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いつまで歌えるのかな?[告知付き]

 では、本日の記事に入る前に、告知を一つ。すでに左横欄の「お知らせ」にアップされていますが、携帯ユーザーさんは残念ながら、この「お知らせ」を読めないので、主に携帯ユーザーさんのために「お知らせ」をここに転載しておきます。

★★★

 雨宮正樹門下生ガラコンサートを、2012年6月24日(日)に行います。12:00開演(11:30開場)で、入場無料です。場所は、横浜の長浜野口記念公園内にある長浜ホールです。公式サイトはこちらです。京浜急行「能見台駅」または金沢シーサイドライン「幸浦駅」から徒歩15分ですが…悪い事は言いませんので、最寄り駅からタクシーで来てください(笑)。場所的にちょっと辺鄙なところにあるんです。ちなみに私の登場予定時刻は、おそらく3時過ぎになると思います(笑)。

★★★

 さて、今回の記事です。

 実は最近、ノドが不調です。歌っていると、やたらと痰がキレます。たぶん、プチ炎症状態なんだろうなあって思います。痛みは特にありませんが、クチの中が時折塩っぽいし(出血しているのかな?)、声も割れやすいですし、響きが(元々悪いけれど余計)悪くなっているような気がします。別に風邪をひいているわけでもないし、歌っていない時は、別に調子悪いという事もないので、さて、どうしたんだろう?と思ってました。

 年令もアラフィフだし、肉体的な最盛期は(当たり前だけど)とっくに越えて、すでに下り坂を転がり落ちているわけだし、どう考えても、ノドとか声とかはダメになっていく一方だし、仕方がないのかな…なんて、ちょっぴり鬱っぽくなりました。

 …が、よくよく考えてみれば、まだヒノキの花粉は飛んでいるんじゃん(笑)。たしかに、鼻水垂れるほどじゃないし、マスクをしなくても日常生活に支障はないけれど、花粉症が完全に終わったわけじゃないじゃん。ノドが腫れるのも、声が割れるのも、花粉でノドが腫れているからじゃん(笑)。

 今回の不調は、老化というよりも花粉が原因なので、ちょっぴり安心しました。

 安心しましたが…でも、やはりいずれは覚悟を決めないといけない事だろうなあって思いました。

 別に老化うんぬんの話ではありません。いや、老化については深刻な問題で、それはそれで考えていかないといけません。筋肉は鍛える事ができるので、年をとったからと言って、筋力の低下については、考えなくていいと思います。

 ただ、老いによって、確実に神経細胞は反応が悪くなっていくわけだし、粘膜はドンドン硬化していきます。聴力は衰えてくるでしょうし、速いフレーズはクチが廻らなくなって活舌は確実に悪くなってくるでしょう。声質だって、潤いのない爺声になってきます。これらすべてに関して、老いていけば、いずれは受け入れざるをないわけです。でも、それはそれ。今から覚悟はしていかないといけません。

 さて、老化はさておき、私の歌は、オジサンの趣味ですから、老化を横に置いたとしても『来年がある』なんていう前提で行動していちゃいけないなあって思いました。

 老化も怖いですが、老化する前に歌えなくなる事だって十分あります。

 まず、病気になって歌えなくなるかもしれません。オジサンなんて、持病の一つや二つや三つや四つや1ダースぐらい、持っていて当たり前ですからね。それらが、ある時を境に悪化して、歌えなくなる…なんて、容易に想像できることです。

 実は私、喘息持ちです。今は幸い、薬を常用するほど状態が悪いわけではないし、発作が起きて薬の世話になるにしても、まだ飲み薬でコントロールできる程度です。しかし、これから先、病状が悪化し、飲み薬ではなく、より強力な吸入薬をメインに使うようになれば…発作が起きて吸入薬を使用すると、すぐに息は楽になる代わりに、副作用として(私の場合)ノドが若干腫れ上がって違和感が生じ、話し声ですら割れてしまいます。話し声ですら割れるんですから、歌なんて、当然、ムリムリムリの世界になります。

