ようやっと2018年が終わりそうです。年末なので、少し早いですが、落ち穂拾いとします。
この年末に忙しく働いていらっしゃる皆様、ご苦労さまです。私は一足先に冬休みに入りました。この冬休みは、足の骨を折ったこともあり、ひたすら体調を整える事に費やしています。
とにかく寝る、早寝で寝坊を心がけています。毎日、眠れなくなるまで寝ています。で、起きたら、ブログをちょこっとやり、テレビを見て、後は…病院へ行ったり、マッサージに行ったり、たまにポケGOをしたりという、ゆったりとした生活をしています。
疲れなんて、若い時は一晩で回復したのに、今や積極的に疲労回復に邁進しないと、いつまでも澱のように疲れが残ってしまうのですよ(涙)。ああ、悲しい。というわけで、ダラダラとした冬休みに突入した私でございます。
自称と他称
福音派とファンダメンタリズムの違いですが…私個人は、この2つは、ほぼ一緒だと思ってます。言葉の違いとしては、自分たちが名乗る時は「福音派」であって、その福音派の人々を他派の人が揶揄する時に「ファンダメンタリズム」という言葉を使っているような気がします。つまり、ファンダメンタリズムには、一種の侮蔑感が伴っている…というのが私の感覚ですが、これが正しいかどうかの保証は全くありません(違っていたら、ごめんね)。
ちなみに、ファンダメンタリズムではなくても、原理主義者とか、聖書鵜呑み派と呼んでも、侮蔑感をバリバリに感じます。
なので、アメリカ大統領のトランプ氏は、福音派の支持を受けている大統領なわけですが、彼に敵対する勢力は、彼の事をファンダメンタリストって呼ぶわけで、彼の支持母体をどう呼ぶかで、反対勢力なのかどうなのかが分かるわけで、それはそれで面白いなあと思いました。
フルートは高すぎる?
物の値段は需要と供給で決まるので、確かに今のフルートの値段は、色々考えてみると、特に一般庶民の金銭感覚的に考えてみると、とても高いのだけれど、それで現実的に売れてしまっている以上、この値段が現代のフルートの適正価格なんだろうと思います。
でも、昔のフルートが安かった時代の話を聞くたびに、今のフルートの値段は高すぎると思うし、私にもゴールドフルートに対する憧れはありますが、その気持ちは、まんまとメーカーサイドの戦略に乗ってしまっている事になるんだろうなあって思います。
フルートは楽器であって、生活必需品ではなく(あえて言えば)嗜好品なので、いくら高くても良いわけだし、高価格であっても、それで市場が機能している以上、安値で販売する必要はないのですが、良い品をもっと廉価で販売してくれたら、個人的にはうれしいのだけれどなあ…って思うわけです。
考えてみれば曲の構造って…
考えてみれば、フルートに限らず、音楽って、スケールかアルペジオのどちらかのパターンを、それなりに組み合わせて作られていますよね。音階とかアルペジオは、さすがの私でも指で覚えていますし、音楽の進行も、和音進行のパターンってのがあって、それに沿って、スケールやらアルペジオやらの組み合わせで音楽が出来ていて、その延長で曲を覚えると…指で覚える…という感覚になっていくのかもしれません。
音楽のあるある定番を指グセとして覚えてしまう…というのが、指で音楽を覚えるという事ならば、私、なんとなく、分かったような気がします(錯覚かもしれませんが)。
あなたが感じる年末の曲って何ですか?
