ピアノは、子どもの習い事としては、代表的な存在だと思います。水泳、英語・英会話に続いての、堂々第3位にランキングされる(こちらのサイトを参照しました)くらい、ポピュラーな習い事だと思いますし、実際に多くの子どもたちが、街のピアノ教室でピアノを学んでいると思います。
4位や5位の体操や学習塾(つまり勉強だね)まで含めて考えても、ピアノって、ちょっと異質な存在だと思います。
ピアノって、異様にハードルが高くないですか?
水泳にせよ、英会話にせよ、体操にせよ、達成感を得るというか、ひとまずのゴールにたどり着くと言うか、ざっくり言えば「泳げるようになった!」とか「(その年令なりに)英語が話せるようになった!」とか「体操得意になった!」と言えるまでにかかる期間と、「ピアノが弾けるようになりました!」と言えるようになるまでの期間が違いすぎるような気がするのです。
一例を上げれば、水泳なら、子どもが息継ぎを上手にして25mを泳げるようになったら、ひとまず「ボク、泳げるようになったよ!」と本人も思うし、親だって喜べるわけです。
で、この25m泳げるようになる期間を考えるなら、個人差はあるにせよ、小学生くらいならば、早い子で数日から1~2週間ぐらい、普通の子で1ヶ月ぐらい、遅くとも3ヶ月も水泳を習っていれば、大抵の子は25m泳げるようになるようです。3ヶ月を過ぎてもまだ25m泳げるようにならない子は…泳げないまま水泳を辞めてしまうか、数年間頑張ってやっと泳げるようになるようです。そう、たった25mであっても、泳げるようになるまでに数年かかってしまうわけです。
つまり、水泳ならば、3ヶ月とか半年習えば、その子が泳ぎに向いているかどうかが分かるわけで、そこから先は、本人の意思や家庭の経済事情で決めればいいのです。場合によっては、方向転換だってありです。人間、泳げなくても死にません。才能、あるいは適性が無いのに、時間とエネルギーを費やして、何も得られないよりは、その子の才能が発揮できる別分野のモノに時間とお金を使えばいいのです。
これは水泳に限らず、英会話だって、体操だって、3ヶ月とか半年とか習えば、だいたいその子の適性は分かるものです。適性が無いのなら、もっとその子を活かせる道を親子で探すべきです。
たかが3ヶ月と考えてしまうでしょう。たった3ヶ月で何が分かるんだってね。
確かに、オトナにとっての3ヶ月とか半年なんてのは、ごく短い時間ですが、子どもにとっての3ヶ月とか半年って、実はかなり長い年月なんですよ。
例えば、8歳の子(小学校3年生)にとっての3ヶ月と言うのは、人生の1/32の期間にあたるわけです。これを50歳のオトナの人生に換算すれば、約19ヶ月…1年半強の時間に相当するわけです。1年半って、そんなに短い期間じゃないし、適性を判断するには十分な時間でしょ?
ここで問題なのは、水泳や英会話や体操なら3ヶ月とかせいぜい半年とかで、その子の適性が判断できるとしても、ピアノは3ヶ月とか半年とかで適性が分かるものなのか…って話です。
ピアノって、ある程度弾けるようになるまで…、つまり、本人も親も「ピアノ? はい、弾けますよ」と即答できるようになるまで…って、たぶん時間がかかるんじゃないかな? 小学校入学と同時にピアノを始めて「部活が忙しい」とか「勉強が大変」などの理由で中学に入る頃にピアノを辞める子が多いと聞きますが、この子たちが、ピアノを弾けるようになってから辞めたのか?…と言えば、かなり厳しいんじゃないかな? 6歳から始めて12歳までのピアノを習っていたと言う事は、12歳の子にとっては、人生の半分の時間を費やしてピアノを学んでいたわけだけれど、人生の半分を捧げたにも関わらず、ピアノから、それにふさわしいだけの見返りを受け取ったのかと言えば…バッチリピアノが弾けるようになった子もいるだろうけれど、いやいや全然弾けるようにはならなかった子だって、たくさんいるわけで、そんな子にとっては、ピアノに費やした時間を、もっと適性のある別の事に使って、本来持っている才能を開花するチャンスが逃してしまったとしたら、それは不幸でしかないわけです。
ピアノは習得に時間がかかります。ほんと、ピアノはある程度弾けるようになるまで時間がかかる、ある意味、厄介な芸事です。その子に才能や向上心があるなら、多少時間がかかろうが、最終的にはモノにするでしょうから良いとしても、そうでないのなら…例えば、明らかに適性も才能もないのに、親の見栄のためとか、子守代わりにピアノをやらせているのなら、なるべく早めに辞めさせた方が良いと思います。特に子どもがピアノに大した興味もなく、ただ惰性で習っているだけなら、今すぐにでもピアノは辞めさせた方が良いと思います。