 今年の春は、喘息とは無縁な生活ができましたが、秋も元気で過ごせるという保証はありません。もしも秋になって、喘息が悪化したら、冬はもう声が出ません、当然、歌えません。予定している歌劇団の本番公演だってパスせざるをえなくなります。それを考えると、来年の発表会? 鬼が笑います(涙)。

 いや、たとえ健康であっても、まだまだ現役世代ですし、趣味より生業を優先しないといけない年代ですから、仕事の都合で歌を辞めなきゃいけなくなる事は十分ありえます。

 職場で配置転換なんてモノがあったりすると、来年は歌えない状況に陥っているかもしれません。来年の発表会に出られなくなることだって、大いにあり得るかもしれません。

 実際、今年だって、吹奏楽部の顧問になって、帰宅時間が飛躍的に遅くなり、音楽の自宅練習時間がごっそり減っています。レッスンに行くのだって、自転車操業なわけで、どうしてもレッスンに行けない日が出てきてしまうかもしれません。実際、フルートのレッスンは、すでに仕事の都合で何度も休んでます。声楽のレッスンだって、どうなるか分かりません。

 あるいは、プライベートで大事件が起きて、歌どころではなくなるかもしれません。

 例えば、私が、妻と大喧嘩をして、泥沼の離婚劇を演じて、歌どころではない…ありえない話ではありません。あるいは、宝くじが当たって、大喜びで妻と二人で『豪華客船で世界一周の旅』に出かけていて、しばらく日本を留守にして、歌どころのさわぎじゃないかもしれません(ああ、世界一周、してみたいなあ…)。あるいは、次の衆議院選挙に立候補して、選挙運動に忙しくて、音楽どころじゃないかもしれません。そして、一年生議員として忙しい日々を送っているかもしれません。あるいは……まあ、人生なんて、何が起こるか分からないから楽しいのですよ。

 明日は、必ずしも、今日の延長線上にあるとは限りません。もちろん、事故とか災害とかに見舞われるかもしれませんしね…。

 そんな事を、ふと、考えてしまいました。いつ、歌えなくなるか、いつ、音楽を辞めざるをえなくなるか…分からないよねえ…。

 歌で言うと…いまはガラコンサートに備えて「オペラ座の怪人」のソングをいくつか練習しています。「オペラ座の怪人」はたまたま、良い歌だし、好きな歌だったから良かったけれど、これからも、良い歌、好きな歌、歌いたい歌を歌っていけるのだろうか? 私の人生にはタイムリミットがあります。あと何曲歌ったら、歌えなくなるのか? それを考えると、チャンスがあるうちに、歌いたい歌を優先して、ドンドン歌っていかないと、歌いたいのに歌わずに終わってしまう歌がたくさん残ってしまうなあ…って思いました。

 合唱をやっていた時、命をかけて舞台で歌っていた人たちの事を思い出しました。

 闘病中で、余命が数カ月と分かっていたからこそ、今回のステージに命懸けになっていた人や、調子が悪いのをだましだましでやってきて、舞台の上で発作を起こして倒れてしまった人とか…そんな人たちの事を思い出しました。

 私は、あと何回、歌えるのかな? 本当に歌いたい歌を優先して歌えるのかな?

 同じ事はフルートでも言えます。世の中にはフルート名曲はたくさんありますが、私はそれらのうち、何曲演奏する事が可能だろうか?

 そう思うと、人生って短いし、若者がうらやましいです。

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コメント

  1. operazanokaijinnokaijin より:

    すとん様。
    私、オペラ座の怪人大好きの、operazanokaijinnokaijin、です。
    歌・フルート・ダンス・バイオリン等々に関するDeepなエッセイに、毎々、
    感銘を受けております。今回は人生に関するDeepなエッセイで、益々、
    感銘を受けております。
    私の場合、あと何年生きられるのか、などと考えさせられたのは、
    数年前から義母が認知症を患い、目の前にいる娘(三女)を、長女と思いこんだり、
    でっかい縫いぐるみが、どういうわけか孫娘に見えるらしく、声をかけたり。
    で、私としては、あと何年生きられるか、と思った時、お金を遣ってしまうのは、本。
    あと何年生きられるのか、ということは、あと何冊読めるのか、と同義。
    というわけで、今日も、ネットで本をオーダーしてしまいました。
    すとん様は、読書方面では、どういうご傾向でしょうか?

