素朴な疑問です。プロ、とりわけクラシック系のプロの人達には当てはまらないことが多いのだけれど、一般的に言って、素人の合唱人って、キャリアが長くて、パートのリーダーもやれるような上手な人でも、一人で歌う(つまり独唱ね)と、イマイチって人、少なからずいるでしょ。あれ、なんででしょうね?
とりわけ、歌の最初を合唱から入ったって人に、案外多いような気がするのは、偏見かなあ…。
無論、音程だってリズムだって正確だし、音量だって十分だよね。
とすると、やっぱり声そのものに問題があるのかな? いつも他人と一緒に歌っていて、自分の声そのものに対する興味感心が少なくて、美しい声を出そう、響き豊かに歌おう、とか思わないのかなあ…。
それとも指揮者がいないと歌えないのかな? 合唱は常に指揮者がいて、指揮者の指導の元、指揮通りに歌っていけばいいけれど、独唱になると、そうはいかない。独唱者みずから考え、伴奏者に意見を言って、きちんと自分の音楽を作っていかないといけない。そのあたりの問題かなあ…。
それとも単純に技量不足? 合唱人で独唱もいけますって人は、たいてい音楽の専門教育を受けている人(音大とか音楽専門学校とか音楽専攻科とか)でしょ。逆に言うと、専門教育を受けなければ、独唱ってムリなものなの? いくら合唱を長年やっていても、それだけでは不足があるの?
それとも性格の問題? 合唱人はみなさん、奥ゆかしい性格の持ち主で、とても一人で前に出て歌を披露するなんて、考えただけで、そら恐ろしくて萎縮してしまって、結果、一人で歌うとイマイチになってしまうの?
ああ、分からない。ホント、分からない。
こう書くと「それは独唱と合唱では、発声法が違うから仕方無いのだ」という人がいますし、私も以前はそう思ってました。でも、独唱も合唱も発声そのものは同じでしょ。それとも独唱には美しい声が必要だけれど、合唱には不要とか思っていらっしゃる人がいるのかな? まさかね。
合唱だって、一人一人の声が美しなければ、全体のハーモニーが美しくならないのは自明だし、独唱だって、独りよがりで歌えるものではなく、やはりその実態は伴奏(ピアノだったりオケだったりするけど)とのアンサンブルなんだしね。そう考えると、大きな違いってないと思う。
そう考えると、ますます分からない。なぜ、合唱人は一人だと歌えないの? なぜなぜ?。
コメント
え、なんでだろう。
なんでだろ~うなんでだろう(それはテツ&トモ。BSで見ました)
考えたら不思議ですよね。私も教えてほしい!!
>ことなりままっちさん
でしょ、でしょ。不思議でしょ。そう、不思議なの。
私もこの記事を書いてから、色々と考えてみました。たぶん、何かが不足していのだろうなあ…という推測は成り立つのですが、では何か不足しているのか。これが分からない。
合唱を続けているだけでは、身につかない、何か決定的なものがあるんだろうと思います。だから長く合唱をやっていても、独唱となると厳しいのだろうと思います。
でもね、世間一般の人は、そうは思わない。長く合唱をやっている人をみると「きっとあの人は歌が上手に違いない」と勝手に決めつけるのです。で、実際に歌っているところを聴いて、そのイマイチ感にガックリしたりする…。
また、歌があまり得意でない人が、歌がうまくなりたくて合唱団に入団したはいいものの、多少は上達するものの、いつまでもイマイチ君から抜け出せないという例は、枚挙に暇がありません。
なぜ、なぜ、合唱をやっていても、歌がイマイチな人が大勢いるの? どーして? どーして?
私はコーラス経験短いし、声量もなければ、合唱でもイマイチなので、おこがましいとは思いますが、、、コーラスで歌うのって精神的に安心感があると思います。私は、講座で一人で歌わされると、裸にされたみたいで落ち着かない。緊張して舞い上がっちゃうから、音程もリズムも怪しくなったり、喉が緊張するから声も出なくなります。
合唱って割と受身でも歌えるのではないでしょうか。楽譜から音が取れない場合でも周りの声を聞きながら音程を瞬時にすり合せていくことができる。
伴奏つきの独唱なんてしたことないですから分かりませんけど。
私の興味のある分野です!!
