フルートのレッスンをお休みしました。今回のお休みの理由は…私ではなく、先生の都合でお休みでした。なんでも、フルート業界の大切な寄り合いがあったそうです。H先生は業界の重鎮ですから、顔を出さないわけにはいかない…という理由でレッスンお休みです。
せっかく、二週連続でレッスンに出れたのですから、三週連続にしてみようと思っていましたが、まあ、こんな感じです。
で、レッスンがなかったので、今回もフルートエッセイでお茶を濁したいと思います。
今回のフルートエッセイは『なぜ私はフルートを始めたのか?』 そのあたりについて、つらつらと書いてみたいと思います。
古い読者さんたちはご存じでしょうが、私がフルートを始めた直接のきっかけは、フルートを衝動買いしたからでした。
ある日、楽器店をプラプラ歩いていた時に、店にあったフルートに声をかけられたような気がして、ついついその子を衝動的に買ってしまったのです。
で、フルートを買ってしまったので、フルートを始めてみた。これが「なぜ私はフルートを始めたのか」に対する即物的な答えとなります。
でも本当の問題は、なぜ私がフルートを衝動買いしてしまったか…って事ですよ。
私は元々、フルートという楽器が好きだったわけではありません。いや、衝動買いをするまでは、フルートという楽器の存在すら、意識に無かったほどです。
私は中学生の頃、時折、担任の先生(音楽の先生にして、吹奏楽部の顧問)に頼まれて、吹奏楽部の助っ人をしていました。そんな私が担当する楽器はパーカッションで、たいていは大太鼓とかタンバリンとか、そういう脇役っぽい楽器を担当していました。まあ、助っ人ですからね、贅沢はいいません。
そういう助っ人目線で吹奏楽部を見た時に、私に見えていた楽器は、同じパーカッションであるスネアドラムであったり、トランペットやトロンボーンなどの派手な金管楽器であったり、地味な木管楽器ならば、クラリネットとかサックスとかが、よく目に入っていました。フルートも確かにその場に存在していたはずですが、全く私の目にも耳にも入っていませんでした。つまり、私のフルートに関する興味関心度と言うのは、所詮、その程度でした。
成長するにつれ、私は由緒正しいオペラ系クラヲタとして成長しましたが、それでもフルートは常に蚊帳の外でした。だって私、オペラチックなクラヲタでしたかから、注目していたのは常に歌手なんですね。で、その歌手の伴奏をする楽器として、ピアノとかオルガンとかオーケストラって奴を認識していました。で、そのオーケストラは“弦楽合奏+管楽器たち”と思ってましたので、やはりヴァイオリンを始めとする弦楽を中心に考えていました。
なので、クラヲタとしては、フルートの曲って、ほとんど知らないのです。実は今でも、たいして知りません。いや、ほとんど知らないと言っても良いかもしれません。これは、ある意味、子どもの頃からピアノを習っている癖して、自分が習った曲以外は知らないピアノの人…と同じかもしれません。
なので「フルートが好きだったからフルートを始めました」は、私の場合は当てはまりません。それにだいだい、元々好きだったら、最初っから楽器持っているはずですから、衝動買いなんてしませんしね。
では、好きではない…というよりも、興味のなかったフルートを、なぜ衝動買いをして、今に至っているのか、そこが問題となります。
「銀色でピカピカしていたから?」 残念ながら、私、ヒカリモノには興味がございません。「フルートを吹けば、女の子にもてるから?」 残念ながら、私はオッサンなので、今更女の子にもてようがもてなかろうが、そんな事、どーでもいーです。「フルートって、メカメカしていて、男の子心をくすぐられる?」 残念ながら、私、機械とかメカとか苦手なタイプの文系男子でございます。
返す返すもフルートを衝動買いした頃の私を思い出してみると、あの頃の私は、心に大きな欠落感を感じていた事を思い出します。その欠落感というのは「なぜ自分は女声で歌えないのか?」って事です。ま、私、精神的にも肉体的にも男性ですから、女声で歌えないのは当たり前ですが、それでも女声で歌えない事をとても残念に思っていました。
だって、声楽界には、女声にしか歌えない曲、女声で歌わないと似合わない曲が、あまりに多いもの。もちろん、男声にしか歌えない曲とか、男声で歌わないと似合わない曲もたくさんあるけれど、今手にしているモノとか、これから手に入れられるモノには、人間って奴は興味がわかないのですね。それよりも、自分が願っても手に入れられないモノを欲しがるものです。
私の場合、願っても手に入れられないモノは、女声だったわけです。
