先日、ちょっとした合唱の講習会に出席してきました。
きちんと下準備をしてから臨めば、それなりに学べた講習会だったと思いますが、なにしろ、日々の仕事と生活に追われて、ほぼ「何も手つかず」状態で参加した講習会でしたので、なかなかヒドい受講生になってしまいました。いやあ、申し訳ない。
で、その講習会で感じた事を今回は書いてみます。
まず私の立ち位置と言うか、どういう経歴の持ち主なのかを、あまりご存じない方もいらっしゃるでしょうから、そのあたりを明確にしておきましょう。
私は、歌が好きで、合唱が好きで、二十年ほど前は、あっちこっちの合唱団に参加して、結構ブイブイ言わせていました。いわゆる「オトナになってから合唱を始めた人」であって、学生時代に合唱部とかに所属していたわけではないので、テクニック的には、当時からダメダメでしたが、若くで元気で金払いが良くて肉体作業も厭わない、ある意味、とても使い勝手の良い青年でしたので、歌以外の面で大切にされて、重宝されていました。
歌そのものは、今思うに、とってもヒドイ状況だったと思います。リズムも音程もダメでしたが、声が未熟な上に、発声がヒドかったので、合唱団的には、大きな実害はなかったのだと思います。だって、私の歌声なんて、客席に聞こえませんからね。ま、どんなにヒドい歌でも客に聞こえなければ、無問題ってわけです。
で、仕事が忙しくなって、自然と合唱からフェードアウトして、しばらく音楽とは無縁の生活を送り、今から約7年ほど前に、わけあって音楽と言うか、歌を再開し、現在に至ります。
歌を再開した頃は、年齢も重ね、ジジイになり、声は成熟していましたが、発声はヒドいままだし、テクニック的にはむしろ退化していたので、リズムも音程も合唱に耐えられるものではなかったのでしょう。どこの合唱団でもお断り状況になりました。
若くて未熟な声だった頃ならともかく、今の私は、なまじ声が成熟してしまったので、無駄に声が良いのですよ。目立つ声だし、通る声だし、栄える声なんですよ。以前なら、どんなにデタラメを歌っていても、実害などありませんでしたが、その頃の私は、私がちょっとでも間違えただけで、合唱団全体が間違えてしまったという印象を与えるほどの影響力のある声となっていて、団に核爆弾級の損害を与える存在だと、ある信頼している指揮者さんに、直接面と向かって言われちゃいました。つまり、他の人たちは(言葉は悪いけれど)適当に歌っていてもいいのだけれど、私は完璧に歌えないとダメなんだそうです。
で、完璧…とまではいかなくても、皆さんの足を引っ張らない程度に歌えないとダメだろうと言うわけで、前の声楽の先生であるキング先生の門を叩いて、ヴォイストレーニングを始めたわけです。
キング先生の元で五年ほど発声を習っていましたが、結論からすると、声は良くなった部分も多少あったけれど、ダメになった面も多々あり、とても合唱に使えるような声にはなりませんでした。先生のご指導が私の声には合っていなかったのが、その原因です。
で、先生を変えたのが、約1年前です。ようやく、ぼちぼちと発声が改善され、どうにか本来の私の声の姿が見え始めてきたと言うのが、今の私の現状でございます。
そういう状態の私なので、まだまだ合唱も独唱も満足に出来ない状況だけれど、それなりの期間学んでいるので、その両方の事は、とりあえず分かりますよって程度の人です。
で、今回の合唱の講習会に出て思った事がいくつかあるので、それらを順番に書いていきたいと思います。
まず、合唱で見事な声で歌っている人がソロを歌を歌うと、なんか物足りなく感じ、ソロで見事に歌える人が合唱に入ると、実にウザい声に聞こえるって事です。これは私の事ではなく、私よりも数段歌える人たちの歌声を聞いた感想です。
もちろん、合唱も独唱も、発声の基本の基礎の部分は同じだろうと思います。で、合唱の人は、その基礎部分だけを学び、そこに留まっているような気がするんです。
これは批判しているのではなく、合唱団で学ぶヴォイトレって奴が、発声の基礎しか教えられないモノであって、そこで教えられた事を忠実に守って歌っているのが、合唱の人たちの歌い方…じゃないかなって思ったわけです。これは、私の経験から言っても、そう大きく間違っていないと思うし、グループレッスンと言うか、先生一人が複数の人の発声の練習を見ると、どうしても最大公約数的な注意しかできないので、そうならざるを得ないのでは…って事なんです。
