クラシック音楽とは、高尚な音楽であり、知的な芸術であり、高い教養の持ち主だけが楽しむ音楽であって、無知蒙昧な一般庶民には、とても難解で理解できないシロモノであって、ある意味、高級な人間とそうではない人間とを分ける試金石のような芸術である。
…なんて思っている人、いませんか?
無論、今の私はそんな事を思っていませんが、実は子どもの頃は、これに似た考えを持っていました。で、子どもの私が、なぜそんな考え方をしていたのかといえば、周りのオトナたちがそんなふうに考えていたからです。
「お金持ちはベートーヴェンを聞いて、貧乏人は美空ひばりを聞く」とか「良家の子女はピアノを楽しみ、貧乏なオヤジは飲み屋で流しのギターを聞きながら、安酒をチビチビ飲む」とか…そんな感じ。実際、クラシックファンの家庭には、大仰なオーディオシステムが必ずあったわけだし、その家にはアップライトピアノがあって娘は必ずピアノを習っていたし、いやいや、ピアノどころかヴァイオリンを習っていたりもするわけです。もちろん、貧乏人の家には、オーディオシステムもピアノもヴァイオリンも、それらを習っている娘もいないわけです。
クラシック音楽を権威づけたもの。それは舶来品信仰と学校教育だと思います。
今では信じられないかもしれないけれど、私が子どもだった時代は、まだまだ舶来品信仰がありました。舶来品とは輸入品の昔の言い方で、舶来品信仰とは“海外からの輸入品は何でも素晴らしいと思い込み、それらを理屈抜きで信じていた”事を言います。実際、みんなそんな感じで、舶来品を意味なく有難がっていました。
なにしろ、あの頃は1ドル360円だし、物品税も関税も高かった時代ですから、海外からの輸入品は、どれもこれも価格的には超高級品扱いされたわけだし、手にできるのは、ほんの一握りのお金持ちだけで、貧乏人の手になど届くはずもなく、当時の人の舶来品信仰は、ある意味、仕方のない事だったのかもしれません。
例えば、当時の海外旅行の土産の一つに洋酒があり、それらを飲み終えると、カラ瓶を応接室のガラスケースの中に飾るという、今では考えられない風習すらありました。いや、もったいなさすぎて、飲まずに封も切らずに、そのまま応接室に飾られていたりもしていました。今じゃ、スーパーで普通に売られているような洋酒なんですが…ね。当時のオトナたちにとって、たまに海外に行った人が持ち帰る洋酒が、本当に有難かったんだと思いますよ。
それくらい、舶来品って、入手困難な超高級品扱いだったわけで、クラシック音楽とそれにまつわるものって、これら同様に、超高級品だったわけです。だから、金持ちじゃないと、なかなか楽しめなかったのは事実です。
さらに学校の音楽の時間で教えるのは…クラシック音楽でした。今と違って、民族音楽やら邦楽やらなんて、てんで相手にせず、徹頭徹尾クラシック音楽至上主義であって、その素晴らしさを子どもたちに刷り込んでいったわけです。特に、ベートーヴェンの聖人扱いぷりったら、今じゃ想像できないほどです。
そんなわけで、クラシック音楽は、高尚な音楽であり、知的な芸術であり、高い教養の持ち主だけが楽しむ音楽であって、無知蒙昧な一般庶民には、とても難解で理解できないシロモノであって、ある意味、高級な人間とそうではない人間とを分ける試金石のような芸術であったわけです。
ふう、だいたい20世紀においては、それらは正解扱いされていました。
でも、時は流れて、今や21世紀です。日本人の生活レベルも教養レベルも格段に上がり、誰も応接室に洋酒のカラ瓶なんて飾らなくなりました。舶来品という言葉が死語になって、随分経ちました。昔々は電気街だった秋葉原の大型店舗の中の、良い場所に、広々としたオーディオコーナーがあったものですが、今じゃ売り場の片隅とか、下手すると取り寄せオンリーで、オーディオコーナーそのものが無くなってしまった店舗すらあります。オーディオマニアなんて…失礼を承知で言っちゃうけれど…今の時代、どれくらいいるんでしょう? 自宅にオーディオ専用ルームを作って、高級機器で音楽聞いている人って、どれくらいいるんだろ?