たぶん、その女声に対する欠乏感がフルートに向かったのかもしれません。だって、フルートの音域って、女声の音域とほぼ一緒でしょ。
あと、私、フルートには興味感心がなかったけれど、リコーダーは元々大好きで、中学生の頃は、笛吹き小僧だったくらですから、元々持っていたリコーダー愛が、転じて、フルートに向かった…という部分は否定しません。
つまり、私の中では、リコーダーの上位バージョンがフルートだったと言うわけです。
そんなわけで、女声への欠乏感と、リコーダー愛から、私はフルートを始めた。どうやら、そういう事のようです。で、衝動買いをしてから、そろそろ6年になりますが、まだフルートを続けています。最初は持ち合わせていなかった、フルート愛って奴が、そろそろ私の中に芽生えているような気がします。
今はフルートが好きだと言えますよ、うん。
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コメント
こんばんは。
> その女声に対する欠乏感がフルートに向かったのかもしれません。
Vissi d’arte, vissi d’amoreは昔々の吉田雅夫のフルート教室?の本にもあって、たぶん当時聴いたはずなのですが、残念ながら記憶にありません。この曲をきちんとフルートで吹こうとしたこともありません。
あと女声の曲ではCasta Divaも大好きですが、フルートではやっぱり、です。
すとんさんのイメージされている女声の曲はどのあたりでしょうか。
私はピッコロを衝動買いしました。
とあるピッコロ奏者の方の演奏を聴いての帰り道、無防備に楽器屋さんに寄ってしまったのがきっかけでした。
ピッコロ、いい音だったなあ、私もほしいな・・・でアタマと心が満杯のところに、目の前にピッコロが出現して、なおかつ、お財布に「魔法のカード」があったら、もう自制心はふっとびましたね。しかし、ピッコロはとても自宅では吹けませんでした。あの楽器の練習音は、すごい騒音なんですね。
tetsuさん
「歌に生き恋に生き」は女声のアリアとしては代表的なものですね。でも、笛で吹いて楽しいのかしら? 「清らかな女神よ」も旋律だけだと、どうでしょうね。両曲とも、言葉が乗っかった方がずっと良いですから、それを聞き慣れた耳では、旋律だけになってしまうと、寂しい気がします。
>すとんさんのイメージされている女声の曲はどのあたりでしょうか。
子守歌ですよ。男声では絶対に歌えないでしょ?
オペラ系で言えば、椿姫の「ああ、そは彼の人か~花から花へ」あたりが私がイメージする女声かな? フルートで吹いたら、これもつまらなくなっちゃうだろうけれどね。
だりあさん
確かにピッコロの音は、金管楽器のそれに匹敵しますからね。河原で練習するのが良いかも。でも、衝動買いって、あとから「なんで買ったんだろ?」って思いませんか? でも、不思議と失敗した感じはなくて「さて、これからどうしようか」という楽しい困惑に身をゆだねるわけです。結局、私の場合、最初の最初から個人レッスンを受けて、先生にきちんと習おうと思ったわけですけれど。
> 椿姫の「ああ、そは彼の人か~花から花へ」あたり
http://www.youtube.com/watch?v=84gO2aau2eA#t=249
Emmanuel Pahud | Krakamp · Fantasy on Verdi’s Traviata
フルートがメチャクチャうまいのはわかるのですが、やはりソプラノで聴きたいです。
この手のオペラからの編曲ものはたくさんあります。
ボルヌによるカルメンはカルメンの曲が好きでさらっていて楽しかったです。
tetsuさん
リンク先の演奏聞きました。
やっぱり、歌曲やオペラなどの言葉がある曲をフルートで演奏すると、物足りなさを感じます。何か足りないのかというと、音色の多彩さでしょう。なにしろ、言葉には母音の数だけ音色があるわけですが、楽器の方は、言葉と比べたら、音色の幅は全然狭いですからね。カラーフィルムの作品を白黒で見ているような物足りなさを私は感じます。
最初から楽器バージョンだけしか聞かなかったら、そのメロディの美しさに感動するんでしょうがね。ここらへんが、編曲ものの限界かなって思います。
> 最初から楽器バージョンだけしか聞かなかったら、
知人のピアノの先生の生徒さんがピアノが大好きで音大入学しました。
卒業旅行でミラノ・スカラ座でオペラのリゴレットを見たらしいのですが、そのときまで、リゴレット・パラフレーズを元に、リゴレットというオペラが作られた、とずっと思っていたらしいです。
> 由緒正しいオペラ系クラヲタ