習い事なら他にもたくさんあるわけだし、ピアノ以外に、その子の適性や興味にあったモノがあるはずです。
ピアノを長い間習って、でも結局ロクに弾けるようにならなかった子なんて、掃いて捨てるほどいます。
実はウチの息子君がそう。小学校入学から中学校卒業まで9年間、まあ、そこそこ真面目にピアノをやったけれど、全く弾けるようにはなりませんでした。小学生の頃は、音楽大学に行きたいみたいな事を言ってた子だし、歌は人並み以上に歌えるから、音楽の才能が無いわけでは無いと思うのだけれど、ピアノの才能が無かったんだと思います。
しかし、15歳でピアノを辞めるまで、人生の半分以上の時間をかけてピアノを彼なりに頑張ったわけだけれど、結局、ピアノは弾けるようになりませんでしたし、本人に「お前、ピアノ弾けるだろ?」って尋ねると「弾けるわけないじゃん!」と強く否定するほど、何の達成感もピアノからは得られなかったわけです。
ほんと、息子にとって、ピアノを習ったていた事は、人生の浪費だったかもしれないし、親のフトコロ的には明らかに大きな損失でした。
まあ、親としては、息子を見ていて、3~4年生あたりで「こいつ、ピアノの才能、無いな」と見切ったのですが、本人がぜひピアノを習い続けたいと言い張ったので、中学卒業までヤラせたのだけれど、やっぱりモノになりませんでした。才能がないヤツは、いくら頑張ってもモノにはならないね。
まあつまり、私が息子のピアノの才能を見限るまで、3~4年かかったというわけです。息子は水泳も習っていたし、こっちも全然才能が無かったのだけれど、まあ半年ほどで見限って、1年習って、やっと25m泳げるようになった所で辞めてもらったけれどね。ほんと、ピアノは水泳と違って、習得にも見限るに時間がかかる厄介な芸事だと思います。
だから「ああ、こりゃダメだ」と思ったら、できるだけ早期にピアノを辞めさせて、次に駒を進めるのが、子どものためだと私は思います。ウチの場合、ピアノを切り捨てるのに、ちょっと時間がかかってしまって、それで次に進めさせてあげられなかったのが、親として心残りです。他にも試すべき事は色々あったのにね。まあ、救いは、歌の才能を見つけてあげられた事…かな。歌は今でも歌ってますし、コンスタントに舞台もやってます。プロにはなって欲しくないけれど、人生の彩りとして歌えることは彼にとって幸せだろうと思います。
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コメント
すとんさん、こんにちは。
う~ん、才能とか適正って、私にはなかなか見つかりませんでした。
私は非常に足が遅く、体育で非常に苦労しました。
親は無理に朝走らせようとしたりしたこともありましたが、全然良くなりません。
ところが、初めての彼氏が、陸上大会で優勝している人で、「その引きずるような歩き方だったら、足は速くならないだろう。」といきなり指摘していたので、目からウロコでした。
やり方に問題があったのに、ただ努力すれば直る、努力してもダメなのは適性がない、ということだけでやってきたそれまでの人生が勿体ないということに気付きました。
幼少時に、優しくて丁寧なパーソナルトレーナーについていたら、また人生変わっていたかも。
本日のお題「ピアノはなるべく早めに辞めさせた方が良い」を見て、
「なんてひどいことを!」と一瞬思った私を、
すとん様、どうか、お許しください。
読んで納得です。
習い事にとどまらず、
進学・就職といった人生の選択肢において、
好き嫌いは、もちろん大事ですが、
それ以上に、向き不向き、才能の有無の方が、
もっと大事だと思います。
音楽の才能のない子供に、音楽を習わせても、
お金・時間・エネルギーの無駄だし、
スポーツの才能のない子供に、
スポーツを強いても、
お金・時間・エネルギーの無駄だし。
親は子供の、先生は児童・生徒の、
向き不向き、才能の有無を見極めてあげること、
大事だと思います。
おしまい
ドロシーさん
そうなんです。才能とか適性ってヤツは、きちんとした指導者に導かれないと見つからないものなんですよ。まあ、天才などの才能あふれるヤツは別ですが、普通の人の才能なんて、その道の人に導いてもらって、始めて発見されるのです。だから、子どもには、色々な体験をさせる事は大切だし、色々なオトナに面倒みてもらう事は必要なのです。あれこれやっていく中で、その子の才能と適性に応じたモノが見つかる…と私は思ってます。
