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日本人は基本的にビビリなんじゃないかな?

 …ないしは、ビビリの人が極端に多い民族なんだろうと思うのです。

 ビビリとは、怖がりとか臆病とかを指して言います。まあ、基本的には褒め言葉ではないですよね(汗)。でも、生き物の特性としては、ビビリは用心深いわけで、危機回避能力に長けているとも言えますので、生き残るためには大切な特性なのかもしれませんが、そんな用心深さが過度に発揮されているのがビビリなわけで、それが他人から引かれたり、気味悪がられたりする原因だったりするわけです。

 最近、それを感じたのがコロナ禍です。日本人って、世界と比べても、平常に戻るのがかなり遅れたし、今でもマスク着用を義務付けている場所も多くあるし、まだマスク着用で日々を暮らしている人もいるし、未だにマスク着用を強制されている人たちもいます。

 そこまでコロナにビビるのか…と個人的には呆れますが、それだけコロナが怖いわけだし、コロナにビビっているわけですし、これは「怖い」という感情問題ですから、理屈で説得しても全く解決しません。

 ビビリの人は、一度恐怖に取り憑かれたら、恐怖に絡め取られて身動きできなくなるのです。ある意味、呪いにかかったようなものです。

 日本人に強迫性障害が多いという噂を聞いた事があります。噂…と書くのは、日本では強迫性障害に関する統計がないので、どれくらいの罹患率なのかが分からないからです。統計が無い理由として、統計が取れない…つまり障害を隠されてしまうと調べようがない…という点もありますし、治療を受けていない人、治療を隠れて受けている人、そもそも自覚のない人もいるし、自分が障害者である事を隠している人も大勢いるから、統計なんて取れないというわけなのです。

 強迫性障害は、かつては強迫性神経症という病気扱いだったのですが、神経症というほど生易しいモノではないので、独立した精神病として取り扱いましょうって事で、強迫性障害と呼ばれるようになったわけですが、同時に“障害”認定をされているので、言葉を変えれば「障害なので治りません」という扱いにもなったわけです…とは言え、実際のところ、適切な治療を受ければ症状が(治るわけではないけれど)安定する人もいるそうですので“障害”と呼ぶのはどんなものなんでしょうね?

 それくらい強迫性障害ってのは、根深いのですが、この障害が日本人には多いという噂なのです。

 過度な恐怖心で自分の行動が抑えられない…というのは、この強迫性障害にも通じる部分があり、ビビリと強迫性障害は同じ地平にいると考えれば、日本人にビビリが多いのも何となく分かるし、ビビリが多いことからも、日本では強迫性障害の方がとても大勢いらっしゃるんだろうなあとも推測できるわけです。

 今でもこそ減ったようだけれど、昭和の時代では、ガンを始めとする死病に取り憑かれた場合、その病状を本人には伝えずに、家族にだけ伝えて治療するというのが普通だったようです。なぜ本人に死病であることを伝えないのか…と言うと、死病である事を伝えると、それで絶望してしまい、治療をせずに自殺をしてしまうので、自殺を防ぐために、あえて本人には病名を隠すという事をしたらしいです。

 自殺と言えば、日本って先進国の中では、極端に自殺者が多い国としても有名ですよね。自殺とビビリには、直接的な関係はないみたいですが、両者ともに弱い心がもたらすものである事は共通しています。

 まあ、私も日本人の端くれなので、我が身を振り返ると、メンタルの弱さは痛感します。まあ、ビビリと呼ばれるほどではなくても、だからと言って「鋼のメンタル」は持ち合わせていませんし、私よりも弱いメンタルの人なんて、ザラにいるわけで「日本人はビビリが多い」と言われても「ふむ、まあ、そうだよな」と納得してしまうわけです。

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コメント

  1. オペラ座の怪人の怪人 より:

    すとん様、
    先般の、フルートプロアマ、歌プロアマに関する、私の投稿に、
    コメントをくださり、ありがとうございます。

    本日の「ビビり」に無理やり結びつけて、
    フルートプロアマ投稿の「続き」を書きますと、

    音大を出て、
    (親御さんのお金だろうけど)ヨーロッパに留学までしたのに、
    全く定職に就けないプロ「級」フルート奏者のS君、
    スケジュール表は全くの「白紙」だった、
    ということは既に書きましたが、

    そんなスケジュール表を眺めながら、
    「僕はこれから、どうなっちゃうんだろう。」と、
    ものすごく不安だった旨が、当該記事に書いてありました。
    一種の「ビビり」(う~ん、ちょっと違うか?)

    察するに、音楽事務所の事務職、とか、
    一般企業の事務職、とか、には目もくれず、
    (いや、まあ、トライして、不採用だったのかもしれまへんが)

    毎日、ひたすら、多分10時間くらい練習して、
    (ゴールウェイは、毎日6時間の練習を推奨しています)
    来るべき(オーケストラの)オーディションに備えていたのかな?

    実力はあるのに、定職に就けない音楽家の皆様の不安を思うと、
    何の関係もない私も「不安」を、「ビビり」を感じる次第です。

    う~ん、無理やりでした~。

    おしまい

  2. すとん より:

    オペラ座の怪人の怪人さん

    >実力はあるのに、定職に就けない音楽家の皆様の不安を思うと、
    >何の関係もない私も「不安」を、「ビビり」を感じる次第です。

     これね。本当に問題だと思いますよ。日本には“実力があるのに定職に就けない音楽家”の多いこと多いこと。ほんと、目を覆わんばかりです。私の身の回りにも、その手の人がたくさんいます。大半は、細々と小さな演奏会とアマチュアに教える事で収入を得ているけれど、その収入の少なさを聞いては心を痛めています。実際、経済的に自立できていない人もそれなりにいます。こんな私にさえ「いい仕事ありませんか?」と相談してくる人ですらいるくらいですからね。

     力が足りないのなら定職に就けなくても仕方ないのです、だって専門職だもの。でも、力量は十分なのに生活が安定できない人が大勢いるというのは、何かシステム的に間違いがあるわけで…それはおそらく、我が国では必要以上に音楽家という人材を過剰に育成しているためなんだろうと考えられます。

     じゃあ、それは音大や音楽専門学校の数が多すぎるから…と考えがちですが、それは違うわけで、学びたいという人に学びの場がある事は良いことだから、音大や音楽専門学校がたくさんあったっていいわけです。問題は、それらの学校の“進路指導(あるいは就職指導)”にあるんじゃないかな?って思うわけです。

     あるいは、音楽家が日本ではフリーランスなのがいけないのかもしれません。ドイツのように音楽の仕事をするためには国家資格が必要なら、逆に有資格者の仕事は保障されるわけです。

     あるいは…ううむ、ほんと、何か良い手立てはないものでしょうか?

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