先日、あるところで行われた声楽の演奏会に行ってきました。その演奏会は、声楽グループによる演奏会で、プロのクラシック系歌手の皆さんが複数名出演し、入れ替わり立ち替わり、歌を披露していくという趣向の演奏会でした。出演している方々は、いずれも立派な音楽大学を卒業され、地元で演奏活動&音楽教室を主催しているような方々です。客席も、音楽教室のお弟子さんたちと思われる方々がたくさん見に来ていたわけです。で、そんな身内で和気あいあいとした演奏会に、縁もゆかりも全く無い私が、普通の客として見に行った…と思って下さい。
いやあ、つまらなかった! そして、呆れちゃいました。プロと言っても、ほんと、ピンきりなんだね。
会場は、いわゆる小ホールで、私はその中段の上手(かみて)側に座っていました。歌を聞くには、割りとよい座席だったと思いますが…その席まで、しっかり声を届かせてくれたのは、たった一人の歌手さんだけで、残りの方々の歌声は、伴奏ピアノにかき消されて、ほとんど聞こえませんでした。歌っている歌も、よく聞こえないので、何語で歌っているのかも分からない状況でした。イタリア語の歌だとばかり思って聞いていたら、それが日本語の訳詞で歌っていたり、ミュージカルのソングだったので、日本語だと思って聞いていたら、どうも(オリジナルの)英語らしかったとか、そんなレベルの演奏会で、それくらい、みなさん、声が出ていなかったのですよ。
声だけで言ったら、発表会に出てくる上手なアマチュア歌手さんたちの方が、全然出ていると思います。プロなのに、こんなに乏しい声量なの? なんかもう、それだけでガッカリでした。
聞こえない声に、懸命に耳を澄ませて聞いてみると…たいてい、歌詞を間違えてます。当日歌っていた歌は、私もよく歌う程度の、初心者さん向けの曲ばかりで組まれていましたので、私もよく歌詞を熟知している曲ばかりだったのですが、ほんと、いい加減に歌ってました。ヒドいのは、楽譜を持って歌っているのに、クチが回らずに、クチの回らなさを、いい加減にごまかして歌っていた人を見つけた時です。なんなんですか、この人たちは。
音楽、なめてませんか? 練習、足りてないでしょう? 日頃から歌っているわけじゃないんでしょうね。
お一人などは、終始、音程がフラットしていたし…ほんと、この人達、プロなんですか?と、改めて確認しちゃいましたよ。立派な学歴が恥ずかしくないのでしょうか? 普通のアマチュア歌手の方が、数倍、心をうつ歌唱をしていますって。
この人たち、普段は地元で音楽教室を主催している方々ばかりなんですが、そこの生徒さんたちは、この人たちから一体何が学べるのでしょうか? 私なら、数日で見限って、子弟の縁を切らせてもらうかもしれません…なんかもう、悲しくなるくらいに、ダメな歌で、残念な演奏会だったんですよ。
まあ、明らかに身内だけで楽しむタイプの演奏会に、一般客として入場した私が無粋だったのかもしれないけれど、だったら“関係者以外入場お断り”にしておけよ、と捨て台詞を吐きたくなるほどでございました。
一体、プロって何なんだろうね? 音大出たらプロなんですか? 音楽教室を主催していたらプロなんですか? グループを結成して演奏会を開けたらプロなんですか?
たしかにプロと言う言葉は、単に“職業として行っている”程度の意味しかなく、プロ音楽家の条件に、演奏が上手であるというのは、必須項目にはないので、演奏がいかに残念であろうとも「私はプロの音楽家です」と言い張れば言えるわけだし、これだけ残念な演奏会であっても、行うことで喜んでくれる人がいるなら(いるのかな?)それで良いのだろうけれど、そうであっても、私は改めて“プロってなんなんだろう”と考えてしまったわけです。
職業として音楽家を行っていても、それだけでは生活が成り立たないレベルであるならば、それは本当にプロと名乗って良いのか? 音大を卒業した事で、プロとして名乗って良いのだろうか?
