上手い歌…リズムが正しいとか、音程が正確とか、たくさん歌唱テクニックを用いて歌われた歌であるかとか…まあ、そんな感じの歌の事です。テレビのカラオケ番組等で、高得点を取るような歌は、上手い歌って言えると思いますが、そういう歌には私は全くと言って良いほどに、心が惹かれないのです。
無論、歌は上手いに越したことはありません。下手くそな歌は、やはり好みません。
じゃあ、どんな歌に心が惹かれるのかと言えば、良い声で歌われた歌です。良い声というのは、はっきり言っちゃえば、私好みの声の事です。つまり、私は、私の好きな声で歌われた歌に心が惹かれるってだけの話です。
身も蓋もない話ですね。でも、突き詰めて考えてみると、そういう結論になっちゃうんです。
フルートを熱心に学んでいた時、先生方から何度も何度も注意されたのは「美しい音色で吹く」という事です。細かな音符や速いフレーズは誰でも練習すれば吹けるようになるけれど、美しい音色で吹けるようになるには、日々の鍛錬が欠かせない…という趣旨の事を徹底的に叩き込まれました。なので…私の吹くフルートの音色に関しては、ちょっぴり自信があるんですよ。
歌もそれと同様なことがあって、音程が正確な歌やテクニカルな歌を歌える事はもちろん大切な事なのだけれど、もっと大切なのは美声で歌える事なのだと思います。そのためには、日頃から美しい声で発声する事なのでしょうね。…自分で書いておきながら、自分自身は全く出来てません。ああ、美声になりたい(涙)。ほんと、なりたい…。
皆さんはどんな歌や歌手に心惹かれますか?
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コメント
いつもお邪魔しています。今回もすごく魅力的なお題ですね。
>どんな歌や歌手に心惹かれるか
自分の歌の出発点がBachやMozartの教会コーラスだったせいか、教会向きの響きのよい透明な声質が好きです。
ただ、「時分の花」のボーイソプラノは商業化すべきではないと思っているので、学校や地域の合唱祭などでしか聞きません。
ポピュラー系でも「合唱部」的な澄んだ素直な声が好みなのですが、こういう声だとやはりガキっぽい曲が多いのがツライです。日本語の詩として深みのある歌詞だと、「美声ではないが上手い」系の人が歌う例が多いような気がします。
如月青さん
私も教会音楽は好きですし、年に1曲は宗教曲を勉強すると決めているので、Y先生には良い顔をされてません(笑)。ヘンデルを歌っているのも、宗教曲だからです。
そういう意味では讃美歌をきちんと勉強して歌いたいという気持ちも無いわけじゃないのですが、讃美歌って、決定的に私の声に合わないんですよ(涙)。そこがとっても悲しいのです。讃美歌って、会衆賛美用に作られているから、テノールである私には低くて低くて(涙)。とても残念なのです。
>讃美歌って会衆賛美用に
日曜学校などで歌う「讃美歌集」の曲はたしかに小中学校の教科書的で低めですね。
市民向けの合唱曲と一緒で、声を磨こうにも手ごたえがない。
若いころは先生の趣味でバッハ、モーツァルト、ハイドンが主流でしたが、高音部はa2-g2あたりが中心音域なので、これは手ごたえがあります。ただ、教会向けの合唱で声を作ってしまうと、「首から上で出してるきれいな声」になりがちなのが難です。ノドは開いていて、響きは高いのですが、下半身の使い方が子供なので、ほんとの高音(a2から上くらい)で突然つっかえて力任せに出そうとして自滅する。
この半年くらいで、「音程の調整は横隔膜が勝負」とようやく身に染みて分かってきて、若い時にこれができていれば、と後悔しきりです。
如月青さん
バッハ、モーツァルト、ハイドン…ああ、素晴らしい。私も歌ってみたいと思うものの、彼らの楽曲はみなドイツ語なんですよね。ドイツ語、苦手、おかげでリパートリーが狭くて仕方がない(汗)。
やっぱりドイツ語をがんばるしかないんだろうなあ…(グジグジグジ…)。
横隔膜大切ですよね。私、それが分かっていながら、肝心の筋肉が動かないというダメ状態にあります。筋肉を動かすには…トレーニングしか手段がないわけで、そんなわけで、レッスンのたびに筋トレのような事をやっています。少しずつ効果が出てきたと思うのですが、なんとも進歩が遅いのが情けないです。
演奏会場と音楽のジャンル・時代をきちんと守って歌われる歌が好きです。
この間、教会で演奏しましたが、リハの時、ソプラノ歌手の方、まるでヴェルディを歌う様な太い声で宗教曲を歌ったので、流石に合唱団の指揮者が注意を促した様で、本番は、控えめに美しく歌われてました。
TPOは弁えないといけませんね。
おぷーさん
>TPOは弁えないといけませんね。
ああ、これはY先生がよく私に言ってます。歌には、それぞれ様式というのがあって、その様式を踏まえた上で歌わないといけない…のだと。
でも、私はその歌いわけができません。イタリア・オペラもドイツリートもイギリスのオラトリオもみんな自分流でしか歌えません。まあ、テクニックが未熟なのが原因なのですが、どうしても“自分の好き”が前面に出てしまう、愚かな歌手なのが、自分でも残念です。
(頭じゃ)分かっちゃいるけれど(感情が邪魔して)できないのです。情けない。