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耳は作られる

 今回の記事は科学的な証明がある話ではなく、あくまでも私の個人的な体験に基づく話です。

 私は「耳は作られる」と思ってます。“作られる”が機械的な響きがあってイヤだなと思われるなら「育つ」と言い換えてもOKです。

 具体的にどう作られていくのかと言えば「非音楽的な耳」->「音楽に使える耳」です。

 幼い時から、音楽的な環境にいたり、英才教育的なモノを受けていた人には想像もできないでしょうが、そういう環境に身を置かなかった、ごくごく一般的な庶民の耳というのは、そんなに音楽的ではありません。

 私は、幼い時は、音楽からは隔絶した環境に育ちました。ほんとに身の回りには音楽が無かったです。いわゆる蓄音機やラジオはもちろん、テレビもYouTubeも無かったし、家族は誰も歌も歌わないし、もちろん近所にピアノを弾くお姉ちゃんもいなかったのです。いやあ、今考えると、実に非文化的な環境ですが、昔はそういう家庭も少なからずあったんですよ。

 ですから、小学校に入って、最初の音楽の授業の事は、実に鮮明に覚えています。(以前も書いたかもしれませんが)、なんと聴音だったんですよ。先生がオルガンをプアーと弾いて「今はなんの音でしたか!」と尋ねると、クラス中が一斉に「ドミソ~!」って答えたんですよ。いやあ、ビックリしました。ドミソって何? オルガンがプアーって鳴っただけじゃん。音に名前なんてあるの? オルガンの音って一つしか鳴ってないじゃん。なんで、3つも答えるの?

 わずか6歳の私のアタマはグルグルと混乱しました。激しく混乱したので、この日の事は、半世紀がたった今でも鮮明に覚えてます。

 で、何が言いたいのかというと、音楽と隔絶した生活をしていると、本当に耳は“非音楽的”に出来上がってしまいます。

 聴音は今でもできませんが、それでもオルガンの和音が鳴れば、少なくとも複数の音が鳴っていると分かります。でも当時は“オルガンが鳴っている/鳴っていない”ぐらいしか分からなかったのです。だから、級友たちが(全員のはずはないのですが、当時の私は全員が…と感じたのです)即座に「ドミソ!」と答えた時は、本当にビックリしたのです。

 そんな感じで非音楽的な環境に育った私ですが、それでもなぜか音楽は好きで、小学校に入った直後あたりで「ピアノを習いたい」と親に言って、鼻で笑われた事を覚えてます。あの頃の事ですから、おそらくクラスの女の子たちがピアノを習っていて、教室などで自慢げに「ネコ踏んじゃった」などを弾いていて、それを見て自分もやりたいと思ったんでしょうね。

 あの時、ピアノを習い始めていたら、きっと私の人生は変わっていたと思います。

 それからどうしたのかと言えば、小学生ながらも、小遣いをためて、安い中古のレコードプレーヤー(兼ラジオ)を購入し、AMラジオを聞いて、当時の流行歌を楽しみ、気に入った曲があったら、頑張ってレコードを購入するというのをやってました。だから、小学校3年ぐらいの時かな? 学校から帰ると、沢田研二のレコードを聞きながら、学級文庫にあった『のらくろ』を借りてきて読むのが日課だった時期もあります。変な小学生だね。

 毎日毎日音楽ばかりを聞いていました。中学生になる頃には、興味が洋楽に変わり、今度は毎日カーペンターズのレコードを聞いてました。高校生になると、それがビートルズに変わり、大学生になると、ポピュラー音楽とともにクラシック音楽も嗜むようになりました。

 毎日毎日音楽を聞いていると、最初は単なる音の塊にしか感じられなかったものが、やがて、メロディーとそれ以外の音、メロディーとリード楽器の演奏とそれ以外の音、メロディーとリード楽器の演奏とベース音とそれ以外の音…などと、少しずつサウンドを分解して、それらの中に流れている複数の旋律を分けて聞けるようになりました。

 耳が多少なりとも作られてきたのです。それでも、小学生の頃は、まだまだ大雑把に、歌と楽器とベース音ぐらいにしか分けることができませんでした。たぶん、あの頃は、ピアノとドラムの区別もつかなかったんじゃないかな?

 中学生になって、カーペンターズを聞き始めると、ピアノとドラムの区別はつくようになりましたが、フルートとクラリネットの区別はつきませんでした。でも高校になって、ビートルズを聞くようになると、複数のギターの演奏を聞き分けられるようになりました。ビートルズって、通常は、ジョンとジョージの二人がギターを弾いているので、ギターの音が2つ聞こえるのですが、バンドの後期になると、オーバーダビングをするようになり、ギターもたくさん聞こえるようになりました。それで、この演奏ではギタリストが何人いるかが分かるようになったものの、「The End」のギター・ソロなどは、どこでいつ誰から誰にチェンジしたのかは、まだは分かりませんでした。

 私の音楽的な耳は、おそらく二十代前半に完成しました。後は、そこから徐々に衰えていったと思います。スタートが遅かったので、完成した耳も、頂点の低い、欠けの多い不十分なモノでした。なにしろ、音感なんて、絶対にせよ相対にせよ、最後まで身につかなかったものね。

 音楽的な環境で生まれ育ったなら、私の耳も、もっとちゃんとしたものに育ったのだろうなあ…と思うもの、でも「これが私なのだ」と、あきらめるようにしています。

 それにしても、もっとちゃんとした音楽的な耳を持っていたら、もっともっと音楽が楽しめただろうになあと思うと、なんとも残念です。

 その反省を持って、息子を育てる時は、なるべく音楽に触れさせるようにしたら、あいつ、いつの間にか絶対音感を身に着けていやがりました。特別な事なんて何もしていないのに、絶対音感だよ、それもかなり精度の高い耳を持っています。おまけに、正しい音を何の手がかりもなく、難なく歌えます。たいていの楽譜も初見で歌えるんだよなあ…。ううむ、我が息子ながら、実にうらやましい…です。

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コメント

  1. 名無 より:

    私もブログ主さん同様、小学校の音楽の時間に
    先生が和音で何の音をひいたのかが、皆が分かるのが
    不思議でなりませんでしたよ。(^^;)

    でも、私の小学校の時は、給食時間に放送委員が好きな曲を
    かけてよい事になっていて、当時こんな曲をほぼ
    毎日聞いていました。いや聞かされていました。(^^;)

    https://www.youtube.com/watch?v=A5oID2_1FPI

    また、ラッキーな事に地元の交響楽団が町に来て
    小中学校合同で体育館での演奏を聴いて、
    その生の迫力を感じたのをよく覚えています。
    それから私はクラッシック好きになりました。

  2. すとん より:

    名無さん

     小学校の給食の時間に“Come together”ですか? かなりなオマセさんが放送委員だったんですね。でも、ほとんどの子にとっては、ただのBGMだったんだろうから、何を流しても勝手連だったのでしょうね。

     私のところでは、給食の時間に放送とか流していたのかな? 記憶にすらありません(笑)。

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