今日の記事は、ある意味、昨日の記事の続きのようなものです。
楽器であれ、スポーツであれ、なんであれ、練習って、上手になるために、上達するために、やるものですよね。熱心に練習するのは、上手くなりたいという熱意があるから練習に励むわけです。もしも、練習を重ねることで、上手くなるどころか、ドンドン下手になっていくとしたら…それは悲しい事です。
練習というのは、ある意味、癖を自分に付けていくことだと思うのです。今まで出来なかった事も練習を重ねて、癖をつけていくことで、いつしかできるようになる。これが練習の本質なんだと思います。
もちろん「練習をして、良い癖をつける」というのが「練習をして上達する」という事の、暗黙の前提にありますが、実は同時に「練習をして、悪い癖がついてしまう」という可能性も十分考えられます。「練習をして、悪い癖がついてしまう」ならば、むしろ練習をしない方が、全然良いという事にもなりかねません。つまり、上達するためには“上手な練習”をたくさんすべきであり“下手な練習”は絶対にしてはいけないのです。
なぜ、楽器の習い事に限らず、何かを習うには、必ず先生の存在が必要なのか。そもそも先生の役割とは何か?
先生の役割。たくさんの役割があるでしょうが、一番大きな役目は、生徒に間違った練習をさせない事でしょう。良い練習だけを効果的に配列して生徒に与えていく事でしょう。つまり、カリキュラム作成とコーチ業です。これが先生の役割です。
そして、順次、良い課題を与え、一定水準に達したところで合格をくださる事で、ドンドン学習を進めていきます。つまり、先生は学習における推進力を作ってくださってもいるのです。
さらに、良い音を聞く事は、良いイメージを作り上げ、それは上達への道しるべになる事は明らかです。先生について学ぶ事の利点の一つに、先生の良い音を聞くことができ、先生と一緒に練習することで、それらを体で感じる事できます。それはとても大切でしょう。
これらの裏返しが独学なんです。
独学は誰にも縛られない自由を確保する代わりに、誰にも軌道修正をかけてもらえないという孤独を抱えています。間違っているならば、自分自身で誤りを正さないといけません。練習課題は自分で探し、自分自身で合格を与え、自分自身が学習における推進力にならないといけません。
独学ならば、良い音のイメージを、積極的に求めて行かないといけません。なにしろ、日常的に生の良い音に接するチャンスは皆無なのですから。CDばかりを聞いて、誤魔化してはいけません。
音楽は生物(なまもの)ですから、生の音を聞かないとダメです。食事だって、保存食ばかりを食べていたら不健康になってしまいます。新鮮な食材で調理してこその健康維持です。音楽も同様です。積極的に、生のフレッシュでイキのいい音をたくさん聞かないと、良い音のイメージは作れません。
だから、独学の人間は、練習ばかりしてはいけません。練習の時間の幾分かを使って、積極的に熱心に、ヴァイオリンコンサートを聞きにいかないと、明らかにマズいと思います。でも、それって、ちょっと面倒ですし、練習モードにスイッチが入っている時は、コンサートにすら行きたくないものですよね。
私の場合、ヴァイオリンを、やむなく独学でやってますが、実は、不安で不安で仕方ないです。正直、大きな壁を感じています。やはり、可能ならば、先生に師事するべきだとは分かってますが…なかなか難しいです。
一番の問題は、練習時間かな? 一日に20分程度しか取れません。それ以上の時間をヴァイオリンに割くと、必然的に歌やフルートに影響が出ますが、そこは優先順位の問題もあり、ヴァイオリンを始めたからと言って、歌やフルートの練習時間を減らすわけには行きませんし、当然、私の睡眠時間を削るにしても、限界はあります。これだけの短時間の練習時間では、先生に与えられた課題をやりこなすことは当然できません。課題をやらずに先生の前に立つことなど、私には考えられません。
