声楽のレッスンの続きです。
フィッシャー=ディースカウの歌唱をお手本として学んでいく事にはしましたが、それとは別に、あれこれテクニック的な注意も受けました。
まずは子音と母音の処理について。子音も母音も両方とも、イタリア語の曲を歌う時よりも、もっとエネルギッシュに処理をしていくようにしましょう。子音も今以上に立てるように歌い、母音もイタリア語以上にレガートにつなげて歌っていきましょう。
ドイツ語の曲と言うと、ゴツゴツと歌っていくようなイメージがありますが、ゴツゴツではいけません。だからと言って、なめらかになりすぎてはいけません。難しいですね。そこが上手にできるようになったら、ドイツ語のさばき方にも慣れてきたって言えるんでしょう。
さて、次の曲は、ドニゼッティ作曲「ドン・パスクワーレ」のテノールアリア「Sogno soave e casto/青春の甘く清らかな夢よ」です。こっちはイタリア歌曲なので、思いっきりのびのびと歌わせてもらいました。
声を握り過ぎていると言われました。そういう歌い方も当然あるのだけれど、声を握って歌い続けるのは、かなりハードだし、声にもノドにも負担が掛かっていくので、なるべく声を離すように歌った方が楽だよと言われました。言い方はちょっと良くないのですが、もっと“歌い飛ばす感じ”で歌っていくべきなんだそうです。(だからと言って、本当に歌い飛ばしてはいけないのです)
声をもっと離すのはもちろんだけれど、ほんの少しの休符であっても、常に声の立て直しを考えていくようにするべきだし、実際、曲の途中で何度も声をリセットして歌わないとダメなんだそうです。特にこの曲のように、音程の平均値が高い曲は、リセットしていかないと、歌っているうちに、やがてノドが締まってしまうのです。それは怖いですね。
あと、声は無駄に張らない事。声は張らなくても十分聞こえるんだから、張らない事。かっこよく歌おうとしない事。
声のチェンジについて注意されました。実は私、声のチェンジについては全く意識していません。無意識にあっちこっちでチェンジをしているようなのですが、先生から「必然性のあるチェンジは良いけれど、自分が楽をするためのチェンジはダメです」と言われました。
クラシック声楽の理想としては、声をチェンジする事なく、どこまでも同じ音色で歌っていくわけですが、それは無理なので、歌手はメロディの中で意図的に声をチェンジして歌唱効果を上げていく(らしい)のです。まあ、私はまだまだそんな段階の歌手ではないので、なるべく声が変わらないように心がけて歌っているのですが、どうも無意識で声をチェンジして歌っているようなのです。
数カ所、声がチェンジしている箇所があるようなのです。で、効果を上げているチェンジ箇所に関しては、そのまま歌うのが良いのですが、どうも楽をするためにチェンジをしているのではないかと思われる箇所も数箇所あるそうなのです。
言われてみれば、確かに数カ所で…楽をするため?に、声の出し方を変えているかもしれません。ただ、私的には“楽をするため”ではなく“確実に音程を掴むため”に発声を工夫しているんだけれどなあ…。それを第三者的には楽をしているように見えるのかな?
とにかく、なるべく声のチェンジはコントロールをして、意識的に効果的に行うようにしていきたいと思うし、楽をするために…と思われている箇所については、チェンジせずに歌えるように頑張っていきたいと思います。
で、ここからは雑談なんだけれど、先日、知り合いから歌っている時の私の声がまるで“駅の構内アナウンスの声のようだ”と言われました。これって褒められているのかな? Y先生にも相談してみたんだけれど、先生もちょっと分からなかったようです。
私も先生も、駅のアナウンスと言えば、昔風の鼻にかかった特別な声をイメージしたので、私の声が鼻にかかりすぎた鼻声になって歌っていると言われた(つまり、悪声ですね)のではないかと、ちょっぴりしょげたのですが、妻が言うには「最近の駅のアナウンスは、昔と違って美声だよね。褒められたんじゃないの?」と言います。
さて、どっちだろ?
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