プロがみんな演奏上手だなんて、神話だね。
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コメント
コンサルタントという怪しげな職業がありまして、
専門分野によって、経営コンサルタント、会計コンサルタント、などなど。
私が昔おつきあいしていたのは、税務コンサルタント。
脱税ではなく、節税を指南していただいていたのですが、
ある日、彼からの請求書を見ると、消費税の計算を間違っていて、
過大請求になっていて、
おやおや、税の専門家が、税でこんな単純なミスをするなんて、
指摘したら、恥ずかしがっちゃうだろうけど、
ま、このまま払うこともできないから、指摘せざるを得ないな、
と、思いつつ、電話で連絡したら、
その税務コンサルタント氏曰く、
「え?間違っていますか?
ま、とりあえず、払ってください。
次回、減額しますから。」
と、全く恥ずかしがることなく、言っていました。
2流のコンサルタントってことです。
と、つらつらと、思い出話を書いてしまいましたが、
プロでありながら、全くレベルが低い例は、
ビジネスでも、学校でも、芸術でも、スポーツでも、
たくさんあるわけで、珍しいことではなく、
そういう人に出会ってしまったら、
おつきあいをしない、やめるのが、よろしいかな、と。
私は、上記の税務コンサルタントとは、おつきあいをやめました。
あつきあいをやめたくても、やめられないのは、
公立学校における担任・担当の先生とのおつきあい、かも。
おしまい
私の妹は、ある私立音大出ですが(声楽ではないです。)、声楽家の卒演(最後の点数を
付ける演奏会)に行った時、後ろに大学の先生方が審査員として
座っていたそうです。
女性が多かったらしく、勿論みんな綺麗なドレスを着て演奏していたそうです。
そうしたら、後ろで「そのままするお嫁になった方がいいわねえ。」と
陰口が聞こえたそうですよ。
でも、先生方は、適当に及第点を付けて卒業させるワケですね。
日本の教育システムそのものが金儲けになっているから、こうなるので、
日本の音大出は、プロとして通用するレベルかどうかは本人に依る、って事になりますね。
いっその事、医者の様に国家試験でもする、と言うのなら話は違ってくるのでしょうけど。
すとんさんは、その演奏会の出演者たちからは芸術性が感じられなかったってことですね。感動ナシってことです。ということは(すとん基準では)彼らのパフォーマンスはプロではないということです。
私もプロの仕事には興味があります。仕事でも遊びでも、プロという言葉をよく使います。すとんさんの怒りのブログを読んで、改めてプロの定義は何かを考えてみました。すると、自分は二種類の意味でプロという言葉を使っていたようです。一つは高度な職人技を持つプロ、もう一つは金を稼ぐプロです。
高度な技術を持つ人、芸術的な人、つまり他人に感動を与える力を持つ人、およびそのハイレベルなパフォーマンスをプロ、プロの仕事と呼びます。すとんさんはプロという言葉をこの意味で使っているのでしょう。
松井選手のバッティングフォームを見て、完璧だ、美しいと感じるならば、松井は芸術的打撃をするプロだということです。しかし、松井のフォームはダメだという人もいるでしょう。芸術や感動には絶対的基準がないので、このプロ基準は曖昧ではあります。
このプロという意味では、たとえアマチュア演奏家だとしても、感動的な演奏を行なう人がいたとしたら、そのパフォーマンスを「プロ並みの演奏」と呼ぶことができます。
