオススメなんだろうと思います。例によって、Fireタブレットで 純正のGoogleドライブ を使うのはグレーな感じです。
とにかく、Fireタブレットで、Google系のアプリは、建前上、使用不可なのですよ。困ったもんです。
ネットを見ると、JotterPadのクラウド連携は、サブスクなので有料だよと書いてあるけれど、私は1円も支払わずに使っている…ような気がする。なぜだろ? 後でまとめて、高額請求が来たら、ちょっと怖いなあ(汗)。
ともかく、Fireタブレットと外付キーボードとマウスがあれば、出先でもブログの更新ができるという事が分かりました。実際にやるかどうかは別の話として、できるという選択肢を入手した事は、うれしいです。iPad時代には感じられなかったワクワクですよ。
Fireタブレットを導入した、初期の感想はこんな感じです。これからドンドン使い倒していくつもりです。また、面白い使用方法を見つけたら、アップするかもしれません…需要はないかもしれませんが(笑)。
それにしても、安いは正義だよね。Fireタブレットの安さには驚きました。iPadのバッテリー交換代で新品が買えるんだもの。調子が悪くなってきたら、気軽に最新型の新品と交換できるし、複数台持つ事だって簡単な話です。
もちろんマイナス条件もあります。安っぽいし、認証は未だに数字入力だし、OSは個性的だし、結局、トータルの性能ではiPadとは勝負にはならないけれど、私のような使い道(キンドルとネットサーフィン、たまにブログ書き)の人にとっては、このタブレットで必要十分なんだよね。
iPadは今でも好きだし、キンドル以外の用事では、今でも使っているけれど、今では完全にメインタブレットはFireタブレットになってしまいました。
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コメント
すとん様、昨日の、私の投稿に対し、ご返信ありがとうございます、
ということを、昨日の続きではなく、本日のコメントに書くこと、
お許しください。
今回のコロナ禍&オリンピックに関して、
「コロナ禍以前に、真夏のオリンピックに反対」が、
私の大前提だったのですが、
すとん様の、もっと奥の深い大々前提が、
死生観ともいうべきもの、感嘆しました
(決して、嫌み・皮肉ではありません)。
死にたくない、と思うのは当然ですが、
生きたい、できるなら豊かに生きたい、と思うのも当然で、
若者の、豊かな「生」のためには、
老人は次世代に道を譲るべし、みたいな感じでしょうか?
最近のゴジラシリーズ(をご覧になっているか分かりません)が、
傍若無人な人類に対する地球様のお怒りが、ゴジラを派遣した、
みたいな世界観で、製作されている(ような気がする)のですが、
コロナも同様で、傍若無人な人類に対する、
地球様からの警鐘、なのかもしれませんね。
ゴチャゴチャ書きました。
お許しくださいませ。
以上/オペラ座の怪人の怪人
オペラ座の怪人の怪人さん
>若者の、豊かな「生」のためには、老人は次世代に道を譲るべし、みたいな感じでしょうか?
まあ、そんなところです。別に老人なんて死んでしまえとは思ってません。老人は、老人なりに、豊かな余生を過ごして欲しいとは思ってますし、自分も豊かな余生を過ごしたいと思ってますが、誰かの生活を犠牲にして、誰かの生活を優先しなければならないのならば、まずは子どもの未来を最優先に、その次に、その子たちを育てる親世代の人々の今の生活を優先しないといけないと思ってます。そんで、その次は今の社会の枠組みの維持でしょう。老人の余生は、その次あたりでいいんです。優先順位低くていいんです。
>コロナも同様で、傍若無人な人類に対する、地球様からの警鐘、なのかもしれませんね。
ってか、新型コロナは平和の代償とか代価だと私は思ってます。
人間には天敵がいません。人間の天敵は人間であって、人間の数が増えると、戦争等のような暴力によって、互いに戦い、定期的にその数を減らして、適正と思われる数に調整されてきました。
ところが昨今、平和な時代が続き、小競り合い程度の戦争はあっても、世界大戦のような大規模戦争が起こらず、人間の数が減らなくなりました。ですから、人間の数を減らすために、戦争の代わりに疫病が発生して、適正数になるように調整が行われている最中なのだろうなあと思うわけです。
上記の文章の主語は“地球様”であっても“神様”であっても“自然の摂理”でも“この世の法則”でも何でもいいです。とにかく人類よりも上位の存在の意思のようなものが介在しているんだと思います。
歴史を紐解けば、平和な時代が続き、人間が増えすぎると、戦争が起こったり、大災害が起こったり、飢饉が発生したり、疫病が発生したりして、定期的に人間は間引かれてきました。
だから、今回の新型コロナも、先の世界大戦後の長く続いた平和な時代を享受した対価として、与えられたのだと思ってます。お支払いは、もちろん、人間の命です。
だから、コロナ禍を収めるためにも、誰かの命で贖わなければいけないと思ってます。そこで差し出すべきは、人生を成し終えた余生に生きる人々の命であって、老人たちがコロナに罹って死んでしまうのなら、それも致し方なしと思っているのです。
少なくとも、働き盛りの人が失業して自殺したり、会社を投げ出さざるをえなくて借金まみれになって保険金目当てで死ななければいけなかったり、未来が見えなくて若い人たちが自殺をする必要はないのだと思うのです。そうならないためにも経済はフル回転で回さないといけないわけです。