合唱にしても、指導者やメンバーがどんな合唱を目指すのかによると思います。
声量や、音質、ハーモニーに、ある程度、厚みや重量感がある、ダイナミック、ドラマティックな合唱を目指すのか、・・・それとも、明るく、きれいで、清涼感のある透きとおったような軽い響きの、いわゆるコーラスを目指すのか・・・この違いは大きいと思います。
前者の合唱の場合、ひとりひとりもある程度一人でも歌える(ソロもOK)がもとめられます。後者のコーラスの場合はひとりでは、貧弱(あえていうならば・・ですが。)で、ソロはほとんど無理、しょうがなく、ソリ(ソロのところを2人で歌う)等でしのいでいたりするようです。
ただし、前者の場合でも、合唱をする時はメンバーは、同じ発声法で、音質も同じで周りと溶け合うことがもとめられます。ソロの時は、すこし違って、合唱より、目立つ音質、響きがもとめられます。逆にいえば、ソロの時と同じ歌い方で合唱をしたのでは、ひとりひとりの特徴、個性が出過ぎて、美しい合唱にはなりません。
私論ですが、独唱の時は、響き(吐く息と音)を、響かせるツボに、1点めがけて、細く鋭くあてて、ハリのある歌声で歌うように、思います。合唱の時は、それほど、細く鋭くあてるのではなく、すこし、ソフトに、あくまでも、自分だけがめだつのはよくなくて、まわりと、溶け合う音色が大切と思います。
こんなことを思うのは、実は、学生時代の合唱団が、指導者が亡くなったために、何人かの指導者を経て、また、何年かを経て、有名な方になったのですが、まるで、違う合唱団になってしまったのです。先ほどの、前者の合唱から、後者のコーラスのように、変わってしまったのです。どちらの指導者も声楽を学んでいますが、めざす音楽の違い、あるいは、時代による合唱の流れ(はやり・流行)の違いかもしれません。
独唱には、独唱の、合唱には合唱のそれぞれ、違ったドキドキ感、魅力があるとおもいます。
>もりさん
おっしゃることよく分かります。特に「合唱って受身で歌える」という部分。まさにその通り。実際に受身で歌うと言うべきか、主体性のないまま歌っている合唱人は少なからずいますね。
その点、独唱は受身では歌えないのは自明の話。日頃、受身の姿勢で歌っている合唱人がいざ独唱となるとイマイチになるのは、よ~く分かります。
しかし合唱人のすべてが受身に近い形かと言うと、そうではないでしょう。少なくともパートリーダーと呼ばれる人や、団の中心メンバーは主体的にみんなを引っ張りながら歌っていますでしょ。そんな主体的に歌っている人ですら、一人で歌わせると、あららら…って事が多いのが、不思議だと思う部分なんです。
集団を引っ張りながら主体的に歌う力と、一人で主体的に歌う力は違うんでしょうね、きっと。
>ひと休みさん
独唱と合唱とでは声の響かせ方が違うのは分かります。私は一般的に、前に伸びるように響かせるが独唱で、横に広がる様に響かせるのか合唱の歌い方だと思いますが、ひと休みさん自身もおっしゃる通り、それは声の当て方などの(小手先の)テクニックの違いであって、根本的な違いではないと思ってます。
つまり、この手の小手先のテクニックによる歌い方の違いというのは、独唱×合唱のみならず、演奏される曲の性格や作曲家の個性、作曲された時代背景、演奏される場所や聴衆の違いなどを含めて、その場その場にふさわしい歌い方をするために存在するものだと思ってます。ですから、この手のテクニックの違いをもって、独唱と合唱は違うのだと言うのは、危険だなあと思ってます。
一般的な独唱と合唱の発声の違いよりも、例えば独唱ならば独唱で、作曲家の違いによる歌い方の違いとか、演奏する曲目の性格による違いの方が、よっぽど大きいと思ってます。合唱もまた然りです。
ですから、独唱と合唱の違いは、独唱(甲)と独唱(乙)の違いとか、合唱(丙)と合唱(丁)の違いなどと、同次元で語られるべきものだと思ってます。
とは言え…、
ひと休みさんの観察する様な、軽めの声の合唱団(こういうスタイルが最近の流行りのようですが)に、イマイチっぽい人が多いのは、私もうすうす感じています。
しかし、軽い声ばかり出していると、独唱ができなくなる…はずはないと思います。宗教曲系の独唱者たちは、見事に軽い声で独唱しますからね。
そう書いてくると、また堂々巡りに陥ってしまいます。私はきっと、何かとても大きな事に気づいていないような気がします。それが分からないから、迷いの森に入ってしまったのだと思います。
私は今まで独唱と合唱は地続きだとばかり思ってましたが、もしかすると、独唱と合唱の間には、深くて広い河が流れているのかもしれませんね。
ああ、分かんねえ!