私は音楽関係の発表会を見るのが好きです。出演者は生徒さんですから、プロではありません。私は客席で演奏を聴きながら、各人の評価を記録します。この人は技術的には何点、感動は何点という風にメモを取ります。客席でこういう楽しみ方をしている人はいるかと思いますが、私はさらにパフォーマンスに値段を付けます。この人の演奏ならいくら払えるか、というビジネス視点からの評価です。
ほとんどのアマチュアの演奏はゼロ円です。よくがんばりましたね、と表彰状をあげることはできても、経済的価値はナシです。が、三十人の出演者がいたら、一人か二人は「この演奏には金を払ってもいい」と感じることがあります。このお嬢さんは千円、あの学生さんは千五百円という感じです。路上パフォーマンスを観て、帽子に小銭を投げ入れる感覚です。値段を付けることによって、曖昧な感動という概念を数値化します。演奏に値段のつくパフォーマンスは、プロ並みの演奏と言えます。
もう一つのプロの意味は、数字で評価できるわかりやすい概念です。ある行為で金を稼ぐ能力のある人のことを、その道のプロと呼びます。世の中で経済活動を行なっている人間は、全員その道のプロです。皿洗いで稼ぐ人は、皿洗いのプロです。
すとんさんの観られた演奏会の出演者さんも、生徒さんを抱えて金を稼いでいるのならば立派なプロです。この場合、音楽的能力とは別の方面のプロかもしれません。そこの生徒さんは、たとえその教室で上達できなくても、代わりに何か他のものを得ているのでしょう。それは教室で友人ができたとか、下手でもほめられて自信がついたとか、みんなと遊びに行く計画を立てたくてワクワクするとか、そういうメインの目的ではない何かです。音楽のプロではなくても、人に喜びを与えるプロと言えます。
このプロを評価する基準は、数字で表すことができるのでわかりやすいです。十万円稼ぐよりも二十万円稼ぐ方がプロの能力が高いってことです。松井選手がホームラン何本打ったとか、打率いくつ出したとか、いくら稼いだということは数字で表せます。そして他のプロと数字で比較することができます。
私の友人で、カスタムナイフ製作のプロがいます。彼の作業は緻密で美しいだけでなく、スピードも速い、そして商品の値段も半端なく高いです。注文は数年先まで埋まっていて、仕事を断るぐらいですが、それでもさらに数十万円上乗せするからぜひお願いしますという感じで客が来ます。
彼の作品はまさに芸術品で、シロウトが見てもその価値は理解できません。何でこんなナイフがこんなに高いの、と驚くだけです。ぱっと見た目、普通のナイフに見えても、細かいところをチェックすると、こんなところまで手をかけているのか、と感動させられます。
彼のように高度な技を持ち、作品が芸術的だと評価され、かつ、ジャンジャン金を稼げる人が、理想的なプロの芸術家です。でもこのレベルまでいける人間は、それぞれのジャンルで数えるほどしかいないでしょう
面白いテーマですね!プロといえば、音大出て歌で仕事してればプロでしょうが、音大でて利益を出さずアマチュアで歌っていたなら、プロではない。音大も歌科ならあそことあそこなら、かなり粒が揃ってますが、あとは個々の才能のもんだいですからねー。あと、見た目やオーラみたいなものも大事だし。歌はスタイルや雰囲気もいかにも!声楽やってる人って感じの人ってオーラの人と、同じ上手さならボテッと、垢抜けない方よりか何倍も歌も上手く聞こえますよね〜。声楽家は時にはテレビにも出ると仮定すると芸能人と一緒ですからね。歌の上手さプラスお金を払うくらいのビジュアルであること!そして、オリジナリティーがあれば、例えば、この人の声、あの誰かみたいな声!とかではなく、なんか新鮮なアプローチならば、そりゃあ素晴らしく、大手事務所からスカウトがあるでしょうね!ともあれ、普通は声もビジュアルも普通はその水準さえ難しいですからね!因みに我が師匠!私、基準ですがどちらも軽くクリアーしてます!素敵な方なんです!!