たとえ技術的に基礎レベルで留まってるとしても、皆が同じレベルの歌声ならば、それは合唱としては、何ら悪いわけでなく、それはそれで良しなんです。でも、そこから取り出して、独唱で歌うと、基礎しか学んでいない歌声では、色々と物足りないものを聞いていて感じるわけです。
独唱を歌う人は、もちろん上手い下手はありますが、合唱しかやらない人よりも、発声やテクニックは数段上のモノを持っていますし、たいていの場合、持ち声にも恵まれています。で、こういう人が合唱に入ると、違和感があるんですよね。で「ウザい声だな」って思うわけです。テクニック的にも違和感があるし、なにより声の響きが全然違うのです。
合唱では、数名の上手な歌手がいても、それがその他の人たちとのバランスを欠いているようでは全然ダメで、それならばむしろ、技術的に基礎レベルであっても、平均化された歌声で歌う団が方が、合唱音楽として成り立っているし、結果が良いのだなって思いました。
次。当たり前の事だけれど、合唱では自分が音楽に合わせていくのであって、独唱のように自分で音楽を作るような歌い方をしてはダメなんですね。
具体的に言えば、指揮者をよく見て歌うのが合唱。自分の歌にピアニストさんが付いてきてくれるのが独唱。まあ、細かく言い始めると違うのですが、大雑把には、そんな感じで間違いないです。
だから、合唱では、指揮者をよく見て、きちんきちんとその要求に応えるように歌っていかなければいけません。…それが結構、私には窮屈でね(笑)。最近、合唱をやっていなかったせいもあるけれど「もう少し自由に歌わせてくれてもいいんじゃない?」って自分勝手な事を思ってしまいました(ごめんなさい)。
指揮者の指示通りに歌えると、たぶん、それはそれで気持ちいいんだと思います。でも、今の私は、指揮者の指示通りに歌える技量がない上に、そこに無理やりはめられるような気がして、窮屈に感じるのだと思います。
合唱は“自分のレベルなりの歌う”ではダメで、その団が求めるレベルで歌えないと、本人も、その団も不幸になる…って感じかな? ま、とにかく、指揮者の指示や要求レベルに応えられない時は、実に惨めな気分で歌わないいけないのが、合唱って奴なのかもしれません。
もう一つ、私個人が感じた事。
もちろん、合唱ですから、全体の迷惑にならないように、抑えて歌いました。
抑えて歌うと…ノドに来ますね。声が出ないように、腹圧を抑えて歌うと、その分、ノドに力が入るみたいです。また、音程重視で歌うと、やはりノドに来ますね。だって、ノドで音程を取った方が楽だし、正確なので、ついついノドで歌ってしまいがちです。
また声を抑えようととして、響きの薄い、平べったい声になってしまいます。これは個人的にはアウトですが、合唱的には、周囲の方々もまた、響きの薄い平べったい声で歌っているので、必ずしもダメってわけではないと思います。ただ、突出してはいけないので、あくまで小声で歌い続ける事が大切です。私の声はよく通るので、隣の人に聞こえない程度の声で歌って、ちょうど良い感じで響くようです。車で言うなら「ギアは常にローのままで」って事ですね。
今回の講習会で感じた事は、こんなところかな? まあ、今の私は、独唱も合唱もロクに歌えないレベルの人なので、ダメダメ感漂う記事でごめんなさい。もっと技巧的に上達すれば、独唱だろうと合唱だろうと、オチャノコサイサイになるのかもしれませんが、今の私は、こんな感じなんです。
声楽を習い始めた人に、先生が「合唱をやっちゃダメだよ。もしも合唱をやってるなら、今すぐに止めなさい」とおっしゃるケースが多々ありますが、その先生の気持ちがちょっぴり分かるような感じがする私です。もちろん、生徒さんが器用な人なら問題ないのかもしれませんが、私のように不器用な人だと、声楽的な発声と合唱的な発声がこんがらがって、上達が遅れてしまうのだと思います。
これはセミリンガルとバイリンガルの問題にも通じる問題だと思います。人によって、二つの言語を同時に学んでも、全然平気な人もいれば、同時に学ぶ事で、結局二つともどっちつかずになってしまう人もいるってわけです。
