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メトのライブビューイングで「イーゴリ公」を見てきました

 ロシアのボロディンが作曲した「イーゴリ公」というオペラは、一般にはあまり親しみのあるオペラではありません。私も「だったん人の踊り」という有名なバレエ音楽は知っていましたが、それ以外は特に知るところもないオペラでした。つまり「だったん人の踊り」というバレエ音楽が唯一のキラーチューンというオペラなんですね。

 まあ、これだけ有名で、なおかつ無名であるオペラは、ロシア語歌唱によるロシアオペラであるという点以外にも、オペラ自身が未完成で、決定版が存在しないという事も、ロシア以外の国での知名度があげられない理由なんじゃないかなって思います。

 実は作曲家であるボロディンは、18年もかけながら、このオペラの断片を熱心に作曲し続けたけれど、これを一つの作品としてまとめる事はできなかったのです。というのも、ボロディンはプロの作曲家ではなく、アマチュア作曲家で、作曲する時間に制約があった事と、ボロディンの死は、ボロディン自身にとっても思いがけない急死(動脈瘤の破裂だったそうです)であったため、オペラを完成させる事がなかったわけです。

 そのため、ボロディンが残したメロディーを、グラズノフとリムスキーコルサコフの両名が編集し、オーケストレーションをし、足りない詞や曲を書き加えて、なんとか上演できるカタチに仕上げたものが、現在の「イーゴリ公」なんだそうです。これを初演版というようです。

 なので、このオペラは、全体の完成度は低くても、パーツパーツの出来ばえは、なかなか素晴らしいのは、そういう理由なんだそうです。

 この「イーゴリ公」というオペラは、我々には親しみの薄いオペラですが、ロシア本国では頻繁に上演されるオペラなんだそうです。その際に用いられるのが、この初演版なんだそうです。なので、ロシア人にとって親しみ深いのは、この初演版の「イーゴリ公」のようです。

 しかし、この初演版が、一応の定番というか、普及版であるにも関わらず、その完成度の低さから、色々な人が、さらに手を加えて、再構成をした「イーゴリ公」もあるそうなんです。

 実は今回、私はメトの「イーゴリ公」を見る前に、予習として見た「イーゴリ公」は、先日、NHK-BSで放送したボリショイ劇場が上演した「イーゴリ公」でしたが、このボリショイ版の「イーゴリ公」もまた、初演版とはだいぶ違う、後世の人の手の入ったバージョンだったようです。

 ですが、私は定番である初演版を見たことがないので、今回の記事では、このボリショイ版とメト版の比較で「イーゴリ公」の話をするのですが、その点をご了解ください。

 さて、今回、私が見た、メトの「イーゴリ公」は、演出はもちろん、曲の配列、いや、曲や場面の有無に至るまで、ボリショイ版とはだいぶ違っていました(もちろん、メト版もボリショイ版も、初演版とは大きく違います)。“違っていた”というよりも、まるで“違うオペラ”のような印象でした。なんでも、今回のメトのものは、演出家のチェルニアコフが新たに再構成したものだそうで、ボリショイ版には無かった曲やシーンが加わる一方、ボリショイ版にあった曲やシーンの多くがカットされていました。

 私的には、メト版の方が分かりやすいし、見終わった時の充足感を感じられるので、メト版の方が好きかな? でも、メト版ではカットされた曲の中には、良い曲もたくさんあるし、ボリショイ版の方がバレエが充実しているので、ボリショイ版も捨て難いかな。そういう印象です。

 メト版の「イーゴリ公」では、特に序幕と第1幕では、映像が多用されていて、これがオペラのストーリー説明と、主人公であるイーゴリ公の内面表現に効果的に用いられていて、かなり良いです。

 ボリショイ版の第1幕では、イーゴリ公は敵であるポロヴィッツ軍に捕らえられて捕虜になっていますが、メト版では、イーゴリー公はポロヴィッツの捕虜にはなっておらず、戦闘でアタマを強く打ったイーゴリーが見る夢(妄想)の世界の話になっています。

 第2幕にはイーゴリ公は出てきませんが、その代わりに、敵役とも言うべき、ガリツキー公がメト版では大活躍します。これがまた良い悪役で、第2幕で散々悪行をしつくして、その幕の最期にあっけなく死んじゃいます。まさに、第2幕の主人公はガリツキー公であると言い切ってもいいくらいに、ガリツキー公にスポットを当てた幕になっています。一方、ボリショイ版ではガリツキー公は死なず、悪行ぶりも、メト版と比べると、なんとも小物感があふれていて、なんとなく中途半端な存在なので、こうやってはっきり殺してくれると、ストーリーにメリハリがあっていいですね。

 ボリショイ版の第3幕は、コンチャーコヴナがウラジミールを引き止めるシーン(三重唱)だけが、イーゴリ公の脳内妄想(あるいは記憶)として演じられるだけで、その他の多くのシーンが、メト版ではほぼカットなので、残念です。ウラジミール(テノール)の歌も、コンチャーク汗の演説も、私は好きなんだけれどなー。

 つまり、イーゴリ公の息子であるウラジミールは、ボリショイ版では、イーゴリ公と共にポロヴィッツの捕虜となり、ボロヴィッツの王女と恋に落ち、恋に殉じて、イーゴリ公が脱走した後もボロヴィッツに残り、コンチャーク汗に認められて、婿入りを許されてポロヴィッツ人になるわけだけれど、メト版のウラジミールは、序幕と第1幕の間にあった戦闘で戦死し、イーゴリ公の思い出の中にしかいない人物ってわけなんだな。

 そして第3幕(ボリショイ版だと第4幕)も、馬に乗って、さっそうと戻ってきたイーゴリー公を民たちが「なんとめでたい」と喜んで終わるボリショイ版と比べ、メト版はたった一人でボロボロの姿でトボトボと故国に戻ってきたイーゴリー公が、敗軍の将として自分を責め、無駄に失った部下たちの命を惜しみ、この復讐を他の公たちにゆだねつつ、自分は故国の復興に着手するという、なんとも現代的なエンディングとなっています。

 私は正直、このメト版のエンディングに、フクシマの姿が重なりました。

 音楽的には、ボリショイ版の方が、絶対に面白いけれど、ストーリー的には、メト版の方が筋が通っているし、やっぱり面白い。音楽性を取るか、物語性を取るかって事になるけれど、このメトの「イーゴリー公」は、やっぱり見ていて面白いですよ。

 それにしても、メト版とボリショイ版、違いすぎます。どちらを好むかは好き好きですが、元々歌劇「イーゴリ公」に親しみもっているロシア人を対象にしたと思えるボリショイ版と、歌劇「イーゴリ公」に親しみがなく、ほぼ初見の人を対象にしたメト版では色々と違っていて当然なのかもしれません。

 こうなると、ぜひ初演版による「イーゴリ公」を見たくなります。

 ひとまず、メトの「イーゴリ公」は、面白いですよ。お薦めです。

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