声楽のレッスンの続きです。曲の練習に入りました。
最初は、ベッリーニ作曲の「Bella Nice,che d’amore/美しいニーチェよ」です。Y先生に「まだ歌っているんですか?」と言われるほどに、長期間歌っていますねえ…。とにかく、今日で終わりにするから、最後に通して歌いましょう…と促されて歌うと…あれこれ不満点が噴出しちゃうわけで、結局、次回もまだ歌う事になりました。
終わりにならない理由として…圧倒的な練習量の不足のため、歌の細部がかなりいい加減になっているからでしょう。
例えば、同じ歌詞だけれど、繰り返しをすると音程が違ったり、リズムが違っていたりする箇所があるのですが、そのあたりが実にアバウトになっています。自覚はありますが、ついついアバウトに歌っちゃうんだよね。ダメじゃん。
音取りが不十分な箇所があります。特に臨時記号で半音になっている箇所がアバウト過ぎ。そういう箇所こそしっかり音を取って、ピアノに音をぶつけないといけないのに、ついつい歌いやすい和音の中の音に変えて歌っちゃいます(つまり、ちゃんと音が取れていないわけです)。これも練習不足と音感の無さが原因です。絶対であれ、相対であれ、音感があれば、こんな箇所、練習してなくても歌えるんだろうなあ…と思うと、音感不足は練習で乗り切るしかないのに、その練習が不足しているんだもの、なんの言い訳もできないよね。
上行音型では、しっかり息で声を支えること。これは不十分ながら、なんとか形になっていますが、問題は下降音型の時です。下降音型では、ゆっくり腹圧を緩めながら歌うのだけれど、これをついつい緩めすぎてしまうのです。実際は緩めるにしても、気分的には緩めずにキープしすぎるくらいでちょうど良いのに、私は「ああ、やっと下降音型だ…」と思うと、無意識にカラダが緩むようです。ダメですね。
とにかく、息の流れと支えさえしっかりしていれば、歌なんて簡単に歌えるもの…らしいです。でも、その息の流れとか支えとかが難しいんだよね。特に息の流れでは、1フレーズを1音であるかのように、途切れさせずにレガートに歌わないといけないのです。
さて、次は同じベッリーニの「Almen se non poss’io/もし私ができないなら」です。
この曲には、あっちこっちに細かい音符が連続して黒くなっている箇所があるのですが、そういう箇所こそ、きちんと音を取って歌ってほしいとの事です。私の場合、そういう黒くなっている箇所の入り口と出口の音はひとまず帳尻合わせ的に合っているのですが、その間の音が実にアバウト(汗)。そういう間の音までもきちんと音を取って歌ってくださいという、至極まっとうな要求が先生が来ました。そりゃあそうだよねー。
で、先生がおっしゃるには、中間部の音程がいい加減なのは、声をしっかり息で支えていないからであって、声をしっかり息で支えてあげれば、自然に音程は合ってくる…という事なのです。つまり、悪いのは音感はもちろんだけれど、息の支えがダメダメって事なのです。
支えは常に必要で、高音箇所とか上行音型だけでなく、下降音型でも中低音箇所であっても、どこであっても必要で、歌い始めから歌い終わりまで、程度の差こそあれ、しっかり支えていかないといけないのです。…が、私、どうにも無意識でお休みしちゃうみたいで、そこがまだまだなんですね。
最後まで気合と支えは抜かない事…ってわけです。
とりあえず、今の所、ベッリーニの歌曲を中声用で歌っているわけですが、これは各種歌唱テクニックを身につけるため、あえて楽な音域の歌を歌っているわけです。高い音があると、意識が高音にばかり行ってしまうけれど、歌にとって必要なのは、高音を見事に出す事よりも、中低音域をきちんと歌うことであって、まずはそちらのマスターを優先しましょうって事のようです。で、ある程度、中低音域を無意識レベルで無理なくテクニカルに歌えるようになってから、改めて高音にチャレンジしていけるのが良いですね…って事であって、だから今は高音の無い曲を歌っているわけです。
まあ、確かに高音の無い曲は、歌っていて楽だし、心にも余裕ができるし、勉強のためには(若干物足りなさも感じないわけじゃないけれど)大切な事なんでしょうね。なにしろ、高音が無いからと言って、じゃあその曲を完璧に歌えているかと言えば、決してそんなわけはなく、まずは完璧(とは言わないまでも、完璧に近く)歌う事ができるようにならないといけませんからね。
いつまでたって、なかなか歌は上達しない私です、とほほ。
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