…って、別に若い世代をディスるつもりもなければ、ケンカを売るつもりもありません。ただの教育批判の話です。
今の中年~老人世代には、おそらく想像もつかないだろうけれど、日本の教育は、かなり前から、中身が薄くなっています。ジジババ世代では「知っていても当然」の事が、今の若い世代は、たとえ大卒であっても知らないかもしれないって話です。
もっと具体的に書きます。
まず、ゆとり教育以来、小学校の学習内容が薄くなり、1年間で学ぶべき内容が減り、それに伴って、学校での学習時間も減ってしまいました。そのため、かつてはその学年で学んでいた事も、学べなくなり、後の学年に回されるようになりました。ただでさえ、当該学年での学習時間が減っているところに、前学年での学びが後ろの学年に回されるようになったため、高学年に行くほど、学ぶべき内容が後ろに回され、小学校で学ぶべき内容のいくつかは中学校に回され、中学校で学ぶべき事が高校に回されるようになりました。
では、高校に回された学習内容は…というと、高校では多くの教科が選択科目になっていますので、遅ればせながら高校入学以降に学ぶ内容もある一方、選択科目の範疇に入ってしまった学習内容については、選択しなければ、そのまま学ばずに終わってしまう事になります。
例えば、数学で言えば、大半の生徒は、三角関数や指数関数、対数関数を学びません。微分・積分も学びません。数列もベクトルも学びません。統計も学びません。小学校以来の学習内容の後回しを受けて、これらがはみ出してしまい、選択科目となり、そして多くの生徒がそれを(普通は)選択しないので、これらを学ばないまま、高校を卒業しちゃうのです。
もちろん、今言った学習内容は、いちおう、選択科目の中に入っていますので、理系の大学を受験する子や、理系文系問わず、国立大学を受験する子は、入試で出題されるので、これらを選択して学びますが、高校生の圧倒的多数である私立文系志望者とか、高卒即就職組とかの生徒は、これらを学びません。もちろん、文系大学志望者では、これらを学ぶ事はありません。
なので、ジジババ世代が「大卒なら、それくらい知っているよね」という前提である、これらの数学的な事項も、多くの若い大卒生にとっては「何それ? 知らない。美味しいの?」的な事なのです。
数学だけではありません。一部の難関私立大学や国公立大学を受験する子でなければ、理系文系問わず、古典はほぼ学びません。「源氏物語って、サムライが出てきてチャンバラする話だよね」とか「伊勢物語って…伊勢って三重県だっけ?」とか「蜻蛉日記って…昆虫飼育日記?」とか、かなり勉強ができる子でも真顔でこんな事を言ってきたりします。決してボケているわけではないようです。
日本の古典でこのレベルですから、漢文なんてロクに読んだことすら無い子が大半です。三国志の英雄たちはゲームのキャラになっていますから知ってますが、ゲームキャラになっていない、孔子も孟子も孫子も知りません。故事成語の元となっている説話は、まず知らないのがデフォルトです。
話をさらに、理科とか地歴とかに公民とかに広げる事もできますが、くどくなるので止めておきます。ほんと、今の子はジジババ世代が中等教育(高校は中等教育機関なのですよ)で学んだ事を、今の子たちは教えてもらっていないのです。
例外は英語です。英語に関しては、今の子たちは、ジジババたちが驚くほど、深く、充実した内容を学んでいます。昔は大学まで英語を学んでも全然話せないのか普通でしたが、今の子たちは高校生レベルでも、結構ペラペラ話せちゃうんですよ。英語教育に関しては、今の方がすごいです。まあ、悪い言えば、それだけ植民地教育が浸透しているとも言えますが(ほんと、皮肉がキツくてごめん)。