それとレッスンに通う時間もキビシイですね。一カ月の間に、声楽で2回、フルートで3回、歌劇団で1回、出歩いています。そこにヴァイオリンのレッスンを入れるのは…かなりの無理が伴います。無論、レッスン代の捻出だって、私の小遣いのお財布的には、とぉ~~ってもキビシイです。
「ヴァイオリンを習いたいのですが、私は、声楽をやって、フルートをやって、歌劇団をやっていまして、ヴァイオリンはそこに付け加える感じで、ゆる~く、やっていきたいと思います」なんて言ったら、私の事情を知らない大半のヴァイオリンの先生は、怒っちゃうだろうし。
やっぱり、ヴァイオリンを先生について習うのは、無理かも。
ならば、ヴァイオリンを習うのが無理でも、せめて、リアルなヴァイオリン仲間と合奏とかができれば、だいぶ違うんでしょうがねえ…。まだ、他人と合奏できるレベルですらありません。
ううむ、ヴァイオリン、楽しいけれど、やっぱり独学じゃ無理かな…。
挫折へのカウントダウンが始まったかも…。というのも、ヴァイオリン遊びは楽しいのだけれど、やっぱり独学で出来ることには限界があります。
ま、ひとまず、ヴァイオリンで遊んだ一カ月間は、楽しかったです。決して、私の人生の中で、無駄な経験ではなかったと思います。でもね、熱意だけじゃあ、どうにもならないモノがあるんですよねえ…。そういう事も、よく分かりました。困ったものです。
コメント
独学は確かに非効率的です。しかし、個性は出ると思います。
日本のスポーツ・音楽に優れた人は大勢いますが、残念ながら世界でオンリーワンの個性を出す人は極めて少ないと思いませんか?ようするに金太郎飴になってしまっているんです。日本の教育者は型にはまっていないと評価しない癖があります(個性を認める勇気・自信がないようです)。
癖と個性は表裏の関係でもあるでしょう。技術の支障となる癖であってもそれを乗り越えてプレイ出来るように努力をすればそれはその人のオンリーワンの個性となると思います。クラシックの世界では個性が強すぎると逆風も強いようですが、われわれアマチュアが楽しむには個性豊かな方が楽しいと思います。もちろん途中で良いコーチのアドバイスを受けられれば効率よいでしょう。
すとんさんの周りにはすばらしい音楽仲間がおられるようですから、その方から基本的なことだけ伺って個性を発揮するのも良いんじゃないですか?
審美眼って言葉があります。
単純に美を識別する感覚っていうか、能力のこと。
音楽にも人それぞれの審美眼があるわけです。
確固たる音楽的な審美眼があって、
それを「再現できる」テクニックがあれば良いわけで、
練習(トレーニング)は、確かに「再現できる」癖をつけるわけですね。
先生から学ぶって、この一般的な審美眼の感覚と、
それを再現させる「癖」身につけることに行き着くと思います。
さて、その一般的に言われている「独学」ですが、
この手の感覚が鋭く、探求心旺盛であれば
個人的趣味のレベルでは可能だと思います。
そんな人は大抵、他のことでも大成できるポテンシャル
を持っています。ただし、厳密に言うと、
世の中にはいろんな情報が溢れていますから、
100%の独学はありえないでしょうけど。
その感覚も、過去に聞いた音楽や
その他の芸術などで研ぎ澄まされたものでしょうけどね。
多くの人の場合、感覚はどうしても一般的でしょうし、
他の仕事や肉体的精神的な限界もあり、
探求するにも限界があるでしょう。
子供だと、集中力もなかなかないですし。
効率から考えて、先生から一般論を学ぶ、人から聞く、
ということになるのでしょう。
人から学ぶことで重要なことは、
人との関係性でもあるわけです。
先生の向こう側には、それに携わる関係の人たちがいます。
聴衆だって、先生になり得ます。
音楽も他者に何らかの影響を与える上では、
社会的行為の一部でもありますから。
最終的に独学だけでは不可能です。
最後に、普通は、いつかは自分のスタイルを持ち、
独り立ちするものです。人との関係を保ちながら。
以上。
>河童さん