プロとは何か、みたいな話にはあまり興味がありませんが、なんだか言いたいことはわかる気がしました。
以前、ある声楽門下生の発表会を聴きにいったことがあるのですが、音大出の(あえていうなら)プロ門下生の演奏よりも、その前の部でやっていたアマチュア門下生の演奏のほうが(そのひとたちはハイ・アマチュアと言ってよいレベルということもありましたが)面白かったのです。プロ部門の皆さんの演奏は、声にも演奏にも個性がなくなっていたように思いました。
operazanokaijinnokaijinさん
なるほどね、二流のプロね。私が聞いた演奏家さんも、とても一流…というか、水準に達していなかったので、二流のプロなのかもしれません。まあ、二流であっても、プロはプロであって、しっかり経済生活が成り立っているみたいなので、それはそれで立派ってわけですね。
>そういう人に出会ってしまったら、おつきあいをしない、やめるのが、よろしいかな、と。
ま、そうでしょうね。今後は、あの方々の演奏会には行かない…というのも、一つの選択肢です。
>あつきあいをやめたくても、やめられないのは、公立学校における担任・担当の先生とのおつきあい、かも。
これね…。これはほんと、大問題ですよね。公立のセンセって、本当に能力にばらつきがあるんだよね。それは管理する側も分かっているので、昨今の新任の先生たちは、就職してからも、頭がおかしくなるくらいに研修の日々を過ごすのが普通なんですが…教えたからと言って、センセの腕ってのは上達するわけじゃないんだよね。
私が思うに、あんなつまらない研修漬けにする暇があったら、寄席に通わせた方が、遥かにセンセとしての腕は上達する…って思ってます。要は、話術と言うか、コミュニケーション能力なんだからサ。
こんばんは。
こちらは元理系くずれで、授業料上がる前の安いときに、税金のおかげということも当時は何もわからずお気楽に毎日1,000ページを目標にバカみたいに文庫を読んでいました。
理系としては全然ダメなのはこちらもよくわかって、職場でも某数学修士(こちらは院試にあっさり不合格)の方に「理系とはおもわなかった」とまで言われました。数学は一番最初に落ちこぼれたし、当然ですが。
上野の小ホールでの個人名のリサイタルに何も考えず選ばずに無条件に通ったことがありますが、いろいろあって面白かったです。
ピアノリサイタルで譜面を数ページぶっ飛ばしていきなり終わってしまい、本人もわかっていたのでしょうが、ニコニコ挨拶していらっしゃいました。
今は、プロの演奏を聴く、というのは生き様というか拘ったところでの表現があるか、というあたりに関心があります。
その点、フルートは表現がシンプルで余計なことがほとんどできないですし、ソルフェージュ面白いのはコンセル出身あたりしかいらっしゃらないので、フルートリサイタルは何年も行かなくなってしまいました。
先日、某プロオケ伴奏のピアノ協奏曲を聴いてきました。ピアノはとてもよかったのですが(名前書くとバレバレなので省略)、フルートはppで音程がぶら下がったり、Fisを外したり、とかここまでひどいのは久しぶりでした。
まあライヴではいろいろあって、そこが面白いといえば面白いのかもしれません。
おぷーさん
>でも、先生方は、適当に及第点を付けて卒業させるワケですね
下手な生徒は絶対に留年させない…と元音大教授のH先生は言ってましたね。才能がないのに、学校にしばりつけて、音楽漬けにするのは可哀想だとの事です。H先生は、さっさと卒業させて、別の道を薦めるんだそうです。先生はかなりはっきりと「君は音楽は無理だから」って言っちゃうんだそうですが…それで諦める学生って、なかなかいないんだそうです。でも、結局、実力がないので、卒業して、あれこれあれこれ頑張って営業して、しばらくは仕事があっても、長続きはせず、やがて仕事が来なくなって、自然と廃業してしまうんだそうです。
>いっその事、医者の様に国家試験でもする、と言うのなら話は違ってくるのでしょうけど。
確か、ドイツは演奏家として営業するためには、国家資格が必要だったはずです。ドイツでは音楽大学を卒業しただけではダメで、きちんと試験にパスして資格を得ないと、人前で演奏して報酬を受け取ってはいけなかったはずです。
