最近は、脱力を課題として自宅練習を重ねてます。脱力というのは、意識すればするほど難しいやっかいなもので困ってます。かと言って、意識しなければいつまでもカチンコチンのまんまだし…。
まあ、クチビルとかアゴとかのよく見えるところならともかく、身体って全てが外側から見えるわけではないからねえ…。意外なところが力んでいたりして、なかなか自分では判別できないよね。
そこで、過去「力が抜けて良い声だしているねえ…」みたいな事を言われた時のことを一生懸命思い出したところ、一つの共通点を発見。それは…
まるで声が自分から離れてしまったような感じになって、なんとも頼りなげな時 によく言われた。
そういう時って、自分では全く声が出ていないような気がして、不安で仕方がないのですが、そう言えば、そんな時に限って「声がよく出てた」とか「声が響いていた」とか「部屋の反響を上手に使ってた」とか、こちらが意図していなかった誉められ方をして、鳩が豆鉄砲を喰らったような感じだったんだよね。もしかしたら、あれなのかな…?
ただ、これにも注意が必要で、「口先だけで歌わないで」とキング先生に注意される時も、自分的には似たような感じだった。たぶんこの二つは、近いのだろうけれど、決定的に違うんだろうな。
て、ことは…、声を身体から離して、なおかつ、アッチョンブリケができれば、良いのかな?
理屈として、そうであっても、なかなかできないものだよね。難しいです。
[2008年9月7日追記] 下のコメントの中で、私が声区について分かりづらいと書いたところ、さっそく松尾さんがご自分のブログの中で、声区に関する記事お書きくださったので、さっそくリンクを貼ります。松尾さんの声区に関する記事はこちらです。ありがとうございました。
コメント
仕事の合間に携帯より。
テノールとソプラノの出し方が違う点もあるので参考になるかどうかはわかりませんが・・・。
先日有名声楽家兼教授の公開レッスンでの指導では、「ヘ−イ」とホールの端にいる人に届くように呼びかけその喉の形のまま母音の発声に持っていく方法をやってました。「ヘーイー−イ」という感じ。音の高さは「ソーミーミ」で頭の1メ−トル上に音を飛ばすというより上から音が出てる感じ。高さは人によりけりでしょうが喉を開けないと出せない高さで始めて一つずつ喉を開けたままで下がっていく・・・・低い音から上がるよりやりやすいはずです。音が下がるにつれドあたりから喉の開きが小さくなってしまうことが多く意識して開けることが必要とのこと。
公開レッスンはみんな聴講料を払って聞きに行く(私など東京まで交通費まで払って)わけだからあまり詳しくネットに書くのは気がひけますが・・・。
>あゆみさん
喉を開けるという行為と、声が自分から離れたところから出るのは、やはり関係ありそうですね。自分のやっていることが、まんざら間違いでもなさそうなので、ほっとしてます。
ソプラノとテノールはやはり違うなあと思うのは、テノールはソプラノと違って、音が上がるにつれて、喉の開きが小さくなる傾向の方が強いです。たぶんそれはテノールが男性だからじゃないかな。男って、難しいと感じると、とりあえず「力ずく」でなんとかしようとする傾向があり、それが「喉を締める」という行為につながってゆくと思います。
音楽と女性は、力づくでどうにかなるものではないと、重々承知していても、ゴリ押ししてしまうものなんです、男って。
公開レッスンの件は、無理にネットに書くこともないでしょうが、書いたとしても、全然問題ないと思いますよ。というのも、音楽のコツというのは、文字で書いて伝えられるものって、ごくわずかだと思います。結局「先生から直接、口伝で教えてもらったもの以外は、さっぱり役に立たない」でしょ。文字情報はヒントにはなるけれど、所詮ヒントでしかなく、それで何かが正しい方向に大きく変わるということはないです。間違った方向に大きく変わることはありえますが…。
だから公開レッスンの内容を事細かにレポートしてネットにアップされたものを読んだところで、実際にその先生の指導を見聞きした人には遠く及びませんって。そんなもんでしょ。
じゃあ、このブログは何だと言われそうですが、ここは基本的に私のための備忘録だし、さまざまな理由で先生に付く事できない人たちに、ちょっとしたヒントになるような、声楽&フルート学習の小ネタを集めたブログだと思ってます。
音楽のコツが文字情報だけできちんと伝えられるなら、みんなお金出してレッスンに通ったりしないって、でしょ?