オペラは国内では見る機会が少ないし、タイトルは聞いたことがあってもスジは知らない、というのはたくさんありすぎて恥ずかしいくらいです。
どの部分が一瞬流れてもそのオペラの一部分、と判別できるのは、カルメンとトスカくらいしかありません。
ピアノとか弦楽器だと、聞き流していればなんとなく、という感じですが、オペラは対訳とか画像がないと、なかなかわかりづらいところがあります。
tetsuさん
日本では言葉の壁もあって、仕方ない部分はあるのですが、本来、クラシック音楽と言われるものは、教会音楽と劇場音楽の二種類で成り立っていて、教会音楽の親分がミサ曲であって、劇場音楽の親分がオペラなんですね。なので、すごく大雑把に言ってしまうと「クラシック音楽は、ミサ曲とオペラさえあれば十分」とも言えます。乱暴ですが(笑)。
>リゴレット・パラフレーズを元に、リゴレットというオペラが作られた、とずっと思っていたらしいです。
笑えないです(汗)。自覚はないけれど、たぶん、私もそれに似た事を思っていたりするはずですからね。人は誰であっても、自分の生活の範囲で物事を考えがちです。私の生活している範囲も実に狭いものですから、こうして日々ブログに好き勝手に書き散らしていますが、その中にどれだけの間違いとか見当違いとかがあるかと思うと…ちょっぴり背筋がヒヤヒヤします。
>オペラは対訳とか画像がないと、なかなかわかりづらいところがあります。
ほんと、そう思いますよ。ですから、今はオペラDVDが安価で入手できますからいいのですが、ちょっと前の世代の方々は大変だったようです。ラジオ放送とか、劇場での演奏では当然ですが字幕無しだし、ビデオもDVDも無いし、レコードはあったけれど、台本を見ながら、首っ引きで鑑賞していたそうです。今よりも、オペラ鑑賞には、ずっとずっと忍耐と想像力を必要としていたらしいです。
そんな時代だったら、私はオペラを好きになれたかどうか…自信がありません。だって、そんなにマジメじゃないもの。
> 本来、クラシック音楽と言われるものは、教会音楽と劇場音楽の二種類で成り立っていて、
今日はイースターです。一時期はこのころJ.S.バッハのマタイ受難曲のコンサートに毎年通っていたこともありましたが、最近は適当なのが見つかりにくい、とか他いろいろあって行かなくなってしまいました。
「教会音楽と劇場音楽の二種類」と分類さえできてしまえれば、ウィーンでは今もそんな状況が残っている、という感じがしました。逆に言うと他ではほぼすたれてしまったような感じがします。
ウィーンの教会ではクリスマス前後でしたが、オケ付でモーツァルトやシューベルトのミサ曲をホントに演奏会ではなくてミサで演奏していて、シュターツオパーとかフォルクスオパーでオペラを毎晩やっている、というのは確かでした。次にいつ行けるかわかりませんが、行ってみたいです。
tetsuさん
つまるところ、クラシック音楽って、ヨーロッパという地域における民俗音楽なんですよ、それも今や古典音楽化している音楽。そう考えると、ドイツとかイタリアとかオーストリアとかフランスなどにその残照が残っている事、日本やアメリカなどとは全く違う音楽世界が広がっている事などが納得いくんじゃないかな? 少なくとも私はそういう理解をしています。
そして彼らの民俗性に立脚している音楽だからこそ、どうにも我々には理解しがたいモノがあるのも、納得します。
> クラシック音楽って、ヨーロッパという地域における民俗音楽
確かにおっしゃる通りです。
グレゴリアンからいろいろあって平均律の誕生、その後いろいろあって12音音楽、というのはすべてこの地域で起きていて、逆にいえば他の地域ではなかった、というのは確かです。
> 彼らの民俗性に立脚している
日本でもクラシック音楽だけではなく、その他社会制度から自然科学まで、もろもろありすぎという状況とおもいます。
そうでない分野(たとえば能?)を探すのが難しいかもしれません。
tetsuさん
>その他社会制度から自然科学まで、もろもろありすぎという状況とおもいます。
そうですね、それを考えると、彼ら白人たちの影響力って、すさまじいモノがあります。結局、現代社会って、彼ら白人たちの文化が世界を席巻しているわけで、なんともな感じがします。
21世紀の社会だって、グローバル化などと叫ばれていますが、これってつまりは「世界中どこでもアメリカ」って世界を作る事を目指しているわけで、アメリカ人もやはり白人さんですからね。昔ヨーロッパ、今アメリカ、なんでしょうね。
そんな彼らに対して、カラードである私たちは、どんな影響を与えることができるんでしょうね。卑屈になるつもりはありませんが、なんか黄昏てしまいます。