こんにちは。
昨日の続きです。
私も、合唱と独唱は、地続きと思ってました。数年前までは・・。
独唱の会で、レッスンを受けるうち、また、発表会を経験するうち、すとんさんのおっしゃるように、前に響かすor横に広がらせる等、発声テクニックの違いは勿論あるにせよ、やはり、究極的には、合唱は、指揮者の意図に従って、忠実に、ある意味、身を預けて、歌うのではないでしょうか。合唱の中のソロも然りです。
それに対して、独唱は、歌う人、その人自身が、自分の表現したいように、勿論、楽譜を通して、作曲者、作詞者等の意図するものに忠実にですが(曲に合わせるということ)、主体的に、自己表現をする。
合唱の場合は、指揮者に表現の主導権があり、独唱の場合は、歌う人自身が主体である。その違いではないかとおもいます。
だから、合唱の人が、いきなり、独唱(合唱の中のソロではなく、本当の独唱)となると、指揮者(指示を出す人)がいないので、歌いにくくなるのではないかと、思われます。
私のレッスンの体験から、変な話ですが・・・
最初に、私が自由に歌います。この時は、非常に気持ちよく歌えます。なにしろ、前回のレッスンから一生懸命毎日練習してきた成果を表現できるまたとない機会ですから。その後、先生からいろいろご指摘ご指導をうけます。それで、短時間(30分)の間に、その通りにできたら、それは素晴らしいのですが、とても、今までの発声の癖等あるわけで、なかなか改善されるわけがありません。先生にお手本を歌って頂いたり、説明をきいたりして、イメージだけでもつかめたら、次回のレッスンまで、それをできるように、それに近づけることができるように、練習してくる。・・・そんな感じでした。
ある時期、学生時代に合唱を経験した先生から、指導を受けたことがありましたが、どう歌ったらよいか私が戸惑っていると、レッスンの途中で、指揮をはじめたのです。・・不思議と歌いやすかったのを覚えています。・・・それから、「譜面を見ないで、歌詞(イタリア語)でなくていいから、アでもいいから、とにかく、感じるままに、歌ってごらん」と言って、・・主体的に歌うことの糸口を見つけさせてくれました。
またまた、長くなりました。
それでは、また。
>ひと休みさん
指揮者の存在ね…。そうかもしれない。そこは大きな違いかもしれない。
合唱の場合は、オケ伴奏であれ、ピアノ伴奏であれ、必ず練習の段階から指揮者が付き、指揮者の指導の下に音楽を作ってゆく。
一方独唱の場合、オケ伴奏であれば指揮者と、ピアノ伴奏であれば本番ピアニストと、音合わせの段階までは会わない事が多いですね。それ以前の練習は、もちろん自分でやるのだし、音合わせ以降も、こっちの意見を言い、相手の意見も聞き、良い着地点を見つけて演奏へ進むわけだから、ある意味、指揮者やピアニストと独唱者は対等な立場でやり合うわけだ。
合唱しかやっていない人は、(あえて言ってしまえば)伴奏者とのコミュニケーションの取り方がうまくいかず、結果、イマイチになってしまうというのは、十分にありえる話ですね。
それにいつも指揮者にまかせっきりで、自分で考えて音楽してない人(失礼!)に、いきなり自分なりに考えて音楽で表現しろと迫っても、これも無理な話だし…。
そういうわけで、ひと休みさんのご意見には全面的に同意します。
あと、私も色々と考えたのですが、発声法は共通していても、やはり何か歌唱技術的な違いが、独唱と合唱の間にはあるのかもしれないというふうに思うようになりました。
それこそ、深くて広い河のようなもの?
というのも、趣味の合唱の人とか、学生時代からの合唱部上がりの人とかではなく、やはりきちんと専門教育を受けた人に、独唱も合唱もOKという人がいることからも、専門教育の中でしか学べないことが、もしかすると独唱には必要なのかもしれないと、ここ数日で思うようになりました。
とは言え、自分でそう書いておきながら「ええ、そうなの?」と首を傾げる自分が、ここにいるのも事実です。
やっぱり、分からないなあ…。
To Ston
大変興味深い記事なので私なりの所見を述べさせて頂きたいと思いますが、そのためStonさんの記事「どうして一人だと歌えないの?」全文を私のブログに転載させて頂きたくお願いする次第であります。
URLその他著者の存在は明記致します。
何卒、御承諾頂けますようお願い申し上げます。
松尾篤興
>松尾さん
了解しました! 私もその記事を楽しみにしています。よろしくお願いします。
>松尾さん 追記です
私の文章の全文転載はもちろんかまいませんが、コメントに関しては、それぞれの方の筆になるので、コメントを転載する場合は、それぞれの方の了承が必要だと思います。
もっとも、こちらの記事へリンクを貼っていただければ、読者の方々はコメントが転載されなくても、それを読むことが可能になるので、ぜひその方法をとられるのがよろしいと思います。
それと、そちらの記事がアップされたら、こちらの当該記事をトラックバックさせていただくつもりですので、よろしくお願いします。
また、松尾さんも、記事が書き上がったら、トラックバックをいただけると、双方の読者にとって便利だと思われるますので、もし良かったら、ご検討ください。
To Ston
すとんさんの記事のみを掲載させて頂きたいと存じます。
転載に関して御了承頂きましたこと感謝致します。
トラックバック、勿論リンクさせて頂きたいと存じます。
有り難う御座いました。
松尾篤興