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今週は何かとバタバタしていました

 今週は体重を計測している、心の余裕なんて、ありませんでした。

 先日、実家の母が救急車で運ばれました。以前から具合が悪かったのですが、ついに来るべき日がやってきたのか…と一報を受けた私は覚悟して、病院入りをしたわけです。

 まあ、私の母ですから、当然、十分な年寄りなわけで、今回の入院にしても、特に怪我をしたとか、病気になったとかいうわけでなく、単純に体調不良で息が出来なくなって、窒息しかけちゃったので、救急車で運んでみました…という話なんですね。

 「年を取ったから入院したんだよ」と父は私に説明してましたが、そんなもんなのか?

 私が見るに、肺気腫&気管支炎を原因とした慢性呼吸不全(つまりCOPD)が老化によって悪化した…と思ってます。

 なにしろ、母は若い時からヘビースモーカーでしたからね。周囲の人々が次々と禁煙をしていても(父も今の私ぐらいの時に禁煙しました)、そんな事を気にせずに、毎日プカプカやってました。なにしろ、風邪をひいてもプカプカ、体調が悪くてもプカプカ、いつでもどこでもプカプカやってました。

 周りがいくら「禁煙した方がいいよ~」と薦めても「タバコ止めると太るからねえ」と言って、絶対にタバコを止めませんでした。

 私が子どもの頃は、母だけでなく父もヘビースモーカーでしたから、私は空気って目に見えるものだと思ってましたもの。でも、見えたのは空気ではなくて、紫煙だったんですけど、それに気づいたのは中学生になったからかな(オバカでしょ?)。ウチが貧乏だった理由の一つが、両親の喫煙と飲酒(これがまたしょっちゅうヘベレケになってました))だったと思います。酒とタバコがなければ、もう少し、人並みの生活ができたんだろうになあと、なんか思い返すと悔しいですね。

 とにかく、若い時から老人になるまで、一貫してタバコをふかしていました。で、ある日、どうにもタバコが吸えなくなり、まもなく、タバコの代わりにボンベで酸素を吸うようになりました。ま、年貢は必ず収めないといけないって事です。長年の喫煙の代償が酸素ボンベ生活だったわけです。

 最初の頃は、酸素ボンベを転がして生活していましたが、やがてボンベでは足りなくなり、高濃度酸素発生装置を自宅に据えて、その装置のそばに置物にようにじっとして日々を過ごす人生となり、そして、その高濃度酸素発生装置の酸素だけでは不足して窒息しちゃうので、病院に運ばれた…というわけです。

 我が母ながら、なんかなあ…。

 私はタバコは一切やりませんが、アレルギー体質だし、喘息持ちだし、子どもの頃から慢性の気管支炎だし、呼吸器がかなり弱い人なのですが、これも乳幼児の頃から紫煙を吸って生活していたツケだと思ってます。まあ、親を恨んじゃいませんが、人並みの呼吸器が欲しかったなあって思います。

 私が歌っているのも、ひとつには呼吸器のトレーニングって側面もあります。普通の人と同じことをやっていたら、十分に息ができないんだから、仕方ないよね。

 母はもう、食事も取れないので、輸液で栄養補給をし、呼吸は酸素マスクに頼り、ベッドに寝たきりで、ロクにしゃべることもできない。チューブやらコードやら、なんかよく分からないモノが母のカラダからたくさん生えています。なんか、そんなのを見ていると“生きている”と言うよりも“生かされている”って感じがします。

 医者からは、医療用の酸素発生装置でも、そろそろ危ないので、人工呼吸器を取り付けるか、薬を入れて装置を外して自発呼吸に戻すかという選択を迫られたので、元気だった頃の母の意志を病院側には伝えました。

 実の親ですから、一日でも長く生きていて欲しいと願う気持ちはありますが、でも、母本人の意志も尊重してあげないといけないと思ってます。ほんと、切ないですよ。

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コメント

  1. だりあ より:

    私と母の関係も、いろいろと複雑で・・・・。親子関係というのは一生尾を引くものなんだなあと、この年齢?になって、つくづく思います。良しとか悪しではなく、感情のからみあいの複雑怪奇な後味が尾を引いている、とでもいうのでしょうか。
    愛情はもらったし、愛情が足りなかったとも思わないんだけど、なんとなーく・・、子供であるこちらとしては、的はずれだったようなことも、今思い出します。

    まあ、親子関係というのは一方的に子供がわから見ていてわからなかったことも親になってみるとわかること、たくさんありますね。
    私も、ちゃんとまともに考えられるうちに、子供に私の意思を伝えておかなくちゃ、と思いました。
    お母様、お大事に。

  2. すとん より:

    だりあさん

     人はいつか死ぬものです。それは理屈で分かっていますが、いざ、身近でそういう事が起こると、人によっては、それを受け入れられないようです。パニックになるとか、心を閉ざすとか、判断を先のばしにするとか、現実を見て見ぬふりをするとか…。それを「心が弱い」だとか「自分勝手だ」と非難するのは簡単ですが、非難される側からすれば「そんなのカンケイねー!」の世界なんだと思います。

     バカの壁ではないのですが、話し合いでは物事は解決できないと、つくづく感じております。

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