この話もH先生から聞きました。ちなみに、H先生はそのドイツでの演奏家のライセンスを持っているんだそうです。なので、日本のみならず、ドイツでも演奏家として働ける…って言ってました。
日本にもそういう資格があったら面白いのになあ…と思うと同時に、そんな事をしたら、失業してしまう音楽家がわんさと出てくるかもしれません。ただでさえ、音楽家として活動していくのが大変な日本なのに、無資格者は営業できなくなったら…ほんと、大変な事になりかねません。
在日日本人さん
仰る通り、私は“お金を稼ぐ能力がある”人の事をプロだと言いながらも、実際のところ“他人に感動を与える力を持っている”人の事をプロだと思い、それを求めていたんだなあと思いました。
在日日本人さんの仰る、二種類のプロをごっちゃにしていたようです。
本来は“他人に感動を与えつつ”“それでお金もしっかり稼いでいる”人がプロなんでしょうが、なかなかそれは難しく、実力がなくても、営業力でそれを補っているなら、それはそれでプロなんでしょうね。
しかし、やはり私が憧れるのは“他人に感動を与える力を持っている”プロですね。絶対、こっちです。そういう人を見つけると、ファンになっちゃうわけだしね。
>音楽のプロではなくても、人に喜びを与えるプロと言えます。
話はそれますが、音楽でなくても、すべての職業の、その根本に“人に喜びを与える”という側面があって、職業として従事する者は、それを忘れてはいけないんだと思ってます。たとえ、漁師であっても、学校のセンセであっても、市役所のお役人であっても、音楽家であっても…です。すべからず、プロならば、そこはしっかりとしていないといけません。
アデーレさん
プロの定義って、本当は簡単なんです。『音楽事務所に所属して、定期的に仕事をもらい、それで生活が成り立っている人』の事らしいです。まあ、そんな人は、日本にはそれほど数が多くはないので、たいていの音楽家は、学校の先生を兼任するんだそうです。学校の先生をしていると、生活が安定しますからね。
なので、本来的には音大卒かどうかなんて関係ないんです。実際、ポピュラー音楽の世界では、音大卒だからどうということはなく、実力勝負の世界ですからね。
でも、日本のクラシック音楽の世界では、音大卒という資格がないと、まずはスタートラインには立てないみたいですが…スタートラインに立っても、そのまま走り出せない人があまりに多いのが、日本の特徴かもしれません。だって、学校出ただけのお嬢さんでは、プロとしてはあまりに力不足ですからね。アデーレさんのおっしゃるように、プロなら、オーラも必要だし、垢抜けていないとだめだし、容姿も良くなきゃいけないし、その上オリジナリティーも必要なら…一体誰がプロになれるんだいって話です。
そういう点では、音楽家って、職業として“狭き門”なのかもしれませんね。それにしては、日本には音大多すぎ、音大卒業生も大量生産しすぎ。そんな気がします。
椎茸さん
私も、同じ門下で音大を卒業したプロの方々と、アマチュアで(趣味として)頑張っている人が混在している発表会を見に行った事があります。
たしかに、そういう発表会に行って感じるのは、椎茸さん同様に「プロの人たちは、個性がないなあ…」って事です。人によっては“角を矯めて牛を殺す”とはこの事だな…って感じることもあります。しかし、やはりプロの人たちは、なんだかんだ言っても、一定水準以上のパフォーマンスをしてくれます。やはり専門教育を受けた人たちは違うなあ…って思うわけです。
一方、アマチュアはピンキリで、プロ顔負けの素晴らしい演奏をしてくれる人から、思わず耳を塞ぎたくなるような演奏の人まで様々です。そういう意味では、聞いていて面白いのは、アマチュアの演奏だったりします。中途半端なプロの演奏は、あたかも規格品のようで、面白くないわけで、そこから突き抜けた個性を持っている人が、一流のプロの演奏家になるんだろうなあって思うのです。
tetsuさん
>今は、プロの演奏を聴く、というのは生き様というか拘ったところでの表現があるか、というあたりに関心があります。
ああ、なるほど。それは分かるような気がします。
>まあライヴではいろいろあって、そこが面白いといえば面白いのかもしれません。
ですね。完璧な演奏が聞きたければ、CDを聞けばいいわけですから。ライブはナマモノだから面白い…んですね。なので、私は、ついついコンサートに足を運んでしまうわけです。