たぶん、私は不器用だから、どっちつかずになるのかもしれません。そういう意味で(講習会は受けちゃったけれど)、今年は合唱をお休みしていて、正解だったのかもしれません。
自分の不足を改めて認識する…と言うのは、大切な事ですね。
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コメント
おもしろくて興味深い話題が続きますね。きょうの合唱声と独唱声の違いも、考えさせられてます。ふっと思ったのですが、合唱は厚く層をなしたバウムクーヘンの一層のような声。独唱はデコレーションケーキの上に輝く真っ赤な大きなイチゴのような声。
っていう感じでしょうか。イチゴ声とバウムクーヘンの一層声では質も役目も大違いですよね。
だりあさん
バウムクーヘンとイチゴか…。例えとしては、かなりいい線いっていると思います。私の感覚では、バームクーヘンの一層というよりも、スポンジケーキの一部と言った方が、もっといい感じかもしれません。自分は全体の一部であって、その中で見分けられないほどの一体感がある事が理想で…。私のようなモノが合唱に入ると、スポンジケーキの中に出来たダマのような存在になるのかもしれませんね(笑)。
声の性質云々の前に、音がきちんと取れない人は、合唱団にいるべきではありません。
すごく迷惑なんですよ。
ソロを歌う人が、勝手に音を外すのはその人の問題なんだから、別に構わないけど、
音が常に一定しない人とか下がってばかりの人は、合唱団に入っちゃいけないと
思います。はい。
おぷーさん
おぷーさんのおっしゃる事は実に正論だと思います。
でもね、こっちの現実を見ると、音の取れない人。リズムが合わせられない人。指揮を見れない人。譜面が読めない人。声の出ない人。ラテン語の分からない人。こういう人たちを除いたら、相当数の合唱団がつぶれてしまいます。
たぶん、日本のアマチュア合唱団って(私の推論だけれど)1万じゃ足りないくらい存在するんじゃないかな? もちろん、同じ人が複数の団体に所属するなんて当たり前だけれど、それでいくぶん数的には水増しされるけれど、それでも数千の世界ではなく、数万の数にもなる合唱団があると思います。
上は、プロオケ付属のセミプロ合唱団から、下は、歌は言い訳で親睦が活動のメインになっている団まで、実力の幅が広いんです。
で、私は上も視界に入れつつ、でも私が近寄れる団体なんて、マジなところではなく、愛らしい方のジャンルに属する団体かはかりなので、どうしても話は思わず、そういう団体の世界の話になってしまいます。
ですから、合唱団員であっても、音が取れない、リズムが合わない、譜面が読めない…なんて、当然の世界で、毎週の練習の中身は、合同譜読み大会&音取り大会だったりするんです。で、一年かけても、何度も繰り返してさらっていても、まだ音が取れなかったりするんです。おぷーさんから見れば、呆れちゃう話でしょうが、そういう団体ってたくさんあるし、また、そういう団体で活動するのも、案外楽しいんですよ。
もちろん、とっても上手い団体さんもたくさんあるし、自分たちだってアマチュアのくせして『素人お断り』の団体もあります。それくらい、色々な団があって、実力差もあって…が、日本の合唱界の現状だろうと思ってます。
あと、おぷーさんには奇異に映るかもしれませんが、実はリズムも音程も正確で、きれいで大きな声で歌える人って、合唱団では嫌がられて、早晩、追い出されます。だから、合唱の場合、歌が上手ければ良いというわけでもないんですね。
日本にいる時には、2つの合唱団(大学合唱団と一般合唱団)に入ってました。
どっちも音の正確さとリズムの正確さを大事にする合唱団だったので、
そこで学んだものは大きかったです。
声楽を習ってて(もしくは声楽家)、合唱団に入るなら、ある程度レベルのある所じゃないと、
自分が苦しいですよ。
最近、日本人のやっている合唱団からお声が掛かって行ってみましたが、
日本唱歌を歌いましょうねー、レベルの合唱団でしたので、速攻お断りしました。
おぷーさん
>声楽を習ってて(もしくは声楽家)、合唱団に入るなら、ある程度レベルのある所じゃないと、自分が苦しいですよ。
なるほど。言われてみれば、それはそのとおりかもしれません。