独学の世界は厳しいサバイバルの世界だと思います。強い精神力とすぐれた才能の持ち主は、その個性を思う存分に発揮できる一方、ごく普通の人間の場合は、どうしても挫折しがちです。挫折を防ぎ、教育をし、それなりの所にまで持っていくために、師匠という存在がいるんだろうと思います。
>われわれアマチュアが楽しむには個性豊かな方が楽しいと思います。
うん、それは私もそう思います。今更、プロ奏者になるわけでもなし、アマオケに入ったり室内楽を嗜んだりだって、ちょっと無理なんだから、わざわざ型にはまる必要はないのだと思います。好きなように楽しく演奏をして、それで仲間ができたら、一緒にセッションして…、それでもう十分かな。
とは言え、やはり最低限の技術というのはあるわけで、そこの修得はきちんとしないと道が開けません。その段階で私は悩んでいるわけで、たとえ独学であっても、やっぱりアドヴァイザーは必要なんだろうと思います。
ちょっと色々と考えてみます。
>ひょっとこさん
>この手の感覚が鋭く、探求心旺盛であれば、個人的趣味のレベルでは可能だと思います。
問題はここなんですね。探究心はそこそこありますが、感覚の方が…。私は、結構、ボケーとしていて、見て学ぶというのが、ちょっと苦手だったりします。その代わり、人一倍マジメな人間だとは思うので、努力する事は、ちっとも苦にならないので、指針さえ示してくれれば、そこに向かって、滝登りの鯉のように頑張っちゃうんですけれどね(笑)。
今の世の中、指針を示してくれるのは、先生だけではありません。雑多な情報が氾濫していますから、それらをうまく取捨選択する事で、目指すべき方向も見えてくるでしょうし、それに何と言っても、この年になれば、人間関係もそれなりにありますから、友人たちの有益なアドヴァイスというものもあります。そういう部分をうまく使いこなせれば、先生の代わりになってもらえるでしょうね。
ただ、情報は何とかなっても、問題は肉体性の部分ですね。音楽は、体を使ってやるものです。たとえば、フルートの三点支持は初心者には難しいし、それを情報という形で知っても、それを自分のモノにするのは、ちょっと時間がかかります。目の前で見せてもらい、やってみせて、修正してもらえれば、割と簡単に身につく事なんですけれどね。
>最後に、普通は、いつかは自分のスタイルを持ち、独り立ちするものです。人との関係を保ちながら。
そうなんですよ。たとえ、先生について学んだとしても、やがては、その先生から独立するわけで、いつまでも習い続けるわけじゃあない。そういう覚悟も音楽を学ぶ上では必要ですね。
要は、独学かどうかが問題ではなく、自分自身の音楽が演奏できるようになれるかどうかなんだと思いますし、そこの部分に関しては、先生の有無は、関係ないんだろうと思います。
とは言え、今、私が悩んでいるのは、そういう遠い将来の話ではなく、基本の基の部分なんですけれどね。
バイオリンって、ほんとうにあの音色にはほれ込みますよね。しかし、ある程度大人になってから取り組むにはあまりに難しすぎます。よくちまたで中高年のバイオリン教室の発表会とかありますが、はっきりいって頭がおかしくなりそうでとても一分と聞いてられないです。それくらいバイオリンっていうのはちゃんと聴ける音楽に成長するまでに長い長い道のりと、才能が必要な楽器ですよね。だから数ある楽器の中でエリートなんでしょうね。
すとんさんはバイオリンは遊び程度と思っていられるおつもりかもしれませんが実はただの遊びの域でなくけっこう高いところを目指してらっしゃるんだと思います。
でも、やはり「ただのお遊び」ではだめですか。ボウイングが少々斜めでも、弓の持ち方が少々イレギュラーでも、ちっとも上達しなくていつまでもオンチで自分でも笑えちゃうくらいでも・・・でも他の人に聞かせるつもりがなければそれでいいじゃないですか。
すとんさんの楽しい趣味の一つのアイテムとしてのバイオリンなら。たまーにギーコギーコする・・・・、ちっとばかりオンチだけど楽器と遊ぶこんなひとときは楽しいなあ・・・・。
それだけではご不満ですか?
