音楽の演奏において、表現力と技術力のバランスって大切ですよね。
表現力は必要だし、奏者の気持ちを音楽に乗せて伝えるというのは大切です。で、その一方、それらは的確なテクニックがあって初めて成し得るものであって、気持ちだけあっても、テクニックがなければ、ただの独りよがりになりかねません。
技術力って大切ですね。技術が無ければ、演奏する際に何も出来ないと言っても過言ではありません。しかし、技術力ばかりが突出しているのも問題です。こんなに高い音や低い音が出ますとか、こんなに指が動きますとか、こんな超絶技巧もへっちゃらです…というだけで、肝心要の奏者の気持ちの入らない、スカスカの演奏を聞かせてもらって「へえー、お上手なんですね(棒読み)」で終わっちゃいます。
要はバランスなんのです。きちんとした技術力の裏打ちのある表現力が、音楽の演奏では求められるわけです。
概して、オトナの初心者は、気持ちばかりが先行して、技術が伴わない演奏をしがちで“痛い”演奏になりがちです…かつての自分がそんな感じでした。ああ、恥ずかしい。気持ちを爆発させる前に、地道に技術を磨きましょう。
逆に子どもの初心者は、演奏に心が入らない事が多いです…ってか、最初っから演奏に心が入っていたら、その子はたぶん天才児です。子どもって、人生経験が無いからね。気持ちを込めたくても、込めるべきネタが無いんだよ。そこが子どもの演奏の欠点であり、同時に可愛らしさでもあるわけだけれどね。
一つの事を10年も続けていれば、そろそろ初心者を名乗れなくなります。その時には、表現力と技術力がいい感じでバランス取れているのが理想ですが…私の場合は、まだまだ痛さがあるんだよねえ(涙)。
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コメント
表現力と技術力、というのは、
心(こころ)と
技(わざ)と、言い換えても良いのでしょうね。
技、技術、テクニックというのは、練習すれば習得できる、
あるいは、練習しないと習得できない、
とにかく、練習あるのみ、なんでしょうなあ。
では、心、表現力というのは、どうやって習得するのかしら?
本物の、素晴らしい芸術にたくさん接する、とか、
古今東西素晴らしい小説をたくさん読む、とか?
夏目漱石やシェークスピアをたくさん読むことが、
ピアノの表現力向上に役立つ?とは思えませんが、
まあ、読まないよりは読んだ方が良いのでしょう。
世のため、人のため、弱者のために働きたい、
という「熱い心」を持っていても、
司法試験合格という「技術」を持っていなければ、
弁護士にはなれまへん。
熱い心が、司法試験合格という「技術」習得のモチベーションにはなるのでしょう。
一方で「心なんて不要、技術があれば良い」という職業もあって、
例えば「将棋」、羽生さんは「将棋は頭脳ゲーム」と割り切っていて、
それに対して谷川さんは「将棋にも心は必要」みたいなことを言っていましたが、
若き藤井三冠は、どう思っているのかしら?
私がやっている「経理」も基本的には、心は不要、技術は必須、なのですが、
そこはそれ、サラリーマン社会。
上に気に入られれば、アホでも偉くなれます、なんてね。
長々と失礼しました。
ヽ( ̄▽ ̄)ノ ヽ( ̄▽ ̄)ノ ヽ( ̄▽ ̄)ノ
(-A-) (-A-) (-A-) ← ざっくぅ
おしまい
オペラ座の怪人の怪人さん
そう、まさに「心と技」の問題だと思います。
それにしても、心はどうやって豊かにするべきでしょうか? 真面目に考えると…分からなくなります。いや、そもそも、心って豊かにしたり、鍛えたり、磨き上げる事ができるモノなのかしら? 年を取れば自然と豊かになる? なわけないよね、心がガサガサな年寄りなんて掃いて捨てるほどいるからねえ…。
>上に気に入られれば、アホでも偉くなれます、なんてね。
ジジイ殺しも才能のうち…だと私なんかは考えてます。でもそればかりで、本業に関するスキルがからっきしだと…敵ばかり作ってしまいますから、そこもまた難しいところでしょうね。
でも、どうやって心って豊かに育てる事ができるんでしょうね?