そういう意味では、下手くそなプロの演奏も、それはそれで面白かったと言えるのかもしれません。
欧州は、殆どの学校が、入試で可能性のある人は取るけれども、
学年の終わりに試験をして、伸びのない人はどんどん首になります。
職業学校だからです。ですから卒業学年の人数は、入学時の人数より
大分減ってます。
卒業試験も最低45分のリサイタルを課せられます。
それもタダ歌えば良いってもんではなく、違う3つのエポックとスタイル、
数カ国語を入れての演奏が条件です。
すとんさんの先生もちゃんとその試験を受かったワケですから、かなり勉強を
されている筈です。
おぷーさん
なるほど、そちらの音楽学校は、こちらの音楽大学とはだいぶ違うみたいですね。
となると、日本で演奏家志望の若者は、こちらの音楽大学を卒業後、そちらに留学する事が多いのですが、単にそっちに行って数年学んで、いくつかのコンクールに参加して帰ってきただけの人は別として、そちらの学校でしっかり学んで卒業してきたり、そちらの音楽家の師匠にみっちり仕込んでもらって、数年仕事をしてきたような人は、留学せずに国内だけで音楽の勉強を終えた人とは、明らかに違うって事になりますね。
まあ、今回、私ががっかりした方々は、立派な学歴の方々でしたが、留学経験までは無い方々でした。以前の先生は違いましたが、今、私が習っている先生方は、フルートにせよ、声楽にせよ、ヨーロッパ留学をして、現地で数年間音楽の仕事をしていた方々ですから、その点は安心安全ってわけです。
まあ、留学をしなかったからダメな音楽家である…とは、さすがに思いませんが、留学経験の有無は、音楽家として、勉強の絶対量が違う、と言うのは理解しました。
演奏家としてはともかく、音楽教師として考えるなら、そりゃあ、勉強の絶対量の多い方の方が引き出しが多いわけで、その分、教師として有能なんだろうなあって思います。でも、その分、謝礼もお高いわけで(汗)。
>卒業試験も最低45分のリサイタルを課せられます。
そう言えば、キング先生は、日本の音大の卒業試験は、1人15分だと言ってました。15分と45分では、時間は3倍ですが、難易度としては3倍じゃ済まないだろうなあ…と、素人の私でも分かります。そりゃあ、だいぶ違うよなあ。
はじめてコメントさせていただきます。
音大卒業生としては大変耳の痛いご意見ではありますが…
私が思うには、まず教えるプロと演奏するプロは違うということ。
教わる側が「この先生は自分には良い」と思えばお金を払う価値が有るわけで、教えるプロという事になります。
需要と供給の問題なのです。
演奏のミスがあっても、教える際にミスが無ければ、問題は無いのです。
私も各分野それぞれ海外で修業なさった先生に師事していますが、確かに得るものは多いですがレッスン料など決して安くないですし、先生ご自身の演奏会やセミナーのためにレッスンがお休みになることも多々あります。
人によっては、「もっとリーズナブルに、頻繁にレッスンを受けたい」と思うのではないでしょうか。
全て一長一短だと思います。
度々すみません。
また、「教えるプロ」達の「つまらない演奏」を聴いたことは大変不運で残念ですが…
その演奏会の先生方、まだマシなのです。
つまらない演奏でも「本番に挑む」気概が有るわけですから。
すとんさんの先日のブログ内容の良い先生の条件の一つ「演奏力」は、本番で演奏する事でしか身につきません。
本来なら音大で沢山試験や試演会を行い学生時代に「演奏力」を身につけさせなければならないのですが、日本の私学のそこそこの音大ではそこまでしないのです。
学生自身が「本番の大切さ」に気付いて自主的に演奏の機会を増やせば良いのですが…残念ながらそうでないケースも多いのです。
演奏力の無い卒業生は多いです。そしてそのまま演奏力を磨く「本番」に挑むことなく過ごす人も多いです。
例のつまらない演奏会の先生方は、果敢にも本番に挑み続けている点で、まだ向上心や向学心がある。
その点は評価してよいのではと思います。
国内音大卒さん、いらっしゃいませ。
>私が思うには、まず教えるプロと演奏するプロは違うということ。
なるほど、そりゃあそうですね。私はそのあたりを、ちょっとばかりゴッチャにしていました。すいません。
