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声がカラダに残らない

 一般的に「録音された自分の声は、自分が知っている自分の声とは違う」とよく言われます。

 これは何も主観的に感じた違いだけでなく、理屈としても、その違いは説明できるんだそうです。

 録音された声とは、自分のクチから音波として実際に外界に出ていった声であり、録音のみならず、他人が聞いている声というのは、この声の事を言います。これを専門用語では、気導音と言います。

 一方、自分で聞く自分の声と言うのは、もちろん、外界に出ていった声が周囲の事物に反射して聞こえてくるモノも含まれますが、それよりも、声帯振動が体内を伝わって、直接内耳に到達して聞こえている音波(こちらは専門用語で骨導音と言います)の方が音量的に大きいと言うのだそうです。さらに、体内は空気の部分よりも、体液や筋肉脂肪および骨の部分の方が多くて(当たり前)、音がこれらを通過すれば、空気中を伝わった時とは変質するわけで、その結果、音色が変化してしまいます。

 その音色が変化した声を普段から聞いて、それが自分の声だと思っているので、外界に出ていった声を録音して聞くと「なんか変」って思うそうなのです。

 実際、私も声楽を始めた頃…その頃から、レッスンや練習風景を録音していましたが、そこで歌われている私の声を「変だな、奇妙だな」と思っていました。確かに自分の声だけれど、なんか変な聞き慣れない音色だなって思っていたわけです。

 実際、その感覚は長く続きました。やがて録音をたびたび聞くうちに、録音された奇妙な声が自分の声であるという認識を持てるようになったけれど、それでも私自身が普段から聞いている自分の声とは明らかに違っていて、聞き慣れたとは言え、違和感がいつまでも消えずに残っていたのです。

 しかし先日、気がついたのですが、その違和感が消えていました。いや、消えたのは違和感ではなく、奇妙に聞こえた声の方だったのです。

 私が聞いている自分の声と、録音された声、厳密にはまだまだ違うとは思いますが、それでもだいぶ似た感じの声に感じられるようになり、それで今まで感じていた違和感が消えたのです。つまり、自分で聞く自分の声と、録音の声が、ほぼ同じ声に聞こえるようになったのです。

 要因としては二つあると思います。

 まず一つ目の要因は、私の耳が開くようになってきた事です。人の感覚って、案外、意識しないと活用されないものです。話したり歌ったり、楽器を演奏している時もそうだけれど、そういう時って、話す内容に気を取られていたり、上手に歌おうと集中していたり、楽器だったらミスプレイをしないように気を張っていたりするわけです。そういう時って、脳が勝手に聴覚を遮断して、外界からの音を聞かなくなる/聞こえづらくなるです。でも、そこは訓練であるとか、意識付けとかで変える事ができるわけです。私の場合は、歌とかフルートとかを演奏する時に、なるべく外界からの音(周囲の事物に反射して聞こえる、声とか演奏音)を聞くようにしていました。むろん、最初はなかなかうまくできませんでしたが、やがて自然にできるようになりました。

 時期的には…キング先生のところを辞めたあたりからかな? あの頃から、自宅練習に大きな姿見を用意し、この鏡に向かって歌い、鏡からの反射音を聞くように練習方法を変えたからです。先生に声を聞いて修正してもらえなくなったので、自分で自分の声をリアルタイムに聞いて修正していこうと思ったからです。

 で、二つ目の要因は、これはごく最近の事ですが、体内経由の、あの奇妙な声が、聞こえなくなった事です。

 「え? なに?」って感じですが、ざっくり言っちゃえば「体内に声が残らなくなった」と言った感じでしょうか? 声がすべて音波になって、カラダの外に出ていってしまって、自分のカラダの中に声が残らないって感覚なのです。

 ですから、周囲の物音が大きな場では、自分が歌ったりしゃべったりしても、自分の声が何も聞こえなくて、とても不安に感じるようになりました。雑踏などで話していると、自分の声は自分にはほとんど聞こえなくて「こんな小さな声で話していて大丈夫だろうか?」と不安になるのですが、実際、私の声そのものはとても通るらしく、他人にはよく聞こえるそうなのです。自分には聞こえないのに、他人に聞こえる声ってのも、なんか変な感じですね。

 だから、私は内緒話が出来ません。自分では声をセーブしたつもりでも、かなり馬鹿でかい声で周囲に筒抜けになってしまうからです。

 あんまりに声がデカイので、難聴じゃないかしらと疑った事があります。ほら、難聴の人って、本人無自覚でやたらと大きな声で話すじゃない!

