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LFJ その7 カウンターテナー

 さて、レモネードはどこで飲んだのか言うと、丸の内仲通りです。『ダヴィデ王』を見る前に、ヴァイオリンの路上ライブを見たわけですが、その会場近くの屋台でレモネードを売っていたのを見ていたので、そこで買い、道路に置かれているテーブルに座って、レモネードを飲んでいたわけです。

 ああ、乾いたノドには、レモネードって…美味しいんだよね。

 なぜ、そんな所にいたのか…と言うと、実は次のコンサートがここで行われるらしいのです。

カウンターテナー

 次のコンサートは、カウンターテナーの彌勒忠史氏のコンサートで、その会場は、ネットにもオフィシャルパンフレットにも“丸の内仲通り・新東京ビル前”とあり、さっき見たNaorchestraさんと同じ場所なのです。Naorchestraさんは路上ライブで、P.A.を入れてコンサートをしていたけれど、カウンターテナーもマイクを使うのかな? まさか? でも反響板も天井もない道路で生歌はちょっとつらすぎるだろうなあ…などと心配しつつ、休憩を兼ねて、レモネードを飲んでいたわけです。

 やがて妻が、演奏会場はここじゃないんじゃないか、間違っているんじゃないかって言い出しました。確かに時間が迫ってきたのに、周囲には何の動きもないわけです。客すら集まっていないのです。オフィシャルプログラムにはここでやると記載されているけれど、実は変更になっていて、知らないのは私たちだけなのかもしれない…もしかするとそんな事があるのかもしれない…と、そんな考えが私の頭をよぎりました。でもね…。

 ここじゃないかもしれない、別の場所かもしれない…と、妻が私のそばで散々言うんだけれど、私はレモネードを飲んでいるわけです。まさに至福のひととき。もしも不安や不審点があるなら、もういい年したオトナなんだから、私に頼らずに、自分で解決すればいいのに…と思っていたけれど、そばでずっと文句を言われ続けていると、そうも言ってられません。

 やがて、ゆっくりレモネードも飲んでいられない気分になり、やむをえず、私が一人で周囲の様子を確認に行ったわけです。で、ほんの数歩歩いたところで、すぐにそばの新東京ビルに到着したわけです(そりゃあそうです、このビルの前が会場だと告知されていたのですから)。そのビル内の様子が何やら慌ただしいので、そばにいた係員らしき人に尋ねたら、このビルのエントランスで、カウンターテナーのコンサートをすると言うじゃありませんか。ありゃ、会場変更だよ。

 そこで、すぐ目と鼻の先の距離だったけれど、だけど大声を出すわけにもいかないので、さっそく妻に電話をして呼び出したわけです。

 なんかなー、やれやれって感じです。

 彌勒忠史(カウンターテナー),佐藤亜紀子(リュート)

 1)作者未詳:恋する人(バンドナード)
 2)フレスコバルディ:そよ風が吹けば(フィリア)
 3)モンテヴェルディ:ニンファの嘆き(パッサカリア)
 4)リュートソロ(カナリオ)
 5)メールラ:愛のチェトラにのせて(チャコーナ)
 6)サンチェス:簒奪者にして暴君(パッサカリア)
 7)作者未詳:恋する人(バンドナード)

 カウンターテナーの生歌をじっくり聴くのは、久しぶり。カウンターテナーってのは、なかなか出会えない、珍獣のようなものですね。

 今回の曲はすべて舞曲で、当時の大ヒットナンバーだったそうです。その“当時”と言うのは、日本の歴史で言うと、安土桃山時代に相当するそうです。いやあ、古い楽曲ですね。

 カウンターテナーの歌声は、男性による裏声歌唱なんだけれど、単なる裏声歌唱とはだいぶ違います。発声的には裏声なんだろうけれど、かなり力強い声で、これはこれで特別な声だと思いました。音域的にはメゾソプラノぐらいだろうけれど、女性のメゾよりも明るい声で、メゾよりも力強い声です。こう書くと、メゾの人が気を悪くするだろうけれど、メゾの上位互換のような声です。

 バロックオペラと呼ばれる音楽ジャンルがあります。読んで字のごとく、バロックと呼ばれる時代に盛んに上演されたオペラです。それらのオペラで主役を演じていたのは、今はもう存在しない、カストラートと呼ばれる歌手たちでした。カストラートとは、去勢手術を施した男性歌手で、少年の声帯を持った成人男性の歌手です。

 今は人道的な問題もあって、カストラートは公には存在しない事になっています。(マイケル・ジャクソンが少年期にホルモン治療を受けて、疑似カストラートになったという都市伝説がありますが…今となっては真偽の程は確かめられません)

 カストラートが存在しないので、現在ではこれらのバロックオペラを上演する際、かつてカストラートが歌っていた役(当然、男性の役です)を、いわゆる“ズボン役”と呼ばれる女性歌手が演じる事が多いのだけれど、音域は正しくても、やはりどうしても声質は女声的にならざるをえないし、外見だって男性に見えることはまずありません。宝塚歌劇のように、出演者がすべて女性ならば、男性のメイクをして男装すれば、男性に見えない事もないわけではありませんが、バロックオペラには、普通に男性歌手も登場するので、いくら頑張っても、ズボン役の女性歌手は、やはり女性にしか見えないのです。

 たまに、カストラートの役をカウンターテナーが演じる事があります。音域的には正しくても、やはり本物のカストラートとは発声法が違うわけですから声は違います。それでも女性歌手とは比べれば、声も容姿も男性的なわけであり、カストラートの役を彼らカウンターテナーが演じれば、演技的にも声的にもだいぶ違うなあと思いました。

 バロックオペラの、元々はカストラートのために書かれた役は、やはり女性であるメゾが歌うよりも、多少声が違っても、男性であるカウンターテナーが歌った方が演劇的には良いかなって思いました。もちろん、本当はカストラートが歌ってくれるのが一番なんですが…カストラートは現存しないのですから仕方ありません。声も容姿も異なる女性歌手よりは、声は異なっていても容姿がOKな男性歌手(カウンターテナー)の方が(言葉は悪いのですが)まだマシかなって思います。

 ただ、メゾソプラノのズボン役と呼ばれる人たちは、それこそ履いて捨てるほどたくさんいるわけだし、それだけたくさんいれば、上手な歌手もたくさんいます。一方、カウンターテナーは珍獣なわけで、めったにいませんし、オペラを歌えるほどの技量の持ち主となると、さらに少なくなるわけで、バロックオペラのカストラート役をすべてカウンターテナーでカバーする事は、おそらく無理だから、メゾがズボン役として活躍しているのでしょう。

 まあ、そう考えると、カストラート役をズボン役が歌っても、仕方ないかなって思います。

 さて、コンサートの話に戻ります。

 伴奏をしていたリュートの音は、ほぼクラシックギターと同じでした。奏法もリュートとギターでは、かなり共通しているようです。ただ、楽器の構造や見かけは若干違います。音量も相当少なめで…そりゃあリュートは滅んでギターに取って代わられてしまったのも仕方ないなあって思いました。

 1)~6)の音楽そのものは、いかにもバロックな感じで、親しみはないですが、面白かったです。

 実は、最後の7)はアンコール曲で、1)と同じ曲です。1)が歌手が一人で歌ったのに対して、7)は歌の一部(お囃子的な部分)を観客が歌うという形式でした。さすがに、声楽のコンサートを聞きに来ている人たちって、結構歌える人が多くて、この観客参加型の曲が、実にばっちり決まっていたのには、ちょっと驚いた私でした。

 続きはまた明日

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