ほんのちょっとしたアドヴァイスで、隠れていた才能が開花する…なんて、案外、現実でもあるんですよ。だから、チャンスはなるべくたくさん必要なのです。人生は有限だから、芽の出ない事に時間をかけてちゃダメなんですよ。
operazanokaijinnokaijinさん
人生は有限だし、時の流れるのは早いです。ましてや、子ども時代なんて、あっという間に過ぎ去ってしまうモノです。そんな短くて大切な時代に、その子の才能を見つけてあげるのが、親の大切な役割だと思うのです。
その才能がピアノなら、がっつりピアノを学ばせればいいけれど、別方面の才能を持っているのなら、ピアノにばかり時間を取られてしまうのは、その子にとって不幸であり、言葉はひどいですが、一種のネグレクトになっているかもしれないのです。親は、そういう事にも気を使っていかないといけないかな…って思ってます。
ははは・・昨日はえらそうなこと書きましたが、実は20年前くらい、息子にピアノを教えましたが、三日で断念、やめた方がお互いのためだと思いました。
精神衛生上これでよかったし、他のピアノの先生に教えていただいたとしても月謝の無駄と思ったでしょう(汗)
でも最近息子に言われます。
「なんで無理にでもやらせなかったの?」
そうなんです。今、息子は神学校で学んでいまして、将来牧師になる予定ですが、讃美歌を選ぶのに楽譜が読めずに苦労しているのです。
ごめーーん、息子!!
やっぱり無理やりお互いに格闘すべきでした・・。
しるべさん
別に楽譜は大人になってから勉強しても、ちゃんと読めるようになりますよ。何事も始めるのに遅すぎるという事はありません。後は本人の努力と心がけ次第。もう大人であるなら、楽譜が読めないのを親のせいにしちゃいけません(って、別にしてないか)。
なに、仕事で必要となれば、嫌でも身につきますよ。それでなきゃ、仕事としてやれないし…ね。
つい先日、3歳になったばかりの息子の音楽教室について、ヨメと話をしたばかりです。
ヨメ「息子にピアノを習わせたいわ」
ワタシ「この狭い家のどこにピアノを置くのよ?」
で終わってしまいました。ふつう、男女の立場が逆だと思いますが(笑)。
私もピアノを7年間いたしました。
ピアノは弾けるとは言えません!ただ、習ったというだけ。余暇に、弾きたい!とは思わなかったです。褒められてうれしかった事は一度ありましたが。フルートは別。余暇に吹いてみようと思います。たとえ練習曲としても。でも吹けるか?と聞かれたら…ん〰。好きになるかどうかで、向き不向きは左右されますね。程度にもよりますね。楽しいと思えるなら、下手くそでも続ければ良いし。嫌なら時間の無駄ですものね。ピアノの達成感か、、、私には分からなかったです。
Hiro.MTBさん
そうそう、ピアノと言えば、習得期間の長さだけでなく、楽器の大きさも問題ですね。ウチは、家を建てる時に、最初からピアノの置き場所を決めて建てました。もっとも、そのピアノの置き場所には、現在ホンモノのピアノではなく、エレピが置かれていますが(笑)。でも、一般家庭でのピアノの置き場所って、確かに大問題だと思います。
ピアノだって、演奏している時は多少大きくても、使わない時は畳んでしまえればいいのにね。かと言って、エレピじゃダメってわけだし…ほんと、ピアノって面倒くさいよね。
うさぎさん
ピアノを7年ですか…。頑張ったんですね。
子どもの頃にフルートを7年やったのなら、かなりの上級者になれたと思いますよ。それを考えると、ピアノって、本当に難しい楽器なんだなって思います。
>でも吹けるか?と聞かれたら…ん〰。
私は吹けるか?と聞かれたら、即座にフルートを吹いてみせようと思ってます。別にクラシックの難曲を吹く必要はありません。誰もが知っているポピュラーソングのメロディーをサラと吹くだけで、世間は「あの人、フルート吹けるんだ…」と認めてくれるようです。
私は、カーペンターズの「イエスタデイ・ワンス・モア」のメロディーラインなら、完璧に暗譜できてますので、これをきっと吹いちゃうだろうと思います。それで世間を納得させられる…と思ってます(笑)。
こんばんは。
>「ピアノ? はい、弾けますよ」と即答できるようになるまで…って、たぶん時間がかかるんじゃないかな?