時代によって、求められる教養が異なるので、学校教育もまた変わらざるをえない…とは言えますが、年上の世代が学んだ事を、下の世代が学んでいないってのは、なんか教育の負けと言うか、退廃というか、退化とか劣化と言うか、何とも残念な気がして仕方がないのです。
ま、数学的な考え方とか、古典的な教養なんて、無くても死なないというのは事実なんだけれど…ねえ。
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コメント
この頃は脱ゆとりでまた詰め込みというか、我々のころより厳しくなっているようです。
この三月から大学生の息子がたまたま私と同じ高校だったのですが、教科書の内容もカリキュラムも我々のころと変わらない。理系科目などはむしろ幅が広がっています。
驚いたのは受験指導が一年からあって、土曜や夏休みには副読本で補習。とはいっても、科目は選択なので、時間を選んで部活動と両立させられましたが。
私のときは全くの放任で、進路指導なんてあったの?担任が卒業式の日までクラスの生徒の進学先を知らないありさまでした。
うらやましかったのは、研究活動で、1年はグループ、2年は個人で好きなテーマを選び、1年かけて調査や実験をして、学年末にレポートを出す。大学の先生の訪問指導や、国外の提携高との英語での意見交換もあり。ちょうどコロナにぶつかって人の行き来はできず、オンライン発表だけで残念でしが。
息子に、我々がやってほしいと思ってたことがそろっていていいな、と言ったら、当たり前だ、そっちの世代が先生なんだから、と。
我々が出たのはごく普通の公立です。ということは、やはりゆとり教育のダメージをようやく官サイドが自覚しはじめたか、と。
ゆとり実験の犠牲になった方々は浮かばれない思いだろうな、と考えつつも、とにかく教育改革が順調に進んでほしい。
追加で申し訳ありません。
前のコメントで、三月(四月の間違い)、その他幾つかタイプミスがありましたが、ご容赦願えれば幸いです。
「我々の世代」がいつ頃を指すのか、不明確だったので、(トシがばれて恥ずかしいのですが)
補足させて頂ければ。
いわゆる「旧課程(詰め込み)」最後の年で、数学の分類は数Ⅰ、数ⅡB、数Ⅲ、理科四教科、社会四教科が必修でした。
先ほど挙げた息子の世代もほぼ同様ですが、三年で理系の場合、日本史がなくて数ⅡAが必修。国語も二年までは古文漢文ありでしたが、三年ではその代わりに地学か生物が選択(物理化学は二、三年とも必修)。ここらへんは学校によって変わるかもしれません。
今年の「共通テスト」(理系は忘却の彼方、リスニングは×なので文系のみですが)やってみましたが、問題の難易度は「共通一次」と変わらないようです。ただ、英語のreadingは量は多いけれど常識で解ける範囲でした。
蛇足ながらご参考まで。というか物好きの与太話なので、用のない情報であれば削除して頂ければ幸いです。
英語・数学・国語ができないと
レベルの低い財務・経理しかできない、
と私は思っております。
個人投資家のみならず、
会社として、どこかに投資するにあたり、
(株を買うこともあれば、会社を買収する(M&A)もありましょう。)
リスクとリターンとの、両方を考えねばなりまへん。
リスクとは「標準偏差」であり、
1952年、当時25歳のシカゴ大の院生ハリー青年が博士論文で書いて、
(まあ、博士号取得にあたっては、かのフリードマン教授の横やりがあって、
簡単には取れまへんでしたが、結局、フリードマン教授もOKをくれました)
38年後、ハリー老人はノーベル賞を取るのですが、
この標準偏差っちゅうのを、私大文系ご出身の方々に、
どんなに言っても理解してもらえず、
「はあ? そんなの関係ね~」
「投資を持ち掛けてくる人の『目を見れば分かる!』」と何とか、言われちって、
(これ、実話です)
日々、絶望を感じている私です。
標準偏差が難し過ぎるのか~!?