やはりある程度きちんとセオリーどおりに弾けるようになりたい、と目標を持ちたい気持ちはわかります。鯉の滝登り型の人は目標の滝が目の前にあらわれると俄然がんばりますもんね。でも、鯉は目の前の滝一つに鋭意努力を集中してますよ。あっちの滝こっちの滝と渡り歩く鯉は見たことがありませんもん。
今はどちらかというと俗に言う新たな浮気がはじまった状態、なのかなと思います。浮気相手にいちいち本気出してちゃ本命の彼女が・・・・。
私とすとんさんでは個性(物の考え方や価値観)が違うので私はこうですって言うだけなんですが、重要度やレベルを設定して、何に対して一番真剣に取り組みたいか、これができれば後はもうグチャグチャでもいいと思えるかを考えるのです。
実際、私はカタログ販売でケースも弓も一式揃っていてテキストとビデオがついたバイオリンを5万円で買いました。音がいいか悪いかそんなことはどうでもいいんです。バイオリンを触りたかったから。かといって1年に1度くらいしか触らない、または人が来た時に「バイオリン持ってるねん!!」と自慢げに見せてそれでおしまい。(笑)
実はもう一つバイオリン持ってます。(汗)バイオリンをやっている人のつてを頼って「バイオリンの形してたらなんでもいいから~」と中古のを2万円で買いました。やはりケースも弓も一式揃ってます。パントマイムの小道具にしようかなって思って買ったのですが、使いませんでしたけどね、でも、バイオリン2台持ってます!!(笑)
もうひとつ違う話をするとジャズとかジプシーとか(具体的に書くと私が間違ってるかもしれないので、その辺はご容赦ください。)民族音楽的にいうと、見よう見まねでクラシックでいうと間違ってるような弾き方だとしても、自分達の音楽を立派に演奏しています。そう考えると音って出りゃ~いいんですよ、という話にもなります。クラシック音楽はかなり特別なジャンルだと思います。形式美というかね。
遊びなら遊びに徹したらいいと思うのですが、すとんさんは望みが高すぎることと、すべてのことに対して同じ結果を臨むから「挫折」という言葉が出てくるのだと思います。きちんとやってもいないことには挫折はないでしょ、と思います。(望みが挫折したかもしれないですが)
バイオリン、好きなら持ってるだけでも、ギーって慣らすだけでも私は幸せになりますけどね。ピアノをポン、バイオリンをギー、トランペットをプー、太鼓をドン、リコーダーをピーなどなど、それだけで「弾いたっ!」って思えます。(こどもかぁ~)
昔、「感受性はどこへ」(柳生 力著)という本を読んだ時に日本人の子供は楽器を目の前にした時、まず「ドレミはどうするの?」って聞くが、外国(その時の例はドイツ)の子供はピアノの前に立ち自分の好きな鍵盤をずーっと弾き続けて同じ音を出して「この音きれいね~!」って言ったそうです。そういう感性って必要だと思います。うまく伝わりますか…。
そうそう、やっぱり見よう見まねっていうのはかなり重要だと思いました。習うというのは理屈を教えてもらうより先生のやってることを見るとか空気を感じるとか、そばにいることで「倣う」ことが多いなあと実感しています。
長々と失礼しました。
すとんさんはフィドルが合っているような気がしますがどうでしょう?