>音大で沢山試験や試演会を行い学生時代に「演奏力」を身につけさせなければならないのですが、日本の私学のそこそこの音大ではそこまでしないのです。
日本の音大は、いや音大に限らず、私立大学全般は、学生をたくさん取るので、その点が問題になってくるのかもしれません。学生をたくさん取れば、当然、きめ細かな指導などできませんが、それは逆に言えば、学生の自主独立の精神を育み、自由な学習活動を応援している…と言う事もできます。実際、優秀な学生にとっては、大学の授業等でガチガチに縛られるよりも、自由に自分のペースでどんどん勉強していきたいと思っているはずです。いわゆる文学とか法学とかを学ぶ文系の学生さんは、そう思うんじゃないかな。理系の学生さんは、実験や調査が必要だし、専門技術を身につける必要もあるから、ある程度は大学の先生たちに面倒を見ていただかないと、勉強が進まないでしょう。音楽系は、どうなんでしょうね。
音楽系が理科系の大学のように、大学の先生たちが学生たちを指導していかないと成り立たない学問分野であるにも関わらず、それがかなわず、結果的に演奏力不足の卒業生を輩出せざるを得ないのなら、今の音大は、その教育能力を超える数の学生を受け入れている…だけなのかもしれません。もっとも私立音楽大学は、学校であると同時に営利企業でもあるわけですから、そこのところは分からないでもないです。
>演奏力の無い卒業生は多いです。そしてそのまま演奏力を磨く「本番」に挑むことなく過ごす人も多いです。
私はある程度の現実を知っていますから誤解はしませんが、ごく普通の世間一般の方々は、音大を卒業しただけで、すでに音楽のプロだと誤解し、音楽に関しては万能であると、疑いもなく信じています。音大卒業生は誰でも、オペラ歌手のように歌えて、ピアノもショパンの有名な曲も簡単に弾きこなせる…って思ってます。現実には、音大を卒業しても、ロクにピアノも弾けない人、歌えば音痴な人もいる事を、私は知ってますが(笑)。
音大も、高い授業料を取って学生を指導しているのだから、やはり学生たちを一定水準まできちんと引っ張りあげてから卒業させるべきだし、そこまで育てられないと思われる学生は合格させるべきじゃあないんでしょうが、経営のために、そんなわけにもいかないのが、日本の音楽教育界の現状なんでしょうね。
そう言えば、元音楽教授であるH先生が「どこの音大でも、首席学生はしっかり指導するよ」と言ってました。それは裏返しにすれば、首席の子以外の指導は……って事だし、それが今の日本の音大卒業生を取り巻く現実なんだなって、今私の頭の中で、つながりました。
反響の大きい記事ですね 遅ればせながら、コメントさせていただきます
ブログ村のフルートカテゴリーで上位常連のとあるブログの最近の記事に、「フルートを楽しんで演奏する事と、お客様を楽しませることは違う」とありました。専門家が判断する良い演奏と、お客さんが楽しめる演奏は違うのですね。そのためか、最近は、オーディエンス賞を設けているコンクールもありますよね。
最近のクラシックのコンサートでは、これまでのような一言も語らずに演奏のみに専念する従来型とは違い、曲の合間に曲のエピソードなどを交えたトークを挟む形式が増えてきており、お客さんもそれを求めていると思います。
著名なコンクールで入賞を果たした演奏家は、従来型でもやっていけるでしょうが、そうではないほとんどの演奏家は、どうやったらお客さんが楽しんでくれるかよく考えなければならない時にきていると思います。
パスピエさん
>「フルートを楽しんで演奏する事と、お客様を楽しませることは違う」
…らしいですね。それはH先生がよく言ってます。自分が演奏したい曲と、お客が聞きたい曲は違うけれど、コンサートではお客が聞きたい曲を演奏するのがプロ…なんだそうです。プロの方は、趣味で音楽をやっているわけではないので、それも仕方のない事です。
外国の演奏家で、日本語がしゃべれないならともかく、日本人の演奏家なら、トークを入れないと客が呼べない…というのが21世紀型だと思います。ですから、今の演奏家は、上手に演奏ができるだけなく、トーク能力も必要だし、もちろん、愛嬌も必要だし、美貌も必要だし、色々と大変です。音楽だけできれば良い…という職人型の人は、営業がきびしくなっていると思いますよ。
クラシック音楽だって、エンタメだし、芸術である以前に芸能なんだからサ。