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一生懸命練習に励んだところで、上達するわけじゃあない…らしいです

 今週も体重を計りませんでした…っていうか、体重を計る元気がなかったんですね。腰は痛いし、仕事は忙しいし、休日なんてほとんどないし(プンスカ!)。きっと体重、増えている…と思います。ああ、怖い、体重計が怖い怖い。

 さて、今週のエッセイです。

 生まれつきの才能がなければ、いくら練習しても楽器は上達しない…と、アメリカのミシガン州立大学のザック・ハンブリック教授(心理学)は、そう言うらしいのです。

 元記事はこちらですが、かいつまんで説明すると…チェスと楽器は、どんなに努力をしても、生まれつきの才能がなければ、上達に限界がある…そうなんです。つまり『下手の横好き』って奴になってしまうよ、という話なんです。

 ハンブリック教授によれば、練習をする事で上達する人は、全体の1/3しかいないのだそうです。残りの2/3(つまり凡人)は、知識とか才能とか何歳で始めたかで、どれくらい上達できるかが分かってしまうそうです。

 つまり、練習してあるレベルまで上達する人がいる一方、練習しなくてもそのレベルにすぐに到達してしまう人いるわけだし、いくら練習してもそのレベルに到達できない人もいるって事です。

 努力は必ずしも報われるわけではない…というわけです。

 この記事を読んだ私の感想は…ちょっと安心しました。

 だってね、私はさあ、歌もフルートもそこそこやっているじゃないですか? クラシック声楽が7年、フルートが6年ですよ。普通、これだけの期間、コツコツマジメに取り組んでいれば、今の私どころじゃないほどに上達していても全く不思議じゃないです。なのに、私の上達しないこと、実に見事なもんです。

 私、練習は大好きですよ。だから、この6~7年間、割とマジメにコツコツと練習してきたわけです。でも、あんまり上達していない。練習だけはマジメにコツコツとやってきたのに、その練習が全然報われていない? それはきっと私には才能がないからだと、薄々感じていたわけだけれど、それを他人にはっきりと言葉にして示されると、納得と安心できるんですね。

 そうか、私は才能が無かったんだ。だから、あれだけ練習しても、ちっとも上達しなかったわけだし、これから、たくさんたくさん練習しても、たいして上達しないんだなって思うと、気持ちが楽になりました。

 だってね、私にとって、歌もフルートも道楽だもん。楽しくやりたいんです、苦しいのはイヤなんです。練習は大好きだから、練習をコツコツやっていきたいけれど、それでちょっとでも上達できれば嬉しいんです。上達できないと…さすがに悲しくなりますが、それはあくまでも他人と比較して劣等感にさいなまれるからイヤなだけです。最初から自分に才能が無いと分かっていれば、他人と比べて仕方ないわけで、安心して、ゆっくりゆっくり楽しんでいけばいいだけなんです。

 これが仕事ならば、やった分だけの成果って奴が上げられなければいけませんし、それができないなら、無能と罵られても仕方ないです。でも趣味だし、道楽なんです。ある意味、結果ではなく過程を楽しんでいるわけだし、下手の横好きだし、大家の義太夫なんですわ。

 だから『下手くそを楽しもう』というか『下手から上手になる過程をゆっくり楽しんでみよう』って思っているわけです。

 私の考え方って、変かな?

P.S. たしかに私には歌の才能とフルートの才能はないけれど、声は持っているんだよな。声の強さというか、ノドの強さというか、これも一種の才能だよね。ならば私は音楽的には無才能ってわけじゃないわけだ。声という楽器に関しては、そこそこのモノを持っているんだろうと思われます。あとは、それをコントロールする技量をゆっくり身につけていけばいいわけだ。こんな小さな才能しかないけれど、才能ゼロってわけじゃないんだから、自分に与えられたこの才能を大切に育てていきましょう。

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コメント

  1. だりあ より:

    まあ、音楽を趣味にしてる人たちの99パーセントは、へたの横好きか、またはそれに類する方たち、だと思います。ちょっと音感がよい人に「〇〇さんは△△、お上手ですね、すごーい」、という褒め言葉があったとしても、プロの奏でる音楽は、アマチュアの「お上手ですね」程度とは、品質がちがいますものね。お料理でも、たとえばキャベツサラダ、家庭の主婦の作るキャベツサラダはいくらお料理上手な主婦でもフレンチシェフの作るものにはかないませんもの。使ってるお材料の品質が違いますもの。アートってのは、きっとそういうものなんでしょうね。

  2. すとん より:

    だりあさん

     いわゆる“名乗りだけプロ”という方は除き、プロとして活躍し続けられる人(H先生流に言えば“プロの水準を維持している人”)って、アマチュアとは別世界にいるわけで、たまにアマチュアの人で「プロを超える」とか「プロ並の力量をもったアマチュアを目指す」とか言って頑張っている人がいますが、そういう人ってチャンチャラ可笑しいです。たぶん、我彼の違いが分かっていない人なんだろうと思います。

     才能が有れば有るなりに、無ければ無いなりに、人って、生きていけばいいんだと思います。才能があることが幸せな事とは限りませんからね。才能に振り回されるとか、才能によって生き方が制限される事だってあるわけだしね。

     それに天職を趣味にしてはいけないわけで、そういう点でも、音楽をアマチュアとして楽しんでいくなら、才能はほどほどで良いわけで、無くてもさほど困らないのではないかと思います。

  3. tetsu より:

    こんばんは。

    今プロで活躍されている方々も始めたときはアマチュアだったし、何かをきっかけにプロになったはずです。
    元師匠は、「冷蔵庫が空っぽでも、電気がつかなくてもフルートが吹ければ幸せ。」とおっしゃっていました。ここまでの度胸というか集中力のないこちらは愕然とするだけで何も言えませんでした。

    問題意識を持って、かつ集中して練習できる、というのも才能とおもいます。
    こちらは自分を追い込むこともなく楽しめれば十分、と思っているのは確かですが。

  4. すとん より:

    tetsuさん

    >今プロで活躍されている方々も始めたときはアマチュアだったし、何かをきっかけにプロになったはずです

     幼い頃からプロを目指して頑張ってきた人ってたくさんいると思います。プロになるなら、最初っからプロを目指して訓練をしてこないと難しいそうです。そして、実際問題として、プロを目指してきた人の大半はプロになれず、ほんの一握りの人たちだけがプロとして生き残って活躍できるというのが現実問題みたいです。

     知り合いの指揮者の話では、その人は元々歌手を目指して頑張ってきたそうですが、音大に入って級友たちの声を聞いた時に、自分には“プロとしての声がない”事に気づいて指揮者に転向したんだそうです。また別の歌手は、元々チェロ奏者を目指していましたが、日々の練習に耐えきれず、自分には弦楽器奏者に必要な“生真面目さ”がない事に気づいて声楽に転向したそうです。またあるピアニストは(テクニック的は十分だったそうですが)自分の音に華が無い事に気づき、すっぱり音楽を辞めて趣味で楽しむ事にしたんだそうです。

     たぶん“何かをきっかけにプロになった”のではなく“何かをきっかけに挫折せざるをえなかった”人たちが落ちこぼれただけで、何の気づきもなく、あらゆる障害を乗り越えてしまった人たちだけがプロになれた…んだと思います。それゆえに、彼らの演奏は、素人とは次元が違うんだと思います。

     そもそも、人間の種類が違うんじゃないかって、私は思いますよ。

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