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メトのライブ・ビューイングで「ラ・チェネレントラ」を見てきました

 「エフゲニー・オネーギン」「ファルスタッフ」「ルサルカ」「イーゴリ公」…これが今のところ、私が見た、メトの今シーズンのライブ・ビューイングのオペラの数々です。ううむ、実にマイナーどころばかりを選択しているなあ。

 で、今回は、これまでの作品に、さらに輪をかけてマイナーな「ラ・チェネレントラ」を見てきました。もう、病膏肓だねえ(笑)。

 あんまり地味でマイナーな作品なので、作品解説から始めちゃいます。

 まず、作曲家はロッシーニです。ロッシーニのオペラと言えば、普通の方(ってか、それなりのクラシックファン)でも「セビリアの理髪師」ぐらいしか知らないでしょうね。それも無理のない事で、ロッシーニの作品って、どれもこれも上演が難しいんですね。だから、なかなか上演の機会が得られず、上演されないうちに、みんなみんな忘れられてしまったわけです。まあ、そんな中、わずかながらも上演され続けている、この作品は、実に立派なものなのかもしれません。

 話の筋は簡単です。だって、世界的に有名な『灰かぶり姫』のお話だもの。この『灰かぶり姫』を、フランス語で言えば“サンドリヨン”で、英語で言えば“シンデレラ”、イタリア語で言えば“チェネレントラ”だもん(笑)。だから、オペラの話と、ディズニー・アニメの『シンデレラ』とは、話の大筋はほぼ一緒。でも、細かい道具立てが、あれこれ違ってます。

 例えば、オペラには、魔法使いも、カボチャの馬車も、ガラスの靴も出てきません。意地悪な姉さんたちはいますが、意地悪な継母はいません。

 魔法使いの代わりに出てくるのが、王子様の家庭教師(哲学者)。元々は彼が王子のお嫁さん探しに、町内をあれこれと彷徨っていたところ、偶然出くわして親切にしてくれたのがチェネレントラだったわけで、チェネレントラの優しさと気立ての良さを気に入った家庭教師が、あれこれと手を尽くして、彼女と王子と出会わせ、恋に落とす(まさにそんな感じ)わけです。つまり、使ったのは“魔法”ではなく“策略”ね。

 カボチャの馬車は全く出てきません。その代わりに、普通の馬車が出てきます。

 ガラスの靴は出てきません。その代わりに、ブレスレットが出てきます。アニメでは、舞踏会での王子様との別れ際、シンデレラは靴が片方脱げてしまい、それを忘れていきますが、オペラの場合、自分から片腕のブレスレットを王子に渡し「もう一つのブレスレットを身につけている自分を探しに来てほしい、そして、その姿を見て、まだ気に入ってもらえるなら、よろこんで私はあなたのモノになります」という主旨の事を歌って別れます。

 お姉さんは、シンデレラもチェネレントラも、ほぼ同じ。彼女を見下して、こき使って、その存在を認めません。

 意地悪な継母の代わりに、飲んだくれで横暴な継父が出てきます。この継父は落ちぶれているけれど男爵です。だから、お姉さんたちは男爵の実の娘たちなわけで、リアルな貴族のご婦人方なんですね。

 一方、チェネレントラは、男爵の後妻の連れ子という設定で、その母はすでに亡くなり、他に身寄りのないチェネレントラは、男爵の家で、意地悪をされていると言うよりも、メイドとして働いている…という状態なんです。

 おそらく、チェネレントラとその母は、貴族ではないのでしょう。チェネレントラの実父は、金持ちの庶民(商売人か何かだったのかもしれません)で、夫の死後、その財産を継いだ母が、その財産を持参金にして男爵と再婚をしたんだと思います。落ちぶれた貴族の男爵からすれば、金持ちの庶民を後妻にするのは、願ったり叶ったりでしょう。で、後妻は結婚して、すぐに死に、残された連れ子は(戸籍上は男爵の三女なんですが)庶民の出身であるため、貴族扱いされず、貴族のお屋敷に住む、当時の庶民の常として、住み込みのメイドとして働いていた…ってわけです。

 オペラの方は、おとぎ話のくせして、結構、あっちこっちがリアルな設定になっております。

 なので、王子様のお嫁さん探しの舞踏会に、チェネレントラだけ呼ばれないのも、ある意味、当然なんです。だって、庶民の子が社交界に出入りできるわけないもの。

 それを家庭教師の先生の計らいで、身分を偽って、舞踏会に行くことが出来、王子様と相思相愛の仲になり、ついには結婚をするという、お話なんです。

 で、実際の舞台は…と言うと、実に面白い喜劇です。それも「クスッ」って笑うタイプの喜劇ではなく「ガハハハハハハハハ~」と笑うタイプの喜劇です。実際、おかしいですよ。