  2. すとん より:

    operazanokaijinnokaijinさん

    >すとん様は、読書方面では、どういうご傾向でしょうか?

     昔は、片っ端から新書本を読んでいました。岩波新書、中公新書、ブルーバックス、講談社現代新書などが愛読書(?)でした。当時は、今ほど各社から新書が発刊されていなかったので、出たものを片っ端から読むという感じでした。それに加えて、自分の専門分野(教育系や心理学系)の(いわゆる)専門書やジャーナル、隣接領域である医学や看護学のちょっと踏み込んだ書物、職業上の必要から各社各教科の受験参考書(笑)などを読んでました。また、宗教系や哲学系の本も大好きでしたよ。当時の私は、活字中毒者だという自覚がありましたね。読み物が無くなると、百科事典とか国語辞書、六法全書、果ては聖書注解書なども端から読んでしまうくらいでしたから(笑)。そんなわけで、硬軟合わせて、一週間でこの手の知識系の書籍ばかりを10冊以上は読んでました。だから、自分で言うのもなんですが、かなりの分量を読んでました。

     大学図書館に大蔵一切経がありまして、いつの日か、これを読破してやる!と思っていたくらいですから(笑:結局、読んでません:爆)。

     その一方、詩集や純文学小説などは、後回しになってましたね。それでも、高校の国語の教科書の文学史の年表に載っているような有名作品は、最低限のノルマとして読んだと思います。が、いわゆるエンタメ系の小説はほとんど読んでません。今流行りのライトノベルなどは、手にとった事が無いくらいです。別にキライなわけではなく、エンタメ系の小説の隣に新刊の新書本があったら、ついつい新書本を手にとって読んでしまうからです。

     でも、そんな活字中毒者の生活も40になる手前までの話です。アラフォーになった途端、目がやられました。老眼…って奴ですね。活字を拾っていくのが苦痛になったんですよ。段々、読書から遠ざかりました。代わりに音楽を聞く時間が増えました。視力が衰えたので読書から音楽に趣味が切り替わった…わけです。でもね、アラフィフになって、段々と聴力の衰えを感じるようになりました。やがて音楽を聞くのが苦痛になってきたら、また趣味を変えていくのだろうと思います。

  3. だりあ より:

    >闘病中で、余命が数カ月と分かっていたからこそ、今回のステージに命懸けになっていた人

    私にもそんな友人がいました。いっしょに練習しているときは、その方の全身から気迫が炎となって燃え出ているようでした。今は、天国で天の笛を吹いてると思います。

    自分も、あと何年、とりあえず健康で、立って笛を吹いて歌っていられるだろうか・・・・ふっとしたときにその友人の姿を思い出してます。

    でも、ワタシは、たぶん、車いすの人になっても、息をしてて手がちゃんと動くかぎりは笛は離さないつもりですヨ。すとんさんっ、好きな曲をバンバン歌って、ピーピー吹きましょうよ。何をするのもできるのも、生きてるうちがハナなのよ、っていいますよ、ねっ。

  4. すとん より:

    だりあさん

     まさに『命懸け』で音楽に向き合っていた人もいるわけです。そういう方々を見習いたいものです。

    >何をするのもできるのも、生きてるうちがハナなのよ、っていいますよ、ねっ。

     いや、ほんと、そうですね。そして、単に生きているだけでなく、健康でないと、やはり音楽は難しいです。「来年の演奏会では何を歌おうかな?」なんて考えられるのって、本当は幸せな事なんだろうと思います。

     攻めるつもりで生きていかないと、やりたい事をやり残してしまいそうです。悔やまないためにも、いつも前を向いて頑張っていかないと…そう思いました。

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