フルートのレッスンに行ってきました。例によって、久しぶりです。いやあ、今の時期は、ブログもなかなか書けないくらいに忙しいわけで、気持ちはあっても、フルートのレッスンには行けない時期なのです。
それでもなんとかかんとか頑張ってレッスンに行ってきたわけです。
最初のロングトーンは…まあなんとかなりました。でも、エルステユーブンゲン(23番と24番)はダメダメ。プチエチュード(19番)は…ダメどころか、むしろ下手になっていました。いやあ、残念。40リトルピーセズ(13番と14番)は…ほぼ初見でしたが、初見が通じるほど簡単ではなかったです。
いやあ、ダメすぎて、ブログに書けるような事はありませんでした。残念すぎます。
やっぱり練習はサボり過ぎちゃいけません。でも、まだ当分は練習できない感じが続きそうです。この遅れは…夏のフルート合宿で取り戻すしかないか!
今回の雑談は“シューマンの音楽はキチ○イの音楽だ”と言う話(シューマンさん及び、そのファンの皆さん、ごめんなさい)。シューマンの音楽って、メロディは先が読めないし、和音も内声が変な事になっているし、健全な精神の持ち主が書いた作品とは思えないという点について、私と先生の意見が一致しました。実際、シューマンの音楽って、美しいけれど、変だよね。まあ、変なところが癖になる…というか、彼の魅力なんだよね。
ちなみに、シューマンの真逆にいそうなのが…ヨハン・シュトラウスね。健全を絵に描いたような音楽を作ってます。そのほかにもワルツ系の作曲家たちは、割と健全だと思います。当時のウィーンの聴衆達が、彼らの健全さを好んでいたんだと思います。
ですから、モーツァルトの人柄は変態だけれど、彼の音楽が割と健康っぽいのも、ウィーンという土地柄のせいなのかもしれません。おそらく、健康な音楽を書かないと、ウィーンの人たちに受けなかったんだろうなあと邪推したりします(笑)。
記事が短くて、ごめんね。今日はこれでお終い。
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コメント
こんばんは。
> “シューマンの音楽はキチ○イの音楽だ”
某アマオケでシューマンの交響曲を練習していたときも指揮者は愛をこめて同じ言葉を叫んでいました。
交響曲もいいのでですがこちらはop.1からop.23までのピアノ作品を書いた頃がベストです。
http://www.suigyu.com/hondana/schumann02.html
一八四〇年はシューマンの転機だった。二元的分裂は一つに収斂する。禁止された恋から結婚へ、批評活動をすてて作曲だけに。フロレスタンとオイゼビウスは去った。音楽もめまぐるしい気分の変化をつづけながら幻想をくりひろげるのではなく、一つの気分にとらわれた単調なものに変っていく。
シューマンの楽曲一覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%A5%BD%E6%9B%B2%E4%B8%80%E8%A6%A7
op.1のアベッグ変奏曲はドッペルドミナントがあるらしいのですが、わかっていません。和声はマジ何とかしたいところです。
op.7のトッカータは指使いがクロスしていてcrazyです。リサイタルでこの曲を聴いたのは1回しかありません。
Cziffra plays Schumann Toccata Op.7
https://www.youtube.com/watch?v=NncHj0BKCps
失礼しました。
tetsuさん
私はシューマンの音楽に偏執的なものを感じます。なんか、突き詰めていく感じですね。でも、適当なところで満足してしまうのか、突き詰めていっても、割とすぐに煮詰まっていく感じもします。熱しやすく冷めやすいのかな…?とも思います。
いつも尖っていて、いつも少しだけ外してくる…そんな感じがします。