ちょっと大げさな表現で解説しているところがありました
http://www5.ocn.ne.jp/~htf/if.html
クラシックを聴くに堪えうる音色で奏でられうように為るには、寝食忘れて(ダイエットには良いかも)余命すべてを練習につぎ込まねばならないと思います。
仲間内でわいわいと楽しめればいいと思います。
声楽・フルートの演奏会の打ち上げの余興とか・・
>ダリアさん
ヴァイオリン、確かに難しいですわ。中高年のヴァイオリン教室の発表会にはまだ行った事はないですが、なんとなく想像はできます。たぶん、私も一分とは聞いていられないと思います(笑)。
>すとんさんはバイオリンは遊び程度と思っていられるおつもりかもしれませんが実はただの遊びの域でなくけっこう高いところを目指してらっしゃるんだと思います。
かな? 別にアマオケに入りたいとか、室内楽がやりたいとかいう、そんな無謀な望みは(棚ぼたは別として)ありませんよ。私は「自分が楽しいなあと感じられる程度にまで上達」したいだけなんです。とっても分かりやすく具体的に言えば“ジブリ映画の主題歌を、ツァラッと初見で弾いて『楽しいなあ…』と思える程度”になれればいいんです。フルートはだいぶそこに近づいてきました。声楽は…まだまだですね(歌はやっぱりムズいです:汗)。
私としては、そんなに高望みをしているつもりはありませんが、やっぱり高望みですかね?
>今はどちらかというと俗に言う新たな浮気がはじまった状態、なのかなと思います。浮気相手にいちいち本気出してちゃ本命の彼女が・・・・。
私は浮気はしません。常に本気です(笑)。仕事も本気、ダイエットも本気、歌も本気だし、フルートも本気だし、ブログも本気。そこに「ヴァイオリンも本気」が加わるだけです。
いつだか、どこかで書いたけれど、私は気質的には、スペシャリストではなくゼネラリストなんです。もっとも実態は、ゼネラリストというよりも「器用貧乏」だし、それも「さほど器用でない、器用貧乏」なんだと思います。色んな事に首をつっこみたがる人だし、色んな事を同時並行でやっちゃう人なんです。で、飽きるまでは熱心にやり、飽きたらポイ(笑)です。
ああ、実は、合唱やりたいです、チェロも弾きたいです、油絵もやりたいし、陶芸もやりたいです。版画を熱心に誘ってくださる方もいるし、歌集も出版したいです。テニスもやってみたいし、柔道の道場にも通いたいです。船に乗って沖釣りもしたいし、うどんも打ちたい。ひさしぶりに乗馬もしたいし、何と言っても、キツネ狩りをしてみたい。
そんな、欲望の塊の私ですが、今回はたまたま、ヴァイオリンのスイッチが入ったんですよ。そんだけです。
ああ,ヴァイオリン、うまくなりてー。
>ticoさん
>(望みが挫折したかもしれないですが)
これこれ、そうです。私の気持ちをうまく言語化してくださって感謝です。これなんですよ。要は、私の望みが基準なんです。今、望みが挫折しかかっているんです。
>すとんさんは望みが高すぎることと、
かな? 私は根がマジメなんで、確かに「持っていれば幸せ」とか「音が鳴ればハッピー」とかじゃあイヤで「好きな曲のメロディーをサラっと演奏したい」って思っちゃうんですね。それを「望みが高すぎる」と言われれば、それまでですが、自分の中では、全然高望みではなく、これでも結構控え目な希望だったりします(いや、ほんとの話、そうなんですよ)。
>そうそう、やっぱり見よう見まねっていうのはかなり重要だと思いました。
そうですね。今は視聴覚教材とかYouTUBEとかも発達しているので、独学と言っても、昔の独学とはだいぶ様子が違うと思いますが…やはり、生の人間から直接受けるモノとは違いますね。…見よう見まね…大切ですよね。
>クラシック音楽はかなり特別なジャンルだと思います。形式美というかね。
そこはきちんと把握しているつもりです。今更、ヴァイオリンでクラシックに行こうとは思ってます。…が、クラシッククロスオーバーくらいには行きたいです(汗)。
目指せ、葉加瀬太郎! …嘘です。似ているのは体型だけです。
一応、私の中では、ヴァイオリンに限らず、歌もフルートも遊びなんですけれど…一生懸命、遊んじゃうんですね、私って人間は。そういうサガなんだと思ってます。難義な奴なんですよ。
>河童さん
うん、そうかもしれない。フィドルってよく知りませんが、おそらく、そっちの方向ですよ、私がやりたいヴァイオリンって。
…安すモンの楽器を抱えて、ジャズバーでセッションに参加する。確かに、それが私の願いです。ヴィヴァルディには憧れるけれど、コール・ポーターを小粋に奏でたいですね。
>クラシックを聴くに堪えうる音色で奏でられうように為るには、寝食忘れて(ダイエットには良いかも)余命すべてを練習につぎ込まねばならないと思います。
“寝食を忘れて”の部分で挫折です(笑)。仲間うちでわいわい…良いなあ、そこに私の理想があります。
たとえフィドルであっても、きちんとやっておかなければいけない事、マスターしておかないといけない事があるでしょう。そこをまずは押さえておきたいと、今、痛切に感じてます。
東京だとフィドル教室があるみたいですね。都会が羨ましい・・・
バンクーバーオリンピックの開会式でもフィドルの演奏だったと思います(放送の解説ではバイオリンと言ってましたが)。
>河童さん
フィドル教室ですか? 一体、何をやるんでしょ。フィドルもヴァイオリンも楽器としては、同じヴァイオリンでしょ。でも、楽器のチューンが違うかな?