一般の方は、山下達郎の「クリスマスイブ」とか、マライア・キャリーの「恋人たちのクリスマス/All I Want for Christmas Is You」でしょうし、クラヲタの皆さんなら、ベートーヴェンの第九でしょうね。
で、私もクラヲタの端くれですが「第九はちょっと…」と思っている人です。と言うのも、第九って、11月頃から耳にし始めるわけで、肝心の年末の頃はすでに食傷気味になってまして、改めて年末の曲として聞くと、聞き過ぎて、ゲップが出そうな気がするんです。
そんな私が最も年末を感じる曲と言うと、ヘンデルの「メサイア」かな? この曲は、本当の年末のクリスマス前後じゃないと生では聞けないので、この曲の、特に序曲の部分を聞くと「ああ、今年も年末だな」って感じるわけです。
ちなみにヨーロッパの方では、年末と言うと、喜歌劇「こうもり」なんだそうですね(ホントかな?)。
今月のお気に入り 日本語訳の「美しき水車小屋の娘」
ドイツリートは歌詞が大切だと言います。言葉の一つ一つが大切で、ドイツ語が分からないとドイツリートは歌えないとまで言い切る人もいます(じゃあ、私は永遠に無理だな:笑)。
まあ、私はドイツリートに関しては全然知らないので、その言葉を否定することもできませんが、いくら歌い手が流暢なドイツ語で歌っても、観客サイドが日本人ならば、それも通じないわけで、観客的には、流暢なドイツ語であっても、訛りだらけの下手くそのドイツ語やカタカナドイツ語であっても、全然変わらないわけだったりします。
なので、ドイツリートドイツリートと言っている人の言葉を聞くたびに、ドイツリートって、ドイツ人以外には理解できない/楽しめない、極めてローカルな音楽なんだなあと、私は思うようにしています。
それはさておき、言葉が大切なドイツリートであるならば、観客が日本人なら、ドイツ語ではなく日本語で歌うのもありだし、歌詞の内容を重視するなら、むしろそうするべきだろうなあと、私は考えました。で、勉強も兼ねて、日本語訳の「美しき水車小屋」を聞いてみたわけです。
感想。いいじゃん、これ。日本語訳だと、何を歌っているのかよく分かる。
だけど、中身が分かっちゃって、すごく残念な気分にもなりました。だってこの曲、もう少し、高尚な内容を歌っているのかと思ったら、全然違っていて、小心者のドーテイ野郎が、女に振られたくらいで自殺しちゃうという、なんとも情けない内容の詩なんですよ。はあ~って感じです。
歌詞の内容は、歌謡曲や演歌でもありそうな内容で、あまりに俗っぽくってビックリしました。天下のドイツリートと言えども、歌詞の内容的には、脳天気なイタリアの曲と、大差ないじゃん。これなら、日本歌曲の方が、全然高尚だし、芸術っぽいと思うよ。
でもね、歌詞の内容はアレだけど、音楽そのものは良いと思うし、シューベルトって凄えなあって思います。
それに詩って内容じゃないんだよね。その内容よりも響きの方が大切だったりするから、日本語に訳しちゃダメで、ドイツ語のままでないとダメなのかもしれない。で、ドイツ語の響きをシューベルトの音楽に載せて楽しむ。もちろん、意味は横において、ただただ言葉の響きと音楽を楽しむ…これがドイツリートだと言うなら、そういうものなのだろうなあと私は納得します。ならば、観客にはドイツ語理解能力は不要だし、歌う側は訛りのない美しいドイツ語で歌わないといけません。
つまり、ドイツリートドイツリートと言う人たちの言わんとする事は、そういう事なのかなと理解しました。
今月の金魚
2018年12月4日(火) タニシが150匹もやってきました。
今月のひとこと
足の骨が折れたと言った途端に、急に回りの人々が優しくなりました。(推定)捻挫と(結果)骨折では、こんなに人々の態度が変わるものかと思いました。捻挫は怪我のうちに入らないけれど、骨折は重傷だ…という認識なんでしょうね。ま、私もそれに近い認識ですが(笑)。(2018年11月29日~12月6日)
雨の日のバス通勤のちょっと嫌な事。バスの床が雨のしずくで濡れていて、すべりやすい事。ずぶ濡れのレインコートを着た幼児が遠慮なくカラダを押し付けてくる事。濡れた傘を私の長靴の中に差し込んでくる事(信じられない!)。(2018年12月6~12日)
急に寒くなりましたね。気候の変化に体調が追いつかず、風邪をひいてしまいました。ああ、ノドが痛い(涙)。(2018年12月12~22日)
身体がガタガタです(涙)。腰は痛いし、足は痛いし、脇腹も痛いし、肩も痛いし、頭も痛いし、目もかすむ。胃袋はなんか気持ち悪いし、お通じの様子もなんか変。どうやら、疲れが溜まっているみたいです。今年の冬休みは、身体のメンテに全力をあげて取り組まないとダメみたいです(2018年12月22~27日)
今月は以上です。よろしくお願いします。
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コメント
こんばんは。
> ヘンデルの「メサイア」
先日、初めて「メサイア」by 藝大を聴いてきました。メチャ長かったです。
笛吹きにとってヘンデルはフルートソナタあたりがなじみで、モイーズのソノリテの最後のページにもあって大好きです。「メサイア」も旋律が延びやかでいかにもヘンデルしていてよかったです。歌詞も少しは理解して聴いたらもっとなじめそうな感じです。
同じ固有名詞の「メサイア」と「メシア」は使われる状況が違うとなぜか違う言葉に聞こえてしまいます。
「モイーズ」と「モーセ」もこちらにとってはそうです。
いつもテキトーに書き散らして失礼しました。
良いお年をお迎えください。
tetsuさん
『メサイア』、長かったでしょう。休憩入れて、約3時間ですからね。オペラ並の長さです。まあ、オラトリオなんて、芝居のないオペラですから、やっぱりそれくらいになるんでしょうね。
芸大の「メサイア」かあ…。今年はうっかりして行きそびれちゃったなあ。残念。来年はぜひ行きたいものです。