全員じゃないけれどね。でも、そう感じる時ってありませんか? 私はネットをウロウロしていると、たまに感じますよ。
とは言っても、演奏で食べているようなガチな音楽家の方とか、学校の音楽の先生方から、そう感じる事は稀です。
感じるのは、街のピアノの先生や各種学校および楽器店の音楽教室あたりで教えている先生方からですね。もちろん全員…とは言いませんが、少なからぬ数の方から感じますし、ブログなどを読んでいると「この人、ポピュラー音楽を見下しているよなあ…」と思います。
さらに顕著に感じるのが、そういう場所で音楽を学んでいると思われる、アマチュアの方々のブロクです。この人たちのブログを読んでいると、見下す…と言うよりも、ポピュラー音楽をクラシック音楽よりも、低級で通俗的でつまらない音楽であると感じている事を、アリアリと感じます。
先生方がそういう態度だから、それが生徒の皆さんに感染るのか、生徒の皆さんがそういう態度を取るから、先生方がそんな気持ちになるのか。その因果関係は分かりませんが、そんなものを感じてしまうのです。
まあ、確かに、クラシック音楽は名曲ばかりだよ。一方、ポピュラー音楽の中には、しょうもないツマラナイ音楽もたくさんあるし、似たような音楽ばかりだったりもするわけだけれど、だからと言ってポピュラー音楽全体を見下すのは、違うような気がします。
クラシック音楽にだって、どうしようもない駄作はあったわけです。でも、そういう駄作は、内容がつまらないので受け継がれなかったわけで、時がたつにつれて、忘れられて消えてしまったわけで、その結果、クラシック音楽は名曲ばかりになったわけです。
だから有名な作曲家で多作な作家であっても、演奏されるのは、その作品のごく一部であって、たまに“全曲集”のようなものが録音されて発売されると、その分量にぶったまげるのは、そんなわけだし、そういう録音を聞いてみて改めて思う事は、日頃から演奏機会に恵まれない曲は、やはり、それなりの理由があるんだなあ…って事です。
大作曲家の作品であっても、そんな状況ですから、いくら当時流行った音楽であっても、水準以下の作品が消えてしまったのですから、残っているクラシック音楽の名曲たちは、ほんと、キラ星のような存在なわけです。
そこへ行くと、ポピュラー音楽は同時代の音楽ですから、名曲もあれば、どうにもならない駄作も何かの間違いでヒットしていたりするわけです。まあ、大抵の場合、そういう駄作は、音楽以外の理由でヒットしていたりするわけなんだけれどね。
だいたい、ポピュラー音楽を見下す人は、この“何かの間違いでヒットしてしまった駄作”を取り上げて、ポピュラー音楽全体を軽蔑しているわけです。
ポピュラー音楽の定義は難しいのですが『音楽が大量消費される事を前提として生まれた音楽』と定義するなら、ポピュラー音楽の歴史はレコードの誕生と一緒なわけですから、そろそろ100年を越えているわけです。
たしかに、ここ数年の音楽だけを見ていけば、多種多様の音楽があり、名曲もあれば、比較にならないくらいの駄作もヤマのようにあるわけです。でも、100年…と言わなくても、ほんの2~30年前(つまり一世代前)の音楽で、今でも演奏され続けているような音楽だと、駄作って、ほとんどないでしょう? クラシックと同じで、名曲だけが残されているわけです。そう思えば、クラシックもポピュラーも、音楽としては、どちらが優秀とか言えない事が分かります。
しかし、この問題の根深いところは、さらにあるわけです。
古いポピュラー音楽で、時間の風化に耐えて残った名曲と思われる曲を、ポピュラー界では“スタンダードナンバー”と呼ぶわけですが、このスタンダードナンバーに対しても、見下す態度を取る人が、クラシック方面の人にはいるからです。
同時代の駄作を「つまらない音楽だ」と切って捨てて見下す…のなら、私も理解しますが、すでに一定の評価を得て残っているスタンダードナンバーに対しても、ポピュラー音楽であるという理由で見下す…となると、私もクラシック側の人間の擁護ができなくなります。
そして、そこが問題なんだと、私は思うわけです。
なぜ、クラシックを学んでいる人の中に、スタンダードナンバーを見下す人がいるのでしょうか?