ちょっと調べてみて分かったのですが、ヴァイオリンって、実に幅広い音楽で活躍していますね。そのフィドル(アイリッシュですか?)もそうだし、ジャズやポップスでも使うし、クラシッククロスオーバーなんてジャンルでも主役の楽器です。エレキヴァイオリンまで守備範囲を広げると、ロックなどでも大活躍ですね。
東京は…あそこって、なんでもある町でしょ。世界有数の大都市ですから、東京をうらやんでも仕方ないですよ。それにしても、東京のフィドル教室、ちょっぴり興味あります。
ま、私の住んでいる湘南も、それほど捨てたモンじゃないですけれどネ。
>一生懸命、遊んじゃうんですね、私って人間は。そういうサガなんだと思ってます。難義な奴なんですよ。
了解しました!
そういう解釈でブログを読みますね。こちらも頭使ったりキーボードを打ったりする時間を使ったりするのも結構エネルギー使いますので…。(^_^)b
>ticoさん
? もしかすると、私は誤解されている…かな? 「遊ぶ」って「遊興」という意味じゃなく「PLAY」ですよ。「一生懸命、遊んじゃう」って「一心不乱に全身全霊で打ち込む」という意味だけれど…伝わってますか? 伝わった上での話なら、宜しいのですが…。
一生懸命されているのはよくわかりますよ、ほんとに。私の考え方や人生観とは少し違うと思いますので、否定はしませんが、ちょっと性格?個性?が違うんだなと思っておこうと思います。それぞれの価値観なのでそれが何か禍しているわけではありませんのでお気遣いなく。
強いて言えば
>サガ
>難義な奴なんですよ。
って部分でしょうねえ。サガだったらどうしようもないですから。ご自分でもよくわかって書いておられると思います。自分が納得するようにしか生きられないのは誰しも同じですもんね。それはお互い様ですよね。
なんとかバイオリンについてもご自分の納得点が見つかることを祈ってます。
>ticoさん
そうですね、人の個性はそれぞれですね。私自身、自分の事をどれだけ把握しているかは自信がありませんが、やっかいなところがあるなあとは思ってますし、頑固なところがあるし、怖いもの知らずの猪突猛進な部分があるなあと思ってます。
皆さんのおっしゃる事が分からないわけではないのですが、どうにもコントロールできない部分ってのがあるんですね、だから「難義な奴」なんです。でも、愚か者ではないつもりなので、良い解決策も、同時に常に模索しているわけです。
ticoさんから見れば、なんて甘っちょろい奴なんだと思われるでしょうし、実際、甘っちょろい奴なんですが、それでも本人にとって見れば、悪戦苦闘だったりしているんです。
>なんとかバイオリンについてもご自分の納得点が見つかることを祈ってます。
ありがとうございます。自分自身がどういう形で納得できるか、それこそ、暗中模索です。
最近、フルートを練習する時間が全然ありません!
