先日、こんな報道がありました。リンク先が切れてしまうとアレなので、以下に要約してみますと、こんな感じです。
福島県内にある福島高校スーパーサイエンス部は、日本国内及びフランス、ポーランド、ベラルーシ各国の高校生の協力を得て、外部被ばく線量の比較研究し、その結果を、イギリスの学術専門誌「ジャーナル・オブ・レディオロジカル・プロテクション」に掲載される事が決まったのだそうです。論文自体は、スーパーサイエンス部の生徒と専門家ら233人の共著とし、スーパーサイエンス部の生徒がまとめた原稿を、東大大学院の早野龍五教授が翻訳して投稿したそうです。
研究は「D―シャトルプロジェクト」と呼ばれ、その内容は、26校の生徒(各校ともに約10名ほどの生徒が協力)と教員211名を対象に、1時間ごとの外部被ばく量を計測できる線量計を2週間持ってもらって、そのデーターを比較したわけです。実施時期は、昨年の6~12月だったそうです。
それぞれの学校ごとの計測値の中間に位置した人の数値を1年分に換算し、それをその学校の数値として、その他の学校と比較したわけで、その結果は以下の通りになったそうです。
外部被ばく線量
福島県は、年間0.63~0.97ミリシーベルト
福島県以外の日本は、 0.55~0.87ミリシーベルト
海外(フランス・ポーランド・ベラルーシ)は、0.51~1.10ミリシーベルト
これらの実験結果を元にして結論を言うならば、福島県だからと言って、県内のすべてにおいて放射能汚染が激しいというわけではなく、福島県と、福島県以外の日本と、海外と、それぞれの放射線量を測定すると、そんなに違いはないです…って事になります。まあ、国内では福島県がちょびっと数値が高いのは否めませんが、この程度の差なら(私には分かりませんが)ほぼ誤差の範囲なんだそうです(ホントかな?)。
ちなみに、福島高校よりも岐阜県にある恵那高校の方が外部被ばく線量が高かったそうですが、それは岐阜の方が福島よりも放射能汚染が激しく危険である…というわけではなくて、単純に福島高校の校舎はコンクリート製で、恵那高校の校舎は花崗岩で作られている…というの違いが原因なんだそうです。と言うのも、コンクリートって放射線を遮蔽するけれど、花崗岩って放射線を(逆に)放出するんだよね(笑)。
まあ、どこの地域であれ、自然放射線というのがあるので、きちんと計測すれば、世界中のどこであっても放射線がゼロって事にならず、必ず多少なりとも放射線が計測されるわけだけれど、あれだけ被爆した福島県でも、少なくとも高校があるような地域において、ほぼ普通の数値を示した事をを考えるならば、もう福島県だからとか東北だからと言って、放射線やら放射能やらに怯える必要はないのかもしれません。
もちろん、これらの数値が低いのは、自然にそうなった…のかもしれませんが、いわゆく除染作業が効果的だったのかもしれませんし、その他の要因が関係しているのかもしれつせん。これらの実験結果だけでは、どれが原因なのかは、私には分かりません。とりあえず、生活レベルの話で言うなら、福島にいて生活していても、それだけで被爆することは無いと言えます。
東日本大震災と原発事故の直後、多くの人たちが放射能汚染を恐れて、西日本や沖縄に避難しました。まあ、原発近くに住んでいた人たちが避難するのは、よく分かりますが、東京を始めとした首都圏の人も、かなり多くの人が避難をしました。私が住んでいる湘南地方もその例にもれず、たとえば私にフルートを教えてくださっていた笛先生も、被爆を恐れて、沖縄に逃げちゃいました。
あの頃、確かに一部の人たちは放射能に関してナーバスになり、パニックっていましたが、その一方で、各地の放射線量を計測して、東京よりも那覇やフランスのパリの方が数値が高いといった報道もありました。原発事故直後の福島県は、多くの場所で、確かに外部放射線量が多かったわけですが、福島県は首都圏から遠く、風にのって放射性物質が運ばれたと言っても距離の限界はあるわけだし、何より東日本は元々自然放射線量が世界的に見ても低い地域という事もあって、当時は東京の数値の低さが注目されたわけだけれど、そんな事実よりも、情緒的な心配の方が優先されて、やむにやまれぬ思いで行動を起こした人がたくさんいたわけです。
まあ、根拠はなんであれ、それで安心するなら、それはそれで良いのかもしれません。しかし、根拠のない、個人的に不安だからと言って、そこで大騒ぎをするのはいかがなものかとも思うわけです。
もちろん、たった一つの実験結果だけで、物事を普遍的に語るのは間違いです。
