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すとん前史 その3

 高校に入学しました。実は私、音楽関係の部活に入りたかったのですよ。

 私が進学した学校には、吹奏楽部や合唱部があるのは当然で、さらに軽音楽部もあれば、アメリカ民謡部(簡単な話、カントリー&ウエスタンを歌う部活)もあり、中学時代にフォークをやっていた事もあって、アメ民に入りたかった私ですが、親の命令で運動部以外に入れなかったので、私は柔道部に入りました。高校にはバスケットボール部も当然ありましたし、私はバスケなら経験者だったけれど、靴がなければ試合には出れませんからね(残念!)。そこへいくと、柔道部は柔道着があればOKだし、柔道着は学校に入学した時に全員が買わないといけない事になっていた(ウチの学校は柔道が必修だったのです)ので、さすがに我が親も私に柔道着を購入してくれたので、必需品問題は解決でした。

 あと柔道をやって腕っぷしをあげれば、親父に殴られないで済むかな…という打算もありました。なにしろ、私、毎日のように親父に殴られながら生活していたわけで、さすがに高校生にもてって、親に殴られながら生きていくのも、もう懲り懲りだと思うようになっていたからです。

 実際、私が柔道を始めても、しばらくは殴ってきましたが、私が柔道の試合で勝つようになって、賞状やらトロフィーやらを持って帰ってくるようになると、自然と親父は私には手を出さなくなりました。私の思惑通りだったわけで、柔道を始めてよかったなあと思いました。

 結局、武力なんだよね。私はいくら殴られても、親に対して暴力的な事はせず、専守防衛(笑)に徹していたわけだけれど、専守防衛だけでは我が身を守りきれないわけです。小さな怪我はしょっちゅうだったし、たまには大きな怪我だってしていたわけで、武力を保持する事で、やっと暴力行為とか威嚇行為から無縁の生活にたどり着けたわけです。

 現憲法、とりわけ9条はダメだよね。専守防衛だけでは国は守りきれないと思うよ。やはりきちんと武装して、行使するのは論外だけれど、いつでもイケるぜという姿勢を見せなければ、我々日本人が安心して暮らせる日々はやってこない…と、私は経験上思うわけです。現実はキレイゴトじゃ済まないからね。あと、スパイ防止法も作んなきゃだめだし、売国禁止法も必要だよね。北朝鮮に拉致された人々がお元気なうちに、さっさとやらないとダメだと思うんだよね。

 さて閑話休題。高校の友人たちも、やっぱり音楽が好きな連中ばかりでした。高校に入ると、クラスメイトのT君の影響で(遅ればせながら)ビートルズを知り、あっという間にビートルズに夢中になりました。T君の影響で、フォークギターは投げ捨てて、エレキギターを始めました。安物のおもちゃみたいな奴だったけれど、頑張ってエレキギターを買いました。アンプは余裕が無くて買えなかったので、T君の使っていないアンプを借りました(ちなみに、このアンプはまだ我が家にあります。返したいのだけれど…T君と連絡取れません:涙)。エフェクターは…当然ですが、お金がないので買えませんでした。なので、ギターとアンプを直結して弾いていました。

 T君は音楽好きでギターも弾くけれど、バンド志向ではなかったので、バンドは別の友人たちと組みました。最初に組んだバンドはビートルズを演奏するバンドで、コピーバンド…と言いたいところだけれど、それは違っていて、ビートルズの曲を自分たちの精一杯の演奏力で演奏する…というタイプの、コピーをやりたいバンドって感じでした。だから、誰が誰の役をやる…とかいう決まりはなくて、私はサイドギター&コーラスを担当していました。そのバンドは、ヴォーカル、リードギター、サイドギター&コーラス(これが私)、キーボード&コーラス、ドラムスという5人編成でした。例によって、ベースギターはいなかったんだな(ビートルズやっているのにね:笑)。ベース音はキーボードが左手で演奏してました。

 で、そのバンドは一年くらいで何となく解散して、私はキーボードのM君(もちろん中学時代のギターのM君とは別人)と二人で、他校の音楽好きな連中と組んで、今度はゴスペルバンドをやりました。私はそこでもギター&コーラス。で、たまにヴォーカルをやるって感じでした。他のメンバーはキーボード(二人)、ヴォーカル&ドラムスで、このバンドにもベースはいませんでした。なので、M君の左手がベース音を担当していました。

 で、ゴスペル…と言うと、大迫力で歌う音楽を連想しがちだけれど、私たちがやっていたのは、ゴスペルはゴスペルでも、ゴスペルフォークというジャンルの音楽で…つまり、ざっくり言っちゃえば、今風の讃美歌で、こんな感じの音楽でした。

 こんな感じの音楽をやっていた(とは言え、この音源よりも、もっとロック寄りのアレンジで演奏してました)ので、当然、練習場には困りませんでしたし、演奏場所にも困りませんでした。ゴスペルをやっているという事で、練習は近所のキリスト教会でさせてもらえたし、近隣を含めてキリスト教会からのオファーがちょくちょくあったので、あっちこっち出かけては演奏させてもらいました。この時期にライブをうんと経験できた事は人生の宝となりました。

 楽しかったな…。このバンドはメンバーが大学に進学するまで続きました。と言うのも、それぞれ進学した大学が違っていて、進学先で新しい友人たちと新しいバンドを組み始めたからです。

P.S. この頃は、ビートルズにもハマりましたが、アバにも夢中になりました。おそらく、カーペンターズの延長線上にアバを感じたのだと思います。女性ヴォーカルさえなんとかなれば、アバのような音楽をやりたかった…のかなあ? まあ、そんな事は当時、考えもしなかったのでした。なにしろ、男子だけで遊んでいるのが楽しい時代でしたからね。

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