いわれた練習なんて全然できない。
で、週末にやっているのは音だしですが、練習というより、どうやったらどんな音になるのか遊んでる状態。でもそれやったあとのレッスンって不思議といろいろ楽なんです。なんか発展してるらしい。
師匠につけるのが一番だけど、極めるのではなければもっと気楽でもいいのかなあなんて思います。再短距離ではなくても、のんびり散歩しながらでも。でも性格的に許せないかしら。フルートや声楽に悪影響あるとは考えにくいし。
わたしもばよりんやってみたいです。
>かのんさん
>極めるのではなければもっと気楽でもいいのかなあなんて思います。最短距離ではなくても、のんびり散歩しながらでも。でも性格的に許せないかしら。
基本的にはお気楽に考えていますが、できない自分がちょっぴり許せなかったりします。のんびり習得…で良いと思ってますが、人生の残り時間がさほどないので、その点ではアセリがないわけではありません。
日々、人生のカウントダウンをしている身としては、「これからの人生の中で、今日が一番若い日で、今日が一番可能性に満ちあふれた日」であることは間違いないわけで、そういう意味で、本音では、行き急いでいる部分がないわけではないです。
>わたしもばよりんやってみたいです。
ヴァイオリンは、楽しいですよ。フルートとはまた違った楽しさがあります。しかし、フルートよりも…という言い方はしたくありませんが、実際、ヴァイオリンはかなり難しい楽器だと思います。
ただ、ヴァイオリンとフルートの両方をやっている人って、ネットを見ると、少なからずいますね。ちなみに、声楽とフルートいう組み合わせもないわけではないようですが、声楽とヴァイオリンという組み合わせは知りません。さらに、声楽とフルートとヴァイオリンと…という三つ巴の人は…いるんですか?
この頃のお楽しみ(マイブーム):すとんさんのブログ!
背中を押す人やバケツ水の人がいて、とっても羨ましいです。
ヴァイオリン入門して6ヶ月・・・上手くなりましたよ。
1回の発表会は100回のレッスン・・・急に上達しました。
私 ギター歴50年で10人以上の先生に就きましたが、未だ初級。
フルートとピアノは、1人ずつの先生で、2年位で中級。
歌は、鮫島有美子・安田祥子等に発声法を師事したり、
今でも 月一で谷茂樹に合唱の指導受けてますが 圏外です。
歌以外、上達の差は、先生の性別が、決定的みたいです。
>ももねこさん
老犬ブログを楽しみにしてくださると聞くと…天にも昇るほどにうれしいです。励みになります、サンキューです。
ここのブログの財産は、それこそ、たくさんいらっしゃるコメンテーターなみなさんです(コメンテーターって、コメントをくださる方って意味です)。背中を押す人、バケツ水の人、十人十色で、それぞれに真剣な思いをぶつけてくださって感謝しています。頑固でかたくなに見える私ですが、これでもみなさんのご意見は結構真剣に聞いていて、それで人生が動いている部分もあるんです。今回のヴァイオリン話にしても、私の心/意志に大きな影響を与えてくださっているんです。
「お客様は神様です」という言葉がありますが「読者様は神様です」って感じです。そして「コメンテーター様は絶対神です」かな? いや、ほんと、ありがたい存在です。
さて、
>歌以外、上達の差は、先生の性別が、決定的みたいです。
へえー、それはおもしろい。結局は相性なんだと思いますが、性別は相性を決める大切な要素ですからね。私の場合、あまり性別は考えたことはないですが…もしも先生が若い娘さんだったら、きっとダメだと思う。特に未婚女性だったら、全然ムリかも(笑)。だって…先生に惚れられてしまうかもしれないじゃないですか!(笑) いやあ、先生に惚れられたら、レッスンどころじゃないでしょ、もう気が気じゃないって(爆)!