学校教育では、今やクラシック音楽は、西洋の昔の民族音楽の一種としての扱いで、教えないわけではないけれど、その他の地域や時代の音楽、ポピュラー音楽を含む現在の音楽などと、並立されて学びます。
真っ当な扱いだと私は思います。
好き嫌いと良し悪しは違います。私はクラシック音楽、とりわけオペラや声楽を好みます。でも、これが最高の音楽であるとは全く思ってません。数ある音楽の中の一つのジャンルであって、他にも良い音楽がたくさんあります。私にとって、好きな音楽だけれど、高尚な音楽だとも高級な音楽だとも思ってないし、今の時代、クラシック音楽を楽しむ人が、お金持ちやエリートばかりでない事も知ってます。
でも、未だに「クラシック音楽は高尚な音楽であり…」と思って、ちょっと斜めに構えている人…いるんだよなあ。たいてい、お爺さんなんだけれど、自分の『好き』を『正義』と勘違いして、若者に押し付けちゃダメだよ。
それじゃあ老害だよ。で、心配なのは、そんな老害老人に支えられている、日本のクラシック音楽に明日はあるのか…って事だけれど、まあ、客が減れば規模を縮小せざるをえなくなるわけで、規模が縮小されれば希少性が生まれるわけで、そうなると「クラシック音楽は高尚な音楽で…」と言った価値観が復活するかもしれませんね。
うふっ。
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コメント
すとんさん、こんにちは。
そうそう、日本は平等な国って、よく言われますが、層によって好きな音楽が違う、っていう傾向、よく言われていますね。
例えば、地方では大学進学せず地元に残っている「マイルドヤンキー」はEXILEが好き。
細く長く働けるけど出世とは無縁は「そこそこOL」はエンヤが好き。
「そこそこOL」になりたくない私は、絶対にエンヤは聞かないようにしていました。
もちろん、例外もいるということは大前提ですし、クラシックも幅広い層に親しまれる大切さも感じています。
しかしながら、よく自分のなりたい層に近い生活をしなさい、ということも自己啓発セミナーなどで聞くことがありました。(一昔前だと、お金がなくてもヒルズに引っ越すとか、高級な腕時計を身に着けるとか)
それと、「類は友を呼ぶ」というのもあるかな。
より幅広い層に対等な目線で関係を築きたいと思っても、食べに行く店自体に壁があったりするから、難しいですね。
ワタシは、クラシックよりもジャズのほうが高尚だと思います。
といいますのも、クラシックは楽譜に忠実に演奏するという作法を知っていれば楽しめるのですが、ジャズは基本的に楽譜どおり演奏したら負けで、アドリブ(コード進行によるものとか、旋法によるものとか)があって、それを勉強していないと楽しめないと思っているからです。
まあ、「高尚」というよりも「苦手意識」なのかもしれませんけど。
小学校や中学校の音楽鑑賞の時間でクラシックだけではなくジャズも扱って欲しかったなぁ・・・そしたら、ここまで苦手意識はなかったかも。
ドロシーさん
確かにおっしゃる通り、
>層によって好きな音楽が違う、っていう傾向
ありますあります。私もそれを感じます。
であるならば、クラシック音楽は(今はともかく、かつては)日本の富裕層が好む音楽であった…と言えるんでしょうね。
かつては上層の人たちが楽しんでいたものを、時が経つにつれ、その下の層の人たちに広がっていく…のは歴史が証明している事実ですから、日本におけるクラシック音楽の受容ってやつも、単純にそんな事になっているだけなのかもしれません(納得しました)。
>よく自分のなりたい層に近い生活をしなさい、
カタチから入る…というやり方ですね。これ、案外、正解だったりするんです。もちろん、分不相応ってヤツで無理が続かない事もありますが、それは最初からそれを目指す事自体がまだ無理だっただけで、ちょっと背伸びをすれば追いつける程度の分不相応な場所に自分を置き続けることが、前進の秘訣であるとは、私も同意します。
つまり、踏み台から踏み台へと渡り歩いて昇っていって、最終目標に近づいていく…ってやり方です。実に野心的なやり方であって…私には到底ムリだな(笑)。
Hiro.MTBさん
>クラシックよりもジャズのほうが高尚
これは面白い。実際、アメリカンセレブな人たちの中には、そう考える人もいそうです…が、やっぱりイメージ的には、かつてのアポロンシアターにいる人と、カーネギーホールにいる人を比べてみると、カーネギーホールにいる人の方が、エリートっぽいですね。
