昨今、私の中で絶賛沸騰中ワードが“子供部屋おじさん”です。まあ、私自身は“子供部屋おじさん”ではないけれど、結婚していなけれど、きっと私も“子供部屋おじさん”になっていたかもしれないと思うと、彼らに強くシンパシーを感じてしまうのです。
で、そんな“子供部屋おじさん”ですが、似たような言葉に“パラサイトシングル”という言葉がある事に、先日、ふと気づきました。
“子供部屋おじさん”と“パラサイトシングル”…確かに高齢独身者を指す言葉ですが、なぜこの2つの言葉が、即座に私の中でつながらなかったのかを考えたところ、この2つは似ているけれど、あれこれ違っていて、その違いの方に意識が行ってしまい、これらが縁語である事に気づかなかった…というわけです。
では、これら2つの言葉のどんな点に、私は違いを感じていたのか?
まずは“パラサイトシングル”ですが、これは“パラサイト”=“寄生”という言葉から分かる通り、自立したいけれど自立できない…というニュアンスが言葉に込められていると思いますし、当時、ニュース等で取り上げられたパラサイトシングルの例が、低収入女性が多かった事もあって、この言葉を聞くと、低収入で親元から独立できず、かと言って、結婚するわけでもなく、両親の扶養の元で生活している女性の姿が思い描けます。若いうちは、親にただ養ってもらうだけですが、やがて両親も年を取り、現役引退をすると、両親の年金で家族が生活するようになり、やがて両親の介護生活が始まり…というのが、私の持つパラサイトシングルのイメージです。
一方、“子供部屋おじさん”には、低収入のイメージはありません。もちろん、収入の無い人もいれば、実質的には、パラサイトシングルと内容的に変わらない人もいると思いますが、そればかりでなはく、案外、在宅ワークをしてそれなりに稼いでいる人もいるでしょう。つまり収入的には、稼いでいる人もいればそうではない人もいるので、必ずしも定収入ってわけじゃないのです。
なので“子供部屋おじさん”のイメージって“便利だから自宅に下宿している独身男性”というイメージしかありません。自立できるとかできないとかの問題ではなく“子供部屋おじさん”である事が、便利だから、自立したくない人たちなんです。
中にはひきこもっているオジサンもいるでしょうし、親の年金を当てにして暮らしているオジサンもいるでしょうが、一方で(意外な事に)平日は普通に社会生活を過ごしている“子供部屋おじさん”も大勢いるそうです。そうなると“ひきこもり”とも違うって話になります。
なんでそんな人も“子供部屋おじさん”をやっているのか…と言えば、息子にとって親元って楽でしょ? 子供部屋という自室があれば、何も他所でアパートなんか借りなくてもいいじゃん。自宅なら、家賃掛からないし、好き勝手に時間も使えるし、家事一般面倒みてくれる母親という存在はいるし…なら、自立できても自立したくないじゃない?
“パラサイトシングル”が失業者の一形態だとしたら“子供部屋おじさん”は親離れしていない坊やなだけなんです。
これは大きな違いです。もちろん、両者ともに“高齢独身者”という枠組みの中の存在だし、パラサイトシングル化している“子供部屋おじさん”もいるでしょうが、本来的にこの2つは似て非なるものだと、私は思っているわけなのです。
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