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本当に老後に“生きがい”なんて必要なのか?

 老後とか、退職後とかに“生きがい”を見つけましょうって話を、ネットとか老人向けの雑誌の記事とかで見つけますが、そんなに皆さん、年を取ったら“生きがい”って必要なものなの?
 だいたいね、本当に“生きがい”が必要なら、それは年令問わず、若者でも老人でも誰でも“生きがい”が必要って言われるんじゃないのかい? なぜ、若者には“生きがい”が必要でなく、老人には“生きがい”が必要だと言われるのかって話でしょ?
 それはつまり「老人はひま」って思われているからだよね。子どもなら学ぶのに忙しく、青年~初老の、いわゆる現役世代は、働いたり家庭を切り盛りしたりして忙しくわけで、そこへいくと老人はひまなので、その暇つぶしとして“生きがい”が必要って言われているんだろうなあって思うわけです。
 確かに老人は、現役世代以下と比べると“ひま”かもしれません。だって、引退したんだもの、ひまでいいんじゃないの?
 ひまをひまとして享受してはいけないわけ?
 老人本人が「ひまでひまで困ってます」と言うのならともかく、他人が老人に「あなたはひまなんだから“生きがい”が必要です」と言うのは、大きなお世話だと思うんだよ。
 いいじゃん、ジジイババアなんて放っておけば。
 ひまを楽しめる老人はひまを満喫するだろうし、ひまで困っている老人は、やるべき事(家や地域の仕事とか、ちょっとしたアルバイトとか)を勝手に見つけるだろうし…。あんまりジジイババアを馬鹿にするもんじゃないよ。
 確かにごく一部の老人は、何もせず、ただただじっとしているだけ(つまり活動レベルが低いわけだ)の人もいるわけで、そういう“ただただじっとしている”のは健康には良くないので、何か“生きがい”を与えて活動的な生活を送らせたいと、親切心で思うのでしょうが、それもやっぱり“大きなお世話”だって思うのですよ。そういう老人は、消極的かもしれないけれど“ただただじっとしている”事を望んでいるし選んでいるわけです。不健康だし、ボケが早まるかもしれないし、死も近くなるだろうけれど、それもその人の人生だし、選択だし、寿命なんだと思うんだよね。
 で、私の話です。
 私自身は、引退したら、ひまを満喫したいと思ってます。ひまを十分活用して、ゆったりとした生活をしたいと願ってます。例えば、溜め込んだDVDを何度も見たり、町の図書館の本を全部読んでみたかったりするし、旅行にも行きたいし、絵も描きたいし、写真も撮りたいよ。美味しいものも食べ歩きたいし、配信で昔の名画も見まくりたい。もちろん、趣味の音楽には没頭したいです。
 で、そうやって一日の半分ぐらいは積極的に動いて、残りの半分ぐらいは、ただただボケっとしていたいです(笑)。休養は大切よ。
 だから“生きがい”なんて要らないんだ。ひまがあれば、それで十分、いや、ひまと、ひまを満喫するための軍資金と健康があれば、もう最高なんだよ。訳の分からない“生きがい”なんて要らないんだよ。
 おそらく老後に“生きがい”が必要だと考える人の思考パターンは、仕事を引退したら、燃え尽きてしまって廃人になってしまう…って考えているわけで、そんな廃人にならないためにも、老後に“生きがい”という名の使命を与えて、頑張ってもらおうじゃありませんかって思っているわけです。
 それじゃあ、現役時代の“仕事”が、老後の“生きがい”に置き換わるだけじゃん。そんな人生、つまんねーぜ。
 そうならないためには…現役時代から、上手にひまを楽しめるようなライフスタイルをコツコツと作っていく事が必要なんだと思う。若い頃から「人生から仕事が無くなったら、何も残らない…」なんていう、悲しい社畜人生を送っちゃいけないんだよ…と私は考えます。
 だから、老後に“生きがい”なんて不必要!と断言できるような生き方をしていきましょう。

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