そこで、ネットをウロウロしていたら、こんな記事を見つけました。
その記事によると、南相馬市(原発事故による避難指示が出ていた地域)にある南相馬市総合病院の医師らが、国際的な専門論文誌に発表した研究結果だそうだけれど、その研究によれば、原発事故後、避難をしなかった人、県内の別地区に避難した人、県外に避難した人の内部被ばく量を比較した結果、臨床的に大きな差が見られなかったそうです。
原発事故の4カ月後に、同病院で内部被ばく検査を受けた521人の結果を解析したそうです。そのうち、県内の別地区に避難した人は232人(44.5%)、県外に避難した人は209人(40.1%)という事で、そのほとんどの人が事故後1週間以内に避難していたそうです[ちなみに、計算すると、避難しなかった人は80人(15.4%)となります]。
セシウム134が検出されたのは521人中279人で、全体の53.4%だったそうです。
内部被ばくのリスクを数値で表すと、避難しなかった場合と1.0とした場合、県内避難で0.88、県外避難で0.86となり、これらの数値は医学的には大きな差ではないという事です。つまり、事故後一週間で、確かに被ばくはしたけれど、その一週間でほぼ被ばくし終え、その後はどこにいようと、大きな差はなかった…という事になります。
この結果は、現在の福島には特に問題がないという点において、福島高校スーパーサイエンス部の結果と一致するわけです。つまり、今現在、福島に行っても、被爆することはほぼ無いって事です。
無論、実験とか調査と言うのは、事実の一部分だけを切り取って客観化するものであって、切り取り方次第では結果が変わってくるものであるので、必ずそこの事を踏まえたおかなければいけませんが、そう言った制限的な事実であっても、多くの事が言えます。
どうも、フクシマ及び福島県と言えば、いまだに「放射能汚染された地域」というイメージがあり、実際、原発近くの地区はまだまだ危険でしょうが、県内の大半の地域は、すでに安全であると言えるようです。一部の市民運動家の皆さんが“フクシマ=原発事故”と叫び「アベ政治を許さない」とか訴えている姿を報道などで見聞きしますが、福島県を原発事故のイメージだけで恐れるのは間違っているようですし、利用するのはちょっと違うのかもしれません(し、原発事故は“アベ政治”のせいではなく“民主党の菅直人元首相”がやらかしてくれた事なんですけれどね)。
物事というものは、情緒ではなく事実で語らないといけないと、私は思います。福島をフクシマとカタカナで表記したり、原発イメージで語ったりするのは、いかがなものかなって思うわけです。
私、福島県と言うと、裏磐梯の五色沼が好きなんです。もう20年近く行ってませんが、チャンスがあったら、久しぶりに五色沼を訪れてもいいかなって思いました。
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コメント
放射線やバイオハザードの危険は目に見えないから怖いです。逆に言うと、妄想による恐怖が過剰に拡大する要素を持っています。
私は事故の直後から、放射線測定器を使って自宅の室内外を観察していました。なぜそんな装置を持っているのかというと、放射線騒ぎはこれで二度目だからです。一度目は外国でした。放射線はもちろん目に見えないわけですから、この手の装置がないと話になりません。観察場所は関東です。距離的には事故現場から東京二十三区とほぼ同じ距離です。
私が十年前に日本に戻ってきた時に感じたことは、関東地方は放射線量が低いのだなあということでした。北米の某地域の自然放射線量の五分の一から十分の一でした。関東で測定器をオンにしても、放射性粒子がセンサーに飛び込む音がしません。最初は電池切れか故障かなと思ったほどです。それでも一分間に一個から数個は検出できました。これはほとんど放射線ナシといって良い状況です。
放射線の記録を正確に付け始めたのは爆発事故の後ですから、その時には関東の放射線量もすでに上がっていました。といっても北米の某地域と比べてやや高い程度ですから危険性はありません。風向きなどを考えると、ここには遅れて届くだろうと思いました。
3月15日の11時過ぎに放射線量が8倍に上がりました。すぐに2倍程度に下がりました。第二弾が16時にきて、12倍になりました。測定器は激しく鳴りっぱなしで怖くなりました。建物のシャッターをすべて閉め、換気システムも止めました。室外の放射線量は室内の2倍から3倍ありました。外の様子はというと、日常の景色が広がっています。通行人は放射線量の増大に気づいていません。じわじわと怖くなりました。
