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世の中には、理屈の通じる奴と通じない奴がいる

 言い換えるなら「論理的思考が出来て論理的な行動が取れる奴と、全く非論理的で訳分からない行動しかできない奴」がいる…と言い換えても良いかもしれません。

 で、どうやら数的には、理屈の通じる奴よりも、通じない奴の方が多い…ような気がします。

 この2種類の人々の間にある違いを、ちょっと昔の人は“馬鹿の壁”と呼んだわけです。

 実はこれって、視点が、理屈の通じる奴とか論理的思考ができる奴…つまり“お利口さん側の視点であり、お利口さんがお馬鹿ちゃんたちを見下して、その境にあるモノを“馬鹿の壁”と呼んで、ある意味、見下して蔑んでいたわけです。

 一種の選民思想だわな。だって、数的には、馬鹿の壁の向こう側の人間の方が多いわけで、自分たちは、その壁を越えていない“選ばれし者たち”とか思っているわけよ。ちょっと、イヤラシイね。

 馬鹿の壁と呼ぶかどうかは別として、この2種類の人々の間には、確かに心理的に大きな壁があるのは事実でしょう。

 では、壁のあっち側の、お利口さんたちが見下す、お馬鹿ちゃんたちの行動原理は何なのか?と言えば…それは当然、理屈とか論理とかではなく、実は感情とか気分とか快不快とか、そういう原初な価値基準なわけで、これはすべての生き物に共通する価値基準なわけです。

 つまり、馬鹿の壁の向こう側にいる、大勢の有象無象な人々の正体って、実は生き物として素直に生きている人たちの事で、行動の基準が「それ、好き」「嫌い」「やりたい」「やりたくない」「楽したい」「怠けたい」「放置したい」「目を背けたい」「考えたくない」「逃げ出したい」「誰かやってくれないかな?」とかの、実に原初でプリミティブな動機だったりするわけです。

 確かに、理屈とか論理とかって、実に人間臭い価値基準だし、人間以外に、そんなモノを振り回している生き物なんていないわけで、理屈とか論理とかで動く人間ってのは、極めて人間臭いわけだけれど、それって生き物としては、かなり無理している部分もあるわけです。だって、ほとんどの生き物は快不快の感情で生きていて、それに反する無理な行動なんて、絶対に取らないわけですからね。

 だから人間だって、多くの人は“快不快”の価値基準で動いているのは当然なわけで、それが生き物としては、極々自然なわけですが…そういう人の生き様を見た、人間臭い、馬鹿の壁の手前側にいる人たちからは「動物並…」と蔑まれてしまうわけです。

 かくして、世の中には、理屈の通じる奴と通じない奴の2種類の人がいるわけだけれど、どちらが良くて、どちらが悪いかなんて、本当は言い切れないよね。ただ、人間社会の中で成功を収めるのは、より人間社会に適応している、人間臭い人たちなわけです。と言うのも、人間社会で成功を収めるには、たとえイヤな事でも、当面不快な事であっても、先を見通して利があると判断されれば、それを貫徹できる奴が、結局、成功するわけだからです。で、成功者というのは、常に少数派なわけで、それが昔なら、貴族と平民。今の時代なら、成功者と愚民。馬鹿の壁のこっち側と向こう側ってな具合に分かれるわけです。

 そして、その“先を見通す能力”ってもんは、教育によって身につけるわけで、だから馬鹿の壁の手前側の人たちにとっては教育というものは極めて大切なモノなのです。そして、馬鹿の壁の向こう側の人たちって、結局、教育の手からこぼれ落ちてしまった人たちなわけです。そうやって、馬鹿の壁のこっち側と向こう側に分かれるのです。

 とは言え、社会的に成功していなくても、日々の生活に大きな不満もなく、明日の生活の心配をせずに暮らせるなら、それで良いちゃあ良いわけで、何も無理せずに、馬鹿の壁の向こう側にいてもいいじゃん…という生き方も、幸せな生き方と言えないわけでもないわけです。

 人なんてものは、現状が幸せだと認識できれば、誰が何と言っても幸せであって、その現状がどんな状況であっても、他人は関係ないからね。そういう意味では、馬鹿の壁なんて気にするだけ無駄なのかもしれません。

 あ、私はどっちか…と言えば、残念ながら、馬鹿の壁の手前側の人間なんだろうなあって思ってます。つまり、成功者側の陣営にいる人間でしょう。その割には、大した生活してないけれどなあ(溜息)。

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コメント

  1. オペラ座の怪人の怪人 より:

    物事を単純化することは、危険ではありますが、
    単純化しないことには、議論ができないものと思い、
    今、単純化して、議論を「吹っ掛けます」と、

    超一流企業(具体的には「どこかな~?」想像にお任せします)は、
    社員の大部分が「お利口さん」なので、キチンと議論ができますが、
    底辺企業・ブラック企業は「お馬鹿さん」ばっかりなので、
    キチンとした議論なんて、望めないでしょうな~。

    世の中の大部分の会社(≒組織)は、それらの中間の、
    超一流ではもちろん「なく」、
    底辺企業というほどの「底辺」でもなく、
    少数のお利口と多数のお馬鹿が入り混じって、
    年がら年中、揉めているんでしょうな~。

    鹿児●県警「本部」なんて、揉めてますな~
    最高学府卒の「お利口」と現場叩き上げとの「揉め事」?

    業績絶好調が長らく続いている会社は、全員が「お利口」?
    そういう会社もあるんでしょうが、
    日本の某製造業トヨ●は、現場労働者も多いわけで、
    基本的には「お利口」が「お馬鹿」をうまくコントロールできて、
    「いない」?としか、言いようのない不祥事がありますな~。

    理想的な「お利口」集団って、
    某IT系企業くらいなのかしら?

    ヾ(・◇・)ノ ヽ( ̄▽ ̄)ノ ヽ(・∀・)ノ

    (-A-) (-A-) (-A-) ← ざっくぅ

    おしまい

  2. すとん より:

    オペラ座の怪人の怪人さん

     結局、目的遂行型の有能な組織って、軍隊にならざるを得ないのだと思います。頭脳たる幹部(将官・佐官・尉官)たちと、カラダを張っていく兵隊と彼らを指揮していく下士官たち。この2つのグループがうまく機能していくと強い軍隊となり、どちらか片方、あるいは両方がダメだと、ダメな軍隊となります。

     会社の中の組織もそうで、大企業と下請け企業の関係も、この軍隊的な秩序がうまく機能していると全体の生産性が上がり、そこがうまく行ってないとダメなわけです。

    >理想的な「お利口」集団って、某IT系企業くらいなのかしら?

     その某IT企業だって、彼らの手足となってくれる、いわゆる“IT土方”を請け負ってくれる部隊がないと、うまく回っていかないでしょう?

     世の中は、お利口さんだけじゃ回っていかないし、おバカちゃんばかりだとカオスになるしかないわけで、そういう意味では上手く出来ていると思いますよ。

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