管楽器は10歳過ぎてから始めてもプロ演奏家になる方はいらっしゃいます。ピアノとか弦楽器に比べると遅く始めてもなんとかなりそうな。
といってもこちらは、ピアノは小学校入るか入らないかあたりでレッスンでこちらのおしゃべりの時間が長くてとっくに止めていました。
その後はじめたフルートは中断もあるし今の某アマオケの練習では特に音程がメチャ厳しいです。
フルートは音が一つしかなくて、残り時間は少ないところでピアノで音を拾いながらでも和声を勉強したいです。
tetsuさん
管楽器が簡単…とは言いませんが、確かにピアノや弦楽器と比べると、スタートが遅くてもプロになれる楽器である事は事実です。
また、プロになれるかどうかは別としても、大人になってから始めても、それなりにカタチになるのが管楽器です。ピアノや弦楽器だと、弾いている本人が納得できるほどの腕前になるのって、大人からだとかなり難しいですからね。
ですから、簡単と言うよりも、ハードルが低い楽器である…と私は言いたいです。
たとえハードルが低くても、音楽の高み深みはきちんと経験できますから、それはそれで良いんじゃないかって思います。
問題は…管楽器では、一人で和声を楽しむ事ができないって事ですね。ピアノはもちろん、弦楽器だって重音というカタチで和声を楽しめます。その部分が、管楽器のハードルの低さの要因の一つなのかもしれません。
ま、和声は別の楽器で味わうか、アンサンブルで楽しむかのどちらがなんでしょうね。
みんな~見落としてることがありますよ~!!
管楽器は「遅く始めても大丈夫」な楽器ではなく、ある程度「体が出来る」までは着手できない楽器なんですよ~(笑)。
ピアノは椅子を目いっぱいあげてペダルをかさ上げすれば5歳の子供でも「操作」できます(上手な演奏が出来るかどうかはまた別のお話)。ヴァイオリンは分数楽器があります。
でも、5歳の子供にトロンボーンやサックスが「操作」できるか?トランペットを稽古するだけの体力があるか?フルートで長いフレーズを吹くだけの肺活量が有るか?と言えば、答えはノーです(例外があることは認めます。が、例外は例外であってその事象を代表するものではない)。
むしろ体が出来ていない幼い子供が無理して管楽器を吹くと、将来の上達に有害なクセが付いてしまいます。
繰り返します。
管楽器は「遅く着手しても上達する楽器」ではなく「遅く着手する必要がある楽器」です。
穏便な言い方をすれば、「管楽器、弦楽器、鍵盤楽器それぞれに、着手するのに最適な時期がある。その時期が楽器によって違うだけであり、早いか遅いかに必然性は有っても優劣は無い」ということです。
いや、自分が天邪鬼なのは認めますけど(笑)。
Hiro.MTBさん
正解です。おっしゃるとおりです。管楽器は「遅く着手する必要がある楽器」です。確かに幼い子どもに管楽器はカラダへの負担が大き過ぎます。
そう考えると、幼い子どもが演奏するために作られた“フルートのU字管”ってのも、案外考えないといけないかもね。特にフルートって、見た目以上に息をたくさん使うし、縦笛以上に持ちづらい楽器だしね。フルートって、リコーダーとはワケが違うものね。U字管を使ってまで、幼い子どもに学ばせる必要があるのか…って事です。
だいたい、子どもに限らず、成人女性であっても、フルートのキーの間隔は広くて操作困難だったりするわけだしね。白人男性の身体サイズを前提に設計されている(とりわけ木)管楽器は、元来、小柄な日本女性や子どもには不向きな楽器なのかもしれません。