でも私は自分に自信がないんですよ。だから、ある程度のレベルの合唱団には臆して近づけないんです。今までの私は、私が(無意識のうちに)狼藉を働いても目立たないような合唱団を選んできました。それ故、最後まで在籍させてもらったり、それでも、途中で追い出されたりと、それなりに波瀾のある歌人生を過ごしてきました。
実は最近、ある合唱団からお声がかかったのですが、私は自分に自信がない事と、今は合唱よりも発声の事を考えていたいかなって思って、お断りをしたところです。まあ、おそらく、時が満ちれば、やがて私にふさわしい場が与えられると信じてます。
独唱ばっかりやってきた人間に、いきなり合唱は出来ません。
考えがちーと甘いようですね。
この日記のテーマはよく私なんかも考えます。
まあつまり
本当に上手な人であれば、声楽でも合唱でも上手に歌えるのではと思います。
その人が加わるだけで全体のレベルを引き上げる人もいます。そうなれたらいいなあと私などは思います。
独唱しか歌えない!という人って、私が想像するにかなりのど声を使った人しか思い浮かびません。
そういえば前の副団長がそうだったなあ。
彼がやめて男声陣の声質がとてもなめらかで綺麗になりました。
おぶーさん
>独唱ばっかりやってきた人間に、いきなり合唱は出来ません。
同意です。ハーモニーの感覚は訓練しないとなかなか身につかないでしょう。
>考えがちーと甘いようですね
考えが甘いのは常の事なので、そう言われても、ああそうかと思う程度ですが、合唱団を断った事が“考えが甘い”事なのでしょうか? それともいずれ自分にふさわしい場が与えられると信じている事が“考えが甘い”事なのでしょうか? それとも、全然別の事に対して“考えが甘い”とおっしゃられているのでしょうか?
私の“考えが甘い”という事には反論しませんが、どの部分の考えが甘いのかが分からないと、私の甘さを正す事ができませんので、よかったら教えていただきたいです。
ははうえさん
え~と、こっちのハンドルで良かったんでしょうか?
>本当に上手な人であれば、声楽でも合唱でも上手に歌えるのではと思います。
私もそう思ってました。たぶん、ははうえさんのおっしゃる通りだと思います。ただ、私の『上手な人』のレベルが低いのかもしれませんが、声楽が上手でも合唱はダメ、合唱が上手でも声楽はダメ、というケースをたくさん見てきましたし、そういう人が上手ではないのかというと、それは違うかもって思ってます。
要するに『本当に上手な人』の『本当』のレベルに、声楽も合唱も両方上手に歌える、などの条件が必要かなって思います。
うむ、もはや言葉遊びになってきましたね、ごめんなさい。
>独唱しか歌えない!という人って、私が想像するにかなりのど声を使った人しか思い浮かびません。
これはとても大切なヒントをありがとうございます。たしかにそれは無視できない条件ですね。だとすると、私が今まで合唱ができなかった理由は、ノドで歌う事を中心に置いたキング式発声法が原因って事になるのかな? まあ、自分のダメな点を、他人のせいにはしたくないけれど、ノドを鳴らすのがキング式で一番大切にしていた部分だからなあ…。
私は器楽でしか考えが思いつかないのですが…
フルートでもそうですが、先生に師事すると、たぶん先生は、ソリストとして教えてくださいます。わたしの先生にオケとか吹奏楽の話もするのですが、まずはフルートの発音や音色、リズム、フレーズ感、和音の変化などをしっかり学ぶことが優先で、合わせることについては、アンサンブルくらいまでの話しがほとんどです。
オケでの管楽器は、ほぼソロ楽器に近いようですが、本当のソロでは、そうそう無くて。
例えばですが、オーボエとフルートがユニゾンの時に私が考えるのは、オーボエのダイレクトな音を包む、お布団(場合によっては綿菓子?)のような役割りを想像します。
組む相方がクラリネットと、とか、ホルンと、とかだと目指す音も変える努力をします。
これは、先生に教わったことでなく、友人に指揮者や作曲者がいて、彼らの求めるものを聞き、考えついたものです。
でも、この考えは合唱と独唱には、当てはまらないような…
そこで、ふと思ったのが、オケで言えば、バイオリン。
吹奏楽で言えば、クラリネットでしょうか。
