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すとん前史 その2

 やがて私も中学校に入学し、いわゆる思春期に突入しました。私を取り囲む友人たちも、単純に近所に住んでいるだけの子どもたちから、趣味が共通していたり、気が合ったりするような、今でも付き合いのある、本来の意味での友人たちへと変わっていきました。

 中学に入り、私自身は(親が運動部へ強制的に入部させたので実は仕方なく)バスケットボールを始めましたが、その頃の友人たちは、たいてい吹奏楽部の子たちでした。たぶん、私は吹奏楽をやりたかったんですよ。私が通っていた学校の吹奏楽部は、学校備品の楽器がほとんどなくて、基本的に楽器は自前だったので、貧しい家の子である私は、どっちみち吹奏楽部への入部は無理だったのだけれど…ね。なにしろ、バスケットボール部に入ったいいけれど、部で指定されたバスケットシューズを「高い!」のひと言で買ってもらえなかった私は、バスケット部員ながら、試合には出させてもらえなかったくらいだからね。なので、私は三年間、いつもベンチでスコアラーをやってました。ああ、今思い出して悔しいねえ…。

 吹奏楽部のS君とは、本当に気が合って、よく一緒につるみました。彼の影響で、ギターを始めたし、彼の影響でガロをはじめとする当時のフォークソングを聞いて、彼の影響で洋楽であるカーペンターズを聞きました。

 ギターと言っても、当時の話だからフォークギターです。別に先生について学んだのではなく、レコード屋の壁に吊るしで売られていたおもちゃのようなギターと教則本を購入して(このあたりの話は、以前書いたような気がするので今回は割愛します)、一生懸命に練習しました。

 最初に普通に弾けるようになった曲は、たぶんこれです。

 井上陽水の「夢の中へ」です。この曲は今となっては、多くの歌手たちがカバーする名曲ですが、これが原曲オリジナルですね。まあ、フォークギター1本で弾くなら、いい感じだよね。でも、この曲を練習して家で弾いていると、よく親父にゲンコツで殴られました。当時の私は、ギターは下手くそ、歌もたぶんひどかったんだと思います。ひどい歌を聞かされて不機嫌になって殴っていたんだと思います。

 誰でも最初は初心者なんだがな。

 最初のバンドも、S君と組みました。S君はドラムスで、私はギター。もう一人M君というのがいて、彼もギターでした。、つまりギターバンドね。で、ベースとヴォーカル(笑)がいなくて、募集をしていたけれど、集まらなくて…中学生のバンドなんて、そんなモンだな。で、ギターとドラムスだけ、でヴォーカル無しのままでよく練習していました。

 当時よく練習していたのが…この曲。

 ベッツィ&クリスの「白い色は恋人の色」ですね。アップした音源は曲の途中で終わっているのが残念です。女性デュオの歌だったけれど、ヴォーカルがいなかったので、練習では、私がメロディーを、M君がハモリパートを歌ってました。でも、M君はギターが得意ではなかったので、彼はストローク奏法で、私が歌いながらアルペジオ奏法で弾きました。

 なんで、わざわざ女性デュオの曲を中学生男子バンドがやっていたのかと言うと…私とS君がカーペンターズが好きだったから(笑)。本当はカーペンターズのような音楽がやりたかったんだけれど、フォークギターとドラムスしかないバンドで、カーペンターズはちょっと無理だったから…ですね(カーペンターズをやるなら、キーボードと木管楽器は最低必要)。

 で、このバンドは、それぞれが高校に進学すると解散しました。と言うのも、三人とも違う高校に進学し、それぞれ新しい友人たちとバンドを組むようになったからです。

P.S. 中学校の修学旅行で、京都の街をリコーダー吹き鳴らしたという話を私はしますが、そのメンバーが、この時のバンドメンバーでした。私とS君がソプラノリコーダーを、M君がアルトリコーダーを吹いて、京都の街を練り歩いたのでした。ほんと、迷惑な話だな。

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