(/_\;) (/_\;) (/_\;)
(-A-) (-A-) (-A-) ← ざっくぅ
おしまい
如月青さん
高校のカリキュラムは、大半が選択科目で、必履修科目なんて、ほんの僅かなので、学校による違いが大きいです。おそらく、如月さんの息子君の学校は国公立受験を念頭に置いている学校なのだろうと思います。かなり丁寧に選択科目を拾っていますからね。理系で高2まで古文漢文を学ぶなんて、絶対に共通テスト受験を前提にしています。
そういう学校はまだ良いのだと思います。割りとちゃんと勉強しますからね。でも、そんな学校ばかりでは無い…というか、そういう学校は残念ながら少数なのです。
ちなみに、大学共通テスト(って、割りと最近始まった新入試です)は、昔の共通一次並の難しさに回帰したのがウリなんですよ。それ以前の、ちょっと前まで長いことやっていた、センター入試は、ゆとり世代に合わせた、それこそ比較的簡単すぎる試験だったんですね。ですから、昨年、共通テストを受けた受験生たちから「(センター対策しかしていないのに共通テストになったおかげで)急に入試が難しくなった」とボヤキと言うか、苦情やクレームが巻き起こったのです。
というわけで、大学入試は問題が難しくなったのに、今年から変更になった高校の指導要領は、そんな難しくなった大学入試に対応していないと言うか、ますまず座学軽視の内容になったので、勉強する学校としない学校の格差がますます大きくなるだろうなあと思われます…ってか、高校の授業内容と入試内容の乖離が激しくなり、これじゃあ予備校のための指導要領改定なんじゃないかと、私なんかは考えちゃいますよ。
言えることは「勉強しない高校で学んだ大学生たちは、ますますモノを知らなくなってくる」ってわけです。つまり、低学力の新成人たちをたくさん輩出するのが国の狙いなんじゃないかと勘ぐれます。エリートなんて、少なくていいんだもの。
まあ、国民なんて、馬鹿な方が操りやすいものなあ。
オペラ座の怪人の怪人さん
そりゃあ無理ないですよ。標準偏差って、統計を学ばなければ知りえませんし、高校数学では統計は数学Bに含まれるのですが、これはついこの前までは、理系しか学ばない科目だったのですよ。国公立卒の方でもセンター入試の出題範囲には無かったので、大学で統計学を学ばなければ知りませんから、私立文系卒の方々では知り得ないモノなのです。
ちなみに、現在の共通テストでは、文系理系問わず、数学Bは出題範囲に入ってますので、今後の国公立卒の方は、統計の話が理解できるようになると思いますが…相変わらず、私立文系の方は統計の“と”の字も勉強しないまま社会人になるので、分からんちんなまんまだと思いますよ。
統計が、文系理系問わず国公立大学の入試出題範囲に入ったという事は、いくら文系とは言え、統計が分からないままでは何の役にもたたないと、お国も考えたのでしょうね。
むべないかな…。
話を引きずって申し訳ありませんが、昨夜ちょうど息子が帰省したのでカリキュラム構成の話を聞き、他校に行った中学の友達にもインタビューしてもらいました。
私の居住県の公立に限りますが、普通科はどの学校も我々の時代と同じでした。
数学は数Ⅲまで必修
国語は三年まで古文漢文あり
理科4科目、社会6科目すべて3年間のどこかで必修
選択は3年で文理を分けるとき、理系1、文系1にするか理系2にするかのみ。もっとも文系クラスも3分の1くらいは文系枠で数Ⅰをとるので、実質的には理系2の生徒(私もでした)が多い。
カリキュラムを変えなかったのは、学力がどうのと言うより単に面倒だったからでしょう。
息子は理数科だったのですが、ここだけは昔と違い、かなり理系にシフトしています。我々のころは、数学が各学年1時間多いだけでした。
今は社会科から理科への振り替えが多く、倫理、政経、日本史のほか、武道orダンスが数学、物理、化学になっていました。これも皆必修です。選択は昨日書いた古文→生物or地学のみ。
必修の生物、地学は普通科と一緒に1、2年でやります。
ウチの近辺は田舎なのか、私立中に行く生徒が1割もなく、高校も7割以上が公立なので(1970年代のベッドタウン人口爆発時にやたら増やしたつけで、今はだぶついているくらい)、私立のデータがなくて申し訳ありませんが、ご参考まで。
ただ、大学入試に関しては、今も私立文系は楽してる、とひがまれます。確かに私は受験勉強はほぼ英語readingしかやりませんでしたが、昨年はメシのたねに嫌み言うな!と思ったことが度々。
昨夏面談で息子のクラスに行ったら、七夕の短冊の願い事にこんなのが。
「理数科クラスの全員が俺以外文転しますように」
失礼します。先ほど息子から訂正。
(おひきずりもいいところですが、嘘を言ってはいけないので)