たくさんのメンバーで、ピッチやイントネーションを揃える事を要求されますので、
この時は、合唱にあたるように思いますが、いかがでしょうか。
その中(団内)でソロを受け持った場合、私個人の考えとしては、響きが豊かで遠くに音が飛ばすよう考え、埋もれないよう芯をもち(これがフルートには難しい^^;)pからfまでの自由度を考えます。
この意識がバックを支えてくれるメンバーに同調してもらえると、全体の音楽性が豊かに。
変な言い方ですが、ちょっと試されているのかも、と。
さて、バイオリン協奏曲だったとして、ソロの方は自由度の高い演奏だと思うのです。
他のバイオリンと混ざっていては、まずいです。
それはもう、ちょっと音を出しただけで、おお!と皆が思う音で、音楽性もださなければ…
で、迎えるメンバーは、この表現豊かなバイオリニストと共に、表現する時もあれば、時計のように正確なリズムを保つ演奏を要求される場合もあります。
このバイオリニストがオケのコンサートマスターって事は、まぁある話しです。
ソロもでき、合奏では皆を引っ張る。
ソリストのみで活動される方は、合奏できないのかなぁ。
一度だけ、オケでオペラ歌手とご一緒したことあるのですが、合唱することを想像できませんでした。鳥肌が立つほどの、ビリビリ響く声でしたから。
楽器と歌は違うのでしょうか。
はるさん
歌の場合、確かに、ヴァイオリンやクラリネットに近いかもしれません。
本来の演奏方法に、ソロもアンサンブルも違いがないはずなんですが、やはりどこかに決定的な違いがあるんだろうと思います。
私の知り合いの歌手さん(オペラは歌わないのですが、オラトリオなどでソロを取る人です)は、歌手業の傍ら、合唱指揮者もやったり、合唱団員として活躍したりと、なかなかの活動家なのですが、この方は、ソロを歌う時と、合唱団の中で歌う時は、明らかに発声が違うんですね。ソロの時は、ギンギンギラギラ系の声で歌い、合唱の時はソフトでマイルドな声で歌います。
この違い、おそらくヴァイオリンで言うところの、ソロとアンサンブルの違いなのかもしれません。
これらの違いが単なる音色の違いなのか、それとも発声方法に起因するものなのか、知りたいですね。最近、合わないので、なかなか話ができないんですが、チャンスがあったら尋ねてみたいと思ってます。
>一度だけ、オケでオペラ歌手とご一緒したことあるのですが、合唱することを想像できませんでした。鳥肌が立つほどの、ビリビリ響く声でしたから。
おそらく、邦人系の合唱曲なら、そのままの声では合唱は無理でしょうね。しかし、オペラの中の合唱なら、別に問題ないと思いますよ。合唱と言っても、オペラの合唱は、オペラのソロと、そんなに大きく変わらないからです。なにしろオペラの場合、合唱と言っても、民衆の歌だったりするので、それぞれの声に個性があってもいいからです。
私と同じような人がやはりいらっしゃるのですね!!
私はソプラノです。合唱ではアルトに回されることもあります。
発声のちゃんとできない小さい声の人達と歌うのは苦痛でした。
指揮者の想いを声にするのは大好きですが・・。
他の人達ができないので、私一人ができる。
何団体クビになったか・・。
今はフルタイムで働いてくるので、無理ですが、いつか大きい声の人が安心して歌える日本的でない合唱団を作ってみたいです。
ツイッター ブログ ちょっと書いてます。
gassyoujinnさん、いらっしゃいませ。
合唱って(あえて言っちゃえば)団体競技なんですよね。あくまでもチームカラーが大切で、善かれ悪しかれ、その団体の水準を越えていない人が求められているわけです。で、その水準を越えてしまった場合は、叩かれて低くされて調和を求められるわけです。
本来は、低い人を育てて高い人に会わせるのが団体としての成長というものですが、効率を求め、成長を諦めれば、最大多数のゾーンに合わせて、高い人たちを叩いて低くする事になります。ま、それが日本の合唱なんだ、と言われてしまえば、それまでなんですが、私は常々そのやり方はどうなんだろうと思っています(思っているだけで、何も出来ないんですがね)。
やはり、高齢者中心の団体だと、成長を望むなんて無理無理で、現状維持が出来れば、御の字って発想が、指導者側にあるんだろうなあ…。成長させるって、指導が大変だもの。