私が思うに、一つは「理解できないから」じゃないかと思います。自分には理解できない音楽なので「くだらない」音楽であると見下すわけです。つまりは「守りに入っている」だけの器の小さな人間にありがちな事です。
あるいは、ポピュラー音楽愛好者たちの多くが庶民なので、自分はそんな庶民とは違うから…と言った理由で、ポピュラー音楽を見下している…という事もあるようです。
たしかにポピュラー音楽を楽しむには、知識も教養も不要ですから、経済力に恵まれない人も、教養が不足している人も、ポピュラー音楽を聞くことで楽しめるわけです。一方、クラシック音楽を楽しむためには、ある一定の知識や教養が必要だし、経済的にも恵まれている必要があるかもしれません。その事については、私も否定しません。でもそれは単に、その音楽が同時代音楽なのか、古典音楽なのかの違いであって、古典音楽は、我々の生活からかけ離れた音楽であるために、その距離を埋めるための知識や教養がなければ楽しめないし、演奏だって限られた場所でしか行われないので、それを聞くために経済力が必要となる…だけだと思ってます。
つまりそれは、音楽が生み出された時代の違いが求めているものであって、音楽そのもの質の違いが求めているわけではないと思うのです。
もしくは、クラシック音楽は大学で学ぶ高級な音楽だけれど、ポピュラー音楽はロクに学校も出ていないような不良たちが作った音楽だから、軽蔑し、見下している…という事もないわけではないでしょう。特に、演奏家を見てみると、クラシック音楽は音大卒業生ばかりで高学歴な人(と言っていいんでしょうね)ばかりなのに対して、ポピュラー音楽の演奏家の学歴は様々で、きちんとした学歴の方や音大卒業生もいますが、逆にロクな学校も出ていない人もいます。まあ、少なくとも音大卒業生は非主流派です。
私が思うに、音楽を作ったり演奏したりする人間にとって必要な条件には、卒業校とか学歴とかは、あまり関係ないと思うし、そもそも学歴とか職歴とかで人間の貴卑が生じるわけではありません。
また、作者とその作品は別物であって、たとえ人間的にダメな奴が作曲したり演奏したからと言って、その作品までもがダメであるとは言えません。良い例がモーツァルトでしょ? あれはかなりのダメ人間だけれど、作品は素晴らしいじゃないですか?
音楽の作り手や受け手の学歴とか職業とか経済力とかで、愛される音楽に違いがあったとしても、だからと言って、それらの音楽そのものに優劣はない…と私は思いますが、そうは思わない人もたくさんいるわけで「やっぱりクラシック音楽は高級な音楽であって、ポピュラー? あんなのは音楽じゃないよ」って思っている人もいるわけです。
人の趣味はそれぞれだから、心の中で何を考えてもいいけれど、少なくとも、他人が愛している音楽を見下している事を、態度で示されると、愉快な気分にはなれませんよ。
たかが音楽に、高級も低級もないもんだ…と私は思うわけですよ。あるのは「好き/嫌い」とか「愛されている/知られていない」とか「楽しめる/理解できない」という違いだと思うわけです。
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コメント
おはようございます
どこの業界にも偏った方はいますよ
私は元パソコン屋だからアップル信者には困りましたよ(笑)TPOでなに使うか勝手なのに他をいじめるおまけ付け
音楽もその人が好きならジャンル関係ないよね
クラシックが素晴らしくてもそれが全てではないし
chakoさん
偏っている…そうかもしれませんね。
アップル信者の件で思いつきましたが、アップル信者もクラシックの方も、その趣味(?)の世界では、いわゆる“少数派”ですよね。圧倒的多数のWindowsユーザーや、J-POPファンたちに囲まれて暮らしていて、日頃から肩身の狭い思いをしているのかもしれません。その“居心地の悪さ”が、ついつい心を濁らせてイケズな事を言わせているのかもしれない…なんて思いました。
クラシックに限らず、他の音楽を見下す人は全てのジャンルに存在すると思います。
洋楽ばかり聞く人が邦楽を見下すのと一緒の感覚なのかな?
因みに、私はクラシック音楽を楽しむのに知識も教養もいらないと思います。
深く理解したかったら知識など必要かもしれませんが、知識があったらより理解が深まって楽しめるという視点ではクラシックのみに限らず、全てにおいて共通するなぁって思います。
じゃないと、三歳くらいの頃に白鳥の湖を聴くのが好きだった事や、わけもわからずフィガロの結婚を聴いてたこととかも否定された気分になっちゃうから。
もひもひさん
>洋楽ばかり聞く人が邦楽を見下すのと一緒の感覚なのかな?