妄想でした~。
私は独学をおすすめしません(断言)
諸事情で独学じゃないと…という方に対しては、「しょうがないわねぇ」というしかないんですが、でも、基本的におすすめはしません。
先生につくことと、独学については、すとんさんが書いてくださったことがかなり的を射ていると思いますが、それに加えて、「客観的に見てくれる人がいる」ことが重要なのだと感じます。自分の演奏って本当に客観的に見られませんよ。どこまでいけるか分からないけど、上へ上へって思っている私のピアノでもやっぱり、独学(つまり、レッスンを休んで自主練習していた頃)のときは冷静に分析できなかった。これが出来る人というのは本当に少ないと思います。
先生の演奏や音楽に対する姿勢を学ぶという意味もあるんじゃないかな、先生につくってことは。うちの師匠は基本、レッスンのときにあまり細かい注意をなさらないのです。「お前が考えろ」みたいな態度です。でも、現在も演奏活動をされている師匠の演奏を聴く、そしてレッスンの時に垣間見える、師匠の努力されている姿を自分の心に焼き付けて、私も頑張れるわけです。
昔お世話になった先生も、やはり素晴らしいピアニストで、その先生から音楽性などを学ぶことも多かったです。(私が途中で曲がらなければ、この方が師匠になっていたかもしれないと思わせてくれる方です。)
ちなみに、師匠もこの先生も男性で、私とはひとまわりほどの年の差があります。私の性格は、基本男らしい(笑。女性なのに)ので、そういうタイプの先生により、尊敬の念を抱くようです。(中学高校時代、男子とばっかりつるんでて、あんまりオンナノコ扱いされてなかったというのもあるかもしれず)
そうそう、ばよりんはですねぇ、うちのイトコたちが子どもの頃習っていて、発表会に行ったこともあるんですが、「うわ~、めっちゃ大変そう!あたしにはムリ」と思ったので、手を出さないようにしております。オバがばよりんを弾く人で、五嶋みどりちゃんの母節さんほどじゃないけど、めっちゃスパルタだったんです。怖かった~。別のオバは息子(私から見るとイトコ)のばよりんのレッスンをあきらめたそうです。イトコがあまりにもヤンチャだったので。
そういう環境だったので、私も一瞬だけ下の娘にばよりんをやらせようかと思ったのですが、親の関わりがかなりないといけないのでやめました。ピアノすら、上の子では失敗してるので。上の子がばよりんをやるとは思えないし。
やっぱり弦楽器をやるのって、一瞬構えちゃうんですね、私は。
>ことなりままっちさん
>私は独学をおすすめしません(断言)
…ですよね~。私も、基本的には同感です。「声楽を独学で学びます!」って人がいたら「それは絶対に無理だから、お止しなさい」と止めますもん。もっとも「フルートを独学で学びます!」って言われたら「難しいと思うけど、頑張んなよ。行き詰まったら、先生を探すといいよ」ってソフトに忠告するかもしれないけれど(笑)。
ヴァイオリンって、いくら難しいって言っても、所詮楽器だから…と思ってましたが、いやいやどうして、かじってみると、これが案外ムズイのね。フルートよりも声楽寄りな楽器なのかもしれないなあ…と思い始めています。
私の場合、今までに独学で始めた楽器って、どれもこれも大した腕前になる前に辞めちゃってます。人にもよるのでしょうが、私の場合の独学って、その程度なんです。で、ヴァイオリンもその程度でいいのかと言うと…微妙(笑)。
独学はお薦めしませんよねえ……グラグラと心が揺らいじゃいますよ。
ヴァイオリンって、やっぱりスパルタなイメージあります。私もそういうイメージ持ってます。スパルタ教育でないと身につかない楽器なんだろうって思います。だから、オトナから始める、それも老人の入り口に立った人間が始めるので、世間的な高望みはしてませんが、自分的な高望みはしてます。
自分的な高望みと言っても、有名な曲のメロディーをサラサラと弾ければいい程度で、これはフルートなら、さほど造作もないことなんだけれど、ヴァイオリンでは、かなり難しいのかもしれない…ような気がしてます。