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古墳とハニワを見てきた その5 郷土を愛せるようになれる博物館でした

 高崎の人々のソウルフードであるスパゲッティを堪能したら、次のバスに乗って、今度は“群馬の森”を目指します。2時過ぎのぐるりんに乗って到着したのが3時でした。遠いなあ…でもこの長距離なのにバス代200円というのは安いわ。

 群馬の森というのは大規模な森林公園です。その中に美術館と博物館があり、今回は博物館が私のお目当てです。

 群馬県立歴史博物館は、とても素晴らしい博物館でした。まず常設展に入りましたが、最初に入った大きな展示室で展示されているのは、すべてハニワで、すべて国宝なのだそうです。それってスゴイことだと思います。

 この博物館のすぐそばに観音山古墳があり、そこの出土品がここの博物館に収められているのです。

 展示されているハニワの迫力に、まずビックリでした。所蔵品の数点は、現在東京国立博物館のハニワ展にレンタルしていて、それらは写真展示でしたが、残ったハニワだって、その規模と数は半端ないです。とにかく展示されているハニワがデカい! どれもこれも高さは1m超えるものばかり。私のイメージではハニワって、せいぜい30cm程度だと思っていました。先に見学した八幡塚古墳のハニワたちが、それよりも少しばかり大きくて50cm前後だったので「実際のハニワって大きいんだな」と思ったのですが、ここのハニワは、そんなモンじゃなかったです。相当に巨大で、相当に立派です。かなり希少なハニワなのでしょうね、だから国宝なのでしょうね。ううむ、納得です。

 まずはこれだけでも、心理的にノックアウトです。群馬、スゲーって思いました。

 その次の展示室からは、群馬の通史の紹介になるわけですが…古代群馬(当時的には上毛野でしょうが)が、如何に政治的に大切な位置を占め、経済的に裕福であったが分かります。それには群馬が国内有数の馬産地であった事が関わっているのだと分かりました。モータリゼーション以前ならば、馬は大切な家畜であり、機動力なのですから。そして、後に中山道と呼ばれる道を利用して、京都や奈良とも直接つながっていたわけです。中山道は険しい山道ですが、馬を利用して移動すれば、さほど困難な道程ではないわけです。

 そうして古墳時代の群馬は大いに栄えたわけですが、古墳時代末期の榛名山の噴火を契機に少しずつ国力は衰えた…と言っても、律令時代(ま、奈良~平安時代)は、それでも扱いとしては“上国”だったわけですから、平均的な国よりもずっと栄えていたわけです。やがて、上毛野は上野(こうずけ)と呼ばれるようになり、守護大名、関東管領の支配の時代を経て、群雄割拠の時代になると、大小の戦国大名たちが現れ、徐々に分割統治されるようになり、江戸時代には上野国は多数の小藩による支配の元に置かれるようになりました。ま、小藩ばかりだから、国力はだだ下がりなわけです。そして明治以降、群馬県として再び一つにまとめられ、今に至るわけです。

 この博物館では、そんな群馬の歴史が分かるわけだから、私が群馬の子なら、ここを訪れるたびに、きっと誇らしい気持ちにさせられると思います。群馬の子で良かった…とか思うかもしれません。群馬が誇らしく感じられ、自然と郷土愛が育まれる、素晴らしい歴史博物館だなあと思いました。

 閉館時間の5時までたっぷりと堪能させてもらいました。

 すっかり日暮れて、バスに乗り、高崎駅に着いたのは6時過ぎです。少々のお土産と、車内で食べる夕食を購入しました。

 私が買った夕食は、高崎名物のだるま弁当と横川の釜飯弁当です。どちらも炊き込みご飯+山の幸の組み合わせ弁当です。だるま弁当は、プラスチック製のだるま型の容器に弁当が入っていました。釜飯弁当の方は、紙製のお釜型容器に入っています。個人的には昔のような、土鍋のお釜の方がうれしいのですが…贅沢を言ってはいけません。

 美味しいお弁当をいただいて、しっかりと高崎を堪能させていただきました。今回の旅行も、とても充実した楽しい旅行となりました。

 さて、これで今月の旅行はお終いです。家にたどり着いたのは、夜10時過ぎでした。当然、布団に入る頃にはてっぺんを回っていました。ほんと、お疲れ様でした。

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