公立でも文系なら、数Ⅲをやらない学校もある。ただ、その時間数Ⅰ・ⅡBの復習をするので、数学の時間数は変わらない。
理数科でも三年で古文漢文はやる。ただ、理系選択で国語の時間が減るので、内容はどうしても現代文中心になる。
以上。長々と失礼しました。
如月青さん
息子くんの学校は、真面目というか、実に無骨な学校だと思いますよ。うらやましいです。
今の高校は、数学に関して言えば、数学ⅠAは必履修科目なので、どんな学校でも学びますが、それ以上はやる必要はないので、私立文系受験希望の生徒を相手にしている学校では学ばない方が多いです。と言うのも、受験に必要ない科目を強制的に学ばせると、モチベーションが下がったり、成績が悪くなる生徒が出てくるからです。
ただし、国公立大学受験生を抱えている学校は違います。文系でも数学ⅡBまでは入試に出ますから学びますし、理系なら当然数Ⅲまで学びます。如月さんの息子くんがおっしゃるように、数Ⅲを学ばない文系の子は、理系の子が数Ⅲを学んでいる時間に、数ⅡBまでの問題演習をたっぷりやる学校も多く、そういう学校では、文系理系問わず、数学をたっぷり勉強していたりします。
古文漢文に関して言えば、私立文系であっても古文漢文を入試に出さない大学は山のようにあります。その上、古文漢文は必履修科目ではないので、全く学ばなくてもいいし、学ばない学校はたくさんあります。理由は…数学のところで述べた通りです。一方で、文系はもちろん、理系であっても、古文漢文は国公立大学では出題されますので、高3までしっかり学ぶ学校もあります。
つまり、どんなレベルの生徒たちが通っているかで、高校は学ぶ内容が変わるわけです。国公立を受験する生徒なんて、高校生の中では、ごくごくわずかです。大半の生徒は私立文系の受験を希望しますし、大学受験をせずに高卒で社会に出る生徒だってたくさんいるのが、日本の実情です。
その上、生徒の学習に関するモチベーションは、地域差も当然あるでしょうし、学校以外からの情報がどれだけ入っているかでも違ってくると思いますし、塾や予備校の影響だって計り知れません。
私個人は、可能な限りたくさんの科目を学生時代に学ぶべきだと思いますが、人間は楽をしたい生き物だし、不要な努力はしたくない気持ちも理解できますので、受験と卒業に不必要な科目の勉強を極力避けたいという人の気持ちも分かります。
今の高校は、公立であれ私立であれ、受験生に選ばれるわけですから、競争の厳しい都会ほど、各学校ともに特色を出すのに一生懸命です。受験生に選んでもらうために、生徒の実態に合わせてカリキュラム(時間割の事ね)を作っていくのに汗をかいているところが多いのです。
その結果、言いすぎかもしれませんが、何も学ばずに高校を卒業して、大学を卒業して、そのまま大人になってしまう人がたくさん生まれてしまったのだと思います。
はっきり言っちゃえば、これもゆとり教育のツケなんですよ。
>今も私立文系は楽してる、とひがまれます。
いや、実際、私立文系大学の多くは、定員割れをしていますので、ロクに勉強しなくても入れますから(笑)。
こんばんは。
教育業界はただの通りすがりですが、「円周率は3」という話題は記憶にあります。
詳細は不明ですが、これだけ話題になるのは何かあったとしか思えません。
円周率は3は、2002年度実施の小学校学習指導要領の改訂にともなって、日本の算数教育にてそれまで3.14と教えていた円周率の近似値を3と教えることになった」という内容が世間に広まった事象
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E5%91%A8%E7%8E%87%E3%81%AF3
とされています。
で、2003年の東大の入試問題
円周率が 3.053.05 より大きいことを証明せよ。
https://manabitimes.jp/math/880
この証明はもしだされたら現役当時でも解けません。
こちらは東大は受けていませんが、問題としてはメチャオモロイです。
失礼しました。
tetsuさん
円周率が「3」ってのは、当時散々話題になり、どちらかと言えば否定的な意見が多く出された印象がありますが…私は当時から「円周率なんて3でもいいじゃん」とか思ってました。「3」であっても「3.14」であって、たいした違いじゃないと、ザックリ考えていたからです。まあ、基本的にズボラな私なのでした。「だいたい分かれば問題なし」って判断でした。もちろん、試験の時はそんなわけには行きませんでした…が。
>円周率が 3.053.05 より大きいことを証明せよ。
全くお手上げです(汗)。証明問題は、論理的な思考が丁寧にできる、本当に賢い人じゃないと解けないんだよね、私のような直感で生きている人には、向いてません(笑)。