 さらに、音楽は感動的でスポーティーでもあります。これでもか、これでもかという感じで、すごく難しいフレーズが延々と続くわけです。これ、プロとは言え、歌えない人も大勢いるだろうね。それくらい、難しいフレーズが続きます。つまり“音の曲芸”として、かなり面白いです。

 でも、その一方で、実に音楽が美しかったりもします。この曲には、普通のテノールは出てこない(ロッシーニ・テノールと呼ばれる、かなりの高音域を軽やかに歌えるテノールが必要なんです)ので、私が歌える歌など一曲もないオペラなんですが、たとえ声が合わなくても、一度は歌ってみたい曲ばかりです。それくらいに、美しくて、楽しいオペラでした。

 主演のジョイス・ディドナートは、今回のこのステージで、自身の当たり役であるチェネレントラ役を引退するそうです。歌手そのものは継続しますが、もう二度とチェネレントラは歌わないのだそうです。

 歌手は年齢に応じて、持ち役を変えていくのですが、そういう意味で、ディドナートの行動は実に当然な話なんでしょうが、自分の当たり役に別れを告げるというのは、どんなに寂しい感じなんでしょうね。舞台のフィナーレでディドナートが泣いていたのは、役柄的に感動したからだけではなく、自分にとって愛着のある役から降りることの寂しさも含まれているんだろうなあって思いました。

 主役のディドナートの歌唱が素晴らしいのは当然として、王子役のファン・ディエゴ・フローレスの歌唱が、実に素晴らしかったです。ほんと、憎ったらしいくらいに素晴らしかったです。アリア(この曲にはテノールのアリアは1曲しかありません)を歌い終えた時には、オペラの最中だと言うのに、拍手が鳴りやまずに、フローレスは、舞台に呼び戻されて、挨拶をせざるを得ませんでしたからね。

 また、継父やお姉さんは、歌が見事なだけでなく、コメディアンとしても有能で、この三人のパートになると、感動しながらも笑い転げちゃいました。

 前回、パリ・オペラ座のライブ・ビューイングで見た『清教徒』でも感じましたが、いわゆる“ベルカント・オペラ”と呼ばれる、ロマン派のオペラは、曲が難しいため、現代ではなかなか上演される機会がないのですが、そんな難しい曲揃いのオペラであっても、内容が素晴らしいので、難しさを乗り越えて(ごくまれに)上演されるんだなあ…って思いました。

 そして、世界の裏側の一流歌劇場でごくまれに上演されたものが、極東の庶民である私が楽しめるのも、HD配信やDVD販売を始めとする、文明の恩恵なんですね。21世紀の日本で暮らす幸せって奴を、オペラ鑑賞を通じて感じる私でございます。

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コメント

  1. 桜川 より:

    私はオリー伯爵以来のフローレスファンです。同時にロッシーニのオペラにも興味を持つようになりました。王子のアリアでは映画館だというのに思わず拍手しそうになるほど、感動しました.ディドナートは声、演技申し分ないですが,いかんせん年齢的に、特にアップだとチェネレントラは厳しいかと。本人の決断は潔くて好感がもてます。

  2. すとん より:

    桜川さん、いらっしゃいませ。

     実は私も、フローレスのアリアが終わった時、うっかり拍手してしまいました、映画なのに(汗)。世の中には色々なタイプのスターテノールがいますが、彼のようなタイプのスターテノールは今までいなかったんじゃないかしら? そういう意味では、唯一無二の魅力を持ったテノールと言えます。

     とにかく、スゴ過ぎて、参考にも勉強にもなりません(笑)。ただただ、恐れ入るばかりです。

    >いかんせん年齢的に、特にアップだとチェネレントラは厳しいかと。

     それは私も感じました。彼女、美人なんですよね。美人だからこそ、年齢による劣化が目立ってしまうわけです。「せめて10年若かったら…」って客に思わせたら、オペラ女優としてはマズいわけで、だからこその役からの引退なんだろうと思います。

     でも、それができる人って、なかなかいないですよね。一流の歌手であっても、自分が成功した役を手放せる人って、そうそういるもんじゃないです。そういう点では、ディドナートって、人間として、大きな人物なんだなって思います。

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