 で調べたところ、事実はむしろ逆で、私の聴力はどうも平均以上に良いようです。だから、耳が悪くて大声になってしまったわけではありません。自分で思っている以上に、私の声は通りが良い…ってだけなのです。

 おそらく、話し声も含めて、私の声は今、かなりの高水準で空気の疎密波(音波)に変換されてしまい、体内を振動させる事が少なくなったのではないでしょうか? 声帯振動を空気の疎密波に変換するのが上手になった…と言えるのでしょう。体内を振動させていたエネルギーも空気の疎密波に変換できるようになれば、そりゃあかなりの省エネで大声になるわけです。

 たぶん、これは良いことなんだろうと思います。しかし、合唱や斉唱の時に、ほんとに自分の声が聞こえなくて、不安にかられるのは、精神衛生上、全くうれしくないのでした。

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コメント

  1. アデーレ より:

    録音した歌声も嫌いだったけど、話し声はもっと嫌いでした。歌声は慣れてきました。まだ良い声だな、とまでは認識する感じではないけど、、ああ、この声よね。ってね(笑)
    先生と交互にきいてごらんなさい。自滅しますよ〜〜、なんだコリャ、この声は、と。しかし、部分で中には、この感じ少し先生に近い!とかあるかと。そこを覚えて練習してみる、なるたけ全部、先生っぽい発声を目指す、だから自分の声と先生を交互に、辛くても聞いてみてます(笑)
    いやあ、拷問だけども(笑)そんな効果はあると思うの、すとん様はいかが?

  2. すとん より:

    アデーレさん

     良い声は…これから作っていくんだと思います。もちろん、持ち声の良し悪しはあるけれど、深みと響きを加えていけば、たいていの場合、それなりになっていくんだと信じています。

     先生と声を較べて…自滅って、そりゃあ、あちらはプロですからね。人生をかけて磨き上げた歌声と、趣味のオジサンオバサンの歌声なんて、違って当然なんです。むしろ、そんなに違わないなら、その先生に教えてもらう意味も必要もありません。拷問…というよりも、そんな良いものを身近で聞かせてもらって感謝感謝と思ってます。

     プロとアマで違って当然とは言え、プロの声は、我々アマチュアにとって、一つの目標にはなるかもしれません。もっとも、私の場合は、声種自体が違うので、目標にならず「先生の声、かっこいいなあ」で終了です(笑)。

  3. れゆす より:

    目には盲点という見えない部分がありますが、見えない部分を反対側の目が補ったり片目で見たときなどは脳が周りの画像から補完して見えているようにしてしまうそうですが、聴覚も脳がコントロールしているので、自分自身の中に響いている声と実際に発している声とのギャップを、録音された自分の声を繰り返し聴くことで脳が擦り合わせによる補完を行ない、ギャップを埋めていくのかなぁと思いました。

    私も昔から録音された自分の声に違和感があったのですが、録音された自分の声を聴くことで違和感が無くなるとは盲点でした。

  4. すとん より:

    れゆすさん

     録音を繰り返して聞くことで、最初は違和感バリバリだった自分の声を聞き慣れて、受け入れて、認めるようにはなりますが、声その物は自分が聞き知っている声とは全く違いますから、いくら録音を繰り返して聞いて、その声に慣れても、やっぱり違和感はなかなか消えないと、私は思っています。

    >、自分自身の中に響いている声と実際に発している声とのギャップを、録音された自分の声を繰り返し聴くことで脳が擦り合わせによる補完を行ない、ギャップを埋めていくのかなぁと思いました。

     そういう事もあるかもしれませんし、そういう人もいると思います。

     ただ、私の場合は、記事に書きましたが「耳が開く」ようになった事と「発声が変わった」ことで、骨導音を聞かなくなり、気導音をメインに自分の声をリアルに聞けるようになった事が、一番大きな要因だろうと思ってます。

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