しかし放射線量の増大は一時的なものでした。数日後には北米レベルに下がりました。現在の放射線量は事故数日後のレベルと変わりません。事故前と比べたらあきらかに高いわけですが、もともと関東が低すぎたというのもあります。この程度の放射線量では健康被害はありえません。例えていうなら、月に四本缶ビールを飲んでいるのが五本に増えた感じです。感覚的にはその程度のアル中リスクです。
私は環境問題には興味があります。それは実際にひどい環境を経験してきたからです。後進国の毒空気と汚染された水のことを思えば、日本は天国のようなところです。
今、中国の大気汚染が問題になってますが、三十年前でもひどいものでした。呼吸器系の病気で私も含めて留学生がバタバタ倒れる状況でした。この光景は野戦病院に似ていると思いました。鼻水やタンの色は半透明か白濁が普通ですが、当時はこれらが透明度ゼロの真っ黒なゲル状になってました。口からスミを吐くようでした。今はさらに恐ろしい状況なのでしょう。火星で暮らすような宇宙服が必要かもしれません。
私はアウトドアスポーツを長時間するので、紫外線には注意を払っています。サングラスと日焼け止めクリームはかかせません。一度紫外線で失敗したことがあって、大ヤケドのようになり数週間苦しんだことがあります。
紫外線とは、殺人光線とか放射能と同じ類のものだと私は考えています。私のリスクセンサーでは、関東の紫外線は、関東の放射能の百倍危険だと思っています。帽子もサングラスもせずに真夏の昼間に道を歩いている主婦を見ると、いったい何を考えてるんだろうとあきれます。無知は怖いです。こういう人たちが福島産の野菜を買うのを避けたりするのでしょう。
すとんさんの笛先生が放射能を恐れて沖縄に逃げたということですが、残念ながら紫外線被爆によるガンや白内障のリスクは確実に高まった気がします。
私はあの事故はとんでもない事故だと思います。おそらく戦後日本でもっとも国益を損なった行為でしょう。中国の海洋侵略も顔負けです。原発事故の後始末はたいへんな時間と労力と金がかかるでしょう。歴史に残る大災害でした。
それでも事故の規模のわりには放射能被害は意外と低かったな、というのが私の正直な感想です。
在日日本人さん
>後進国の毒空気と汚染された水のことを思えば、日本は天国のようなところです。
そうなんだと思います。私たちは自分たちがどれほど恵まれた環境で生活しているかを知らないといけないのだと思います。
>一度紫外線で失敗したことがあって、大ヤケドのようになり数週間苦しんだことがあります。
実は私も若い時に紫外線で失敗した事があって、あの時は医学部と薬学部の友人たちに助けてもらって、大やけどを一週間程度で治した事がありました。まあ、色々とヤバイものを投与されたらしいのですが(笑)。あれ以来、私も紫外線には気をつけるようになり、真夏でも基本的に長袖長ズボン&麦わら帽子+サングラスな私です。おかげさまで、真夏でも真っ白な私です。でも、その分、皮膚の老化はあまりしていないと思いますよ。
>紫外線とは、殺人光線とか放射能と同じ類のものだと私は考えています。
紫外線って殺菌に使える光なんですよね。もちろん、人間と細菌を同列に並べてはいけませんが、細菌を殺せる光が人間に全く無害なわけないです。事実、日焼けしますしね。
>すとんさんの笛先生が放射能を恐れて沖縄に逃げたということですが、残念ながら紫外線被爆によるガンや白内障のリスクは確実に高まった気がします。
おそらく、沖縄に生まれ育った人たちは、カラダが沖縄の風土に適応しているでしょうから、何の問題もないでしょうが、関東の人間が沖縄に移民して暮らしても、沖縄の風土にカラダが慣れるのは難しいでしょうね。それでも若い時に移民したならともかく、すでに老人になってから移民しても、厳しいんじゃないかなって思いますし、そのことを先生に伝えたことありますが、あまり聞いてはもらえませんでした。まあ、人それぞれですからね。
>おそらく戦後日本でもっとも国益を損なった行為でしょう。
私は民主党政権での最大の失策が、この原発事故だと思ってます。地震や津波は天災ですから、誰も責める事はできませんが、原発事故はあきらかに人災であり、当時の総理大臣の判断ミスです。これは繰り言でしかありませんが、あの時の政権が民主党政権でなく、総理大臣が菅直人元首相でなければ、この事故は起こっていなかったかもしれないと思ってます。
そもそも民主党に投票して政権を握らせたこと自体が、大きな間違いだったと今なら言えます。