確かに男声と女声では出し方が違うのか一時期バリトンの先生に教わったこともありましたが、あまり上手くいきませんでしたね。この先生以外はみんなソプラノの先生につきましたが。
さきほどのすとんさんのテノールの喉の開きが小さく・・・云々のところですがおそらく胸声との境目のブレイク位置がファあたりなのでその上と下の必要とする音域の違いによるのでしょう。(個人的意見)
このブレイク位置で一番苦労するのがテノール、メゾ、アルトとのこと。ソプラノレッジェーロはこの上の位置だけでほぼことたりてしまうのでこのブレイクの苦労とは無縁です。私はメゾなので苦労しましたね。
さてパソコンやってないでフルート練習しなきゃー。
>あゆみさん
個人的意見は正解でしょう。きちんと訓練されていれば、どうということもないのかもしれませんが、まだそれほどでもないと、ドンドン喉が狭くなってゆきます。で、そこを“力づく”でなんとかしようとすると“テノールの雄叫び声”になるわけです。
はた迷惑だし、喉にも負担大なんですが、これに生きがいを感じているテノールも少なからずいるので、合唱指揮者は頭を抱えてしまうのですね。
私の場合、ブレイクの苦労は乗り越えました(それでも毎日毎日やって1年以上かかりました)が、その上の声がまだまだ全然弱いので、そこを強化中です。
音楽って、一つの技術をものにするだけでも、えらく時間がかかりますね。いやあ、気が長くないと、音楽は趣味にはできませんな。
To Ston & Ayumi
ここでも話題にのぼっているように、声を創るためにはどうしても声区の問題に取り組まざるを得ないでしょう。あゆみさんが指摘していたようにブレイク(換声点)の問題と声区の問題は未だに論議を呼んでいる問題の一つです。
コーネリウス・L・リードのベルカント唱法(音楽之友社)に詳しく述べられていますが、現在ではこれ以外の考え方もみられるようです。
Voce di petto(胸声)とVoce di testa(頭声)をどのように考えるかによっても声の創り方に違いが出てくるでしょうし、ファルセットについての認識も声作りに差が生まれるでしょう。
それにしても声区の問題は声を創る上で理解しておかなければならぬ大切な問題だと思います。
松尾篤興
>松尾さん
声区の問題は大切な問題なのでしょうが、同時に分かりづらい問題でもあります。
と言うのは、まず「感覚的につかめない」こと。次に「人によって、本によって、同じようだが違うことが書かれている」こと。さらに「男女の声を同一に考えて良いのか、別物と考えた方が良いのか」など、いま一つスッキリしない部分があります。このあたりで私は分かりづらさを感じます。
「声を身体から離す」という言葉が私にはなかなか伝わりにくいのですが、私が感じていることから推察すると、別の言葉になります。
歌っているのは自分のはずなんだけど、あまり歌っているという自覚がなく、どこか遠く(距離的に遠くなくても身体の外)から聞こえてくるような感じ。
うつ伏せのためいきの練習ではそれを目指して小さく低い声で全く力を抜く練習をしています。でも、レッスンで一生懸命歌う時にはノドの力を抜いていたとしても、身体から空気を押し出すポンプの力などから、やっぱり歌っているのは自分なんだという自覚があります。(笑)少なくとも、歌のことを考えている自分はちゃんと認識していますのでねえ。(まだ自分のやってることを忘れるほどではないです。(^O^))
>ticoさん
言葉というのは難しいですね。ticoさんのおっしゃっている事でだいだい当たりだと思います。
ticoさんのコメントに触発されて、記事には書かなかったことを、もう少し付け足すと、私の場合、自分の声が外から聞こえてくるのにプラスして、自分じゃない誰か(女性だと思いますが)がどこかで私と一緒に歌ってくれる気がするんですね。
全くオカルトっぽい表現ですいません。でもこの一人デュエット状態が「声を身体から離す」って感じなんです。さらにオカルトっぽい表現をすると、幽体離脱して守護霊とデュエットする感じなんです。
ますます分からないですね(笑)。