あ、なるほど。洋楽ファンの中には、日本の音楽を小馬鹿にする人、少なからずいますよね。うむ、確かに“少数派が多数派に対して優越感を抱いて見下す”という構造は丸っきり一緒ですね、目ウロコです。
>私はクラシック音楽を楽しむのに知識も教養もいらないと思います。
なるほど、確かに純粋に音楽を楽しむだけなら、知識も教養もいらないのが正解かもしれません。しかし「クラシック音楽は高尚な音楽だから勉強しないと楽しめない」というのが、ほぼ常識になっているわけだし、私も無意識にそいつに載っかってしまっていたわけだ。うむ、ちょっと反省。
こんばんは。
> クラシックの人って、ポピュラー音楽を見下しているよね
数十年昔の高校音楽教師が典型的にこんな感じで、当時友達と笑っていたことを思い出しました。そのときこちらの流行はLPとかでE.ヴァレーズを聴いていました。でもこれも典型的なクラシックです。
> クラシック音楽にだって、どうしようもない駄作はあったわけです。
フルート業界だけで聴く作曲家とか作品というのはタコツボ化して、たくさんあります。固有名詞はとてもあげられません。
>『音楽が大量消費される事を前提として生まれた音楽』
マーラーのパロディとして作曲されたサムラゴーチの「広島」by 新垣あたりでしょうか。
「音楽の大量消費」がよくわからないので外しているかもしれません。
いい音楽とかいい演奏とかどこでどうやって自分でどのように決めているか難しいです。
こちらは初めてFMで流れていた音楽とか、周囲でたまたま聴いた音楽、というあたりです。
最近の現代音楽はほとんど聞いていません。
「クラシック」は譜面ではいろいろ改訂が今後もあるかもしれませんが、譜面上のマニアックなところを除くと、新しい音階とか和声進行とかこれからもあるのでしょうか。
意味不明で失礼しました。
tetsuさん
>『音楽が大量消費される事を前提として生まれた音楽』
いつでもどこでも誰でも好きな音楽が聞けるようになった事を『音楽が大量消費される』と書いてみました。具体的には、SPの普及から始まった、音楽が生演奏ではなく、再生される時代になって、録音されて販売される事を前提として作曲演奏録音される音楽、それがポピュラー音楽の誕生だろうって事です。サムラゴーチ氏の音楽は、現代音楽のジャンルに入ると思いますよ。
現代音楽も千差万別玉石混交だと思います。大半は、しょーもない音楽だと思いますが、例えば、バーンスタインの『ウェスト・サイド・ストーリー』とか、ジョン・ウィリアムズの『スター・ウォーズ組曲』などの名曲は、これからも演奏され続けると思います。そういう点では、現代音楽も捨てたもんじゃないと思います。
>新しい音階とか和声進行とかこれからもあるのでしょうか。
コンピューター演奏が前提の、人間では正確に演奏できないほどの細かなリズムとかは、すでに登場していますね。音階も和音進行も、きっと新しいものが、どんどん出てきていると思いますよ(それを知らないだけなのかもしれません)。
こんにちわ。
そういった、ポップスを見下しているクラシック愛好家の方々はコンテンポラリー部門に関してはどういう捉え方をしているんでしょう?
オペラとかは現代風、時には未来風な舞台装置で演じられることもありますけど、価値観が崩壊(大袈裟だけど)しないのでしょうか?
ベルエポックの頃はショパンが流行遅れでワーグナーが今風だった・・・というのを読んだことがあるのですが、現代に生きる私達にはそれは影響しないし、
クラシックならハイソって人はなるほど階級差別が好きなんだろうなぁ、と
思ってしまいます。
そういう価値観の中で生きるのはその方の自由なので、私がアレコレ批判しても
どーもなぁ、とも思いますが身近にいたら面倒かも(いなくてよかった)です。
YOSHIEさん
“コンテンポラリーミュージック”ってのは、日本語で言うところの、あの激つまらない(失礼)『現代音楽』の事だから、問題ないんじゃないですか? だって“万人には理解できない高尚な音楽”だからねえ…。みんなが大好きなポピュラー寄りのクロスオーヴァー系の音楽の場合は、人にもよるでしょうが「魂を売った」「生活のために仕方なく」と思っている人も少なからずいるようです。実際、一度でもクロスオーヴァー系に手を出して売れたりすると、クラシック界ではハブを喰らい、孤高の道を歩まざるをえない…みたいですね。
>オペラとかは現代風、時には未来風な舞台装置で演じられることもありますけど、価値観が崩壊(大袈裟だけど)しないのでしょうか
日本では、現代風とか未来風な演出のオペラって少ないから、問題にはならないと思うよ。海外では、現代的な演出ってアリみたいですね。おそらく現代演劇の延長だと思われているんでしょうね。
>クラシックならハイソって人はなるほど階級差別が好きなんだろうなぁ、
まあ、音楽を趣味として楽しんでいる分には、階級差別も楽しみの一つ(不謹慎かな?)だからいいとしても、プロであって、商売として音楽をされている方で、階級差別の意識を持っていたとしたら、生きづらいでしょうね。だから、日本の場合、クラシック系の音楽家さんたちは食えない人が多いんだと思いますよ。クロスオーヴァー系に流れた人を差別するのだって、クロスオーヴァー系の方が食べていける確率がグンと上がるわけで、食べられない人たちからすると、そういう人って妬ましいんだと思います。だから、差別するんだろうなあって思うわけです。