もっとも、ここで、アポロンシアターとカーネギーホールを引き出す私の感覚が、かなり古い事は認めます。今なら…やっぱり、リンカーンセンター内で比べるべきかな? ジャズ・アット・リンカーン・センターと、メトロポリタン歌劇場の客層を比べるべきかもしれませんね。でも、日本にいると、ジャズ・アット・リンカーン・センターの客層って、ちっとも分からないだわ。
>クラシックは楽譜に忠実に演奏するという作法を知っていれば楽しめるのですが、ジャズは基本的に楽譜どおり演奏したら負けで、アドリブ(コード進行によるものとか、旋法によるものとか)があって、それを勉強していないと楽しめないと思っているからです。
確かに、単に“鑑賞する”にしても、ジャズはクラシックと比べると、かなりアクティヴに聞かないと楽しめないからね。もっとも、アドリブってヤツは、程度の差こそあれ、大抵の音楽演奏にはあるものだし、楽譜至上主義のクラシックにだって、バロック音楽、とりわけダ・カーポ音楽は必ず変奏するわけだし、器楽の協奏曲とか声楽やオペラにはカデンツァが必ずあるし、仔細に見ていけばクラシック音楽にもアドリブの要素はあるわけです。そう言った意味では、日本人が大好きなオーケストラ的なクラシック音楽にはアドリブ的な要素が無いものが大半ですから、日本人のクラシック音楽趣味自体が、ちょっと変わった趣向なのかもしれません。
>小学校や中学校の音楽鑑賞の時間でクラシックだけではなくジャズも扱って欲しかったなぁ
今はやりますよぉ。義務教育ですから、そんなに深いところまではやらないようですが、昔のようにジャズをガン無視はしません。それに、音大にもジャズコースがあるところ、多いしね。ジャズも日本の音楽教育の中に、じわじわと浸透しているんですよ。
こんばんは。
> クラシック音楽とは、高尚な音楽であり
昔々の県立高校の音楽教師がこのタイプでした。
こちらは友人に教わりながら当時ストラヴィンスキーとかヴァレーズあたりをよく聴いていました。
ベートーヴェンとかモーツァルトの作品が凄いとおもうようになったのは大学入って吉田秀和一通り読んでからです。
ハイドンで12音あるのはアマオケの練習で初めて知りましたが、モーツァルトはそれ以上にオモロイです。
ベートーヴェンが聖人かどうか気にしたこともありませんが、特に後期の弦楽四重奏は大好きです。前期、中期、後期と分けることありますが、後期>前期>中期の順の好みです。
ピアノソナタ、ヴァイオリンソナタ、チェロソナタも今はyoutubeで通して聴けていい時代です。
> 舶来品信仰
これはあるかも。国産フルートを触らなくなってかなり経ちました。
> さらに学校の音楽の時間で教えるのは…クラシック音楽でした。
クラシック音楽は、なぜ“鑑賞”されるのか―近代日本と西洋芸術の受容
西島 千尋 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%AF%E3%80%81%E3%81%AA%E3%81%9C%E2%80%9C%E9%91%91%E8%B3%9E%E2%80%9D%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8B%E2%80%95%E8%BF%91%E4%BB%A3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A8%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E8%8A%B8%E8%A1%93%E3%81%AE%E5%8F%97%E5%AE%B9-%E8%A5%BF%E5%B3%B6-%E5%8D%83%E5%B0%8B/dp/4788512122
この本立ち読みさえしていませんが面白そうです。音楽鑑賞で感想文書かされた授業は最悪でした。何を書かせたいか教師側の意図がミエミエでこちらはどないせえちゅうねん、というあたりです。
失礼しました。
こんばんわ。
自分はB’zからQueenを聞き始め、そこからオペラを聞き始めました。
最初はYoutubeでパヴァロッティが歌うLa donna é mobileの動画を見ました。どこかで聞いたことがあるようなとても耳障りの良いメロディが気に入りました。その後関連動画にあったQuesta o quellaを聞きました。これまたメロディがとても気に入りました。
こんな具合に気に入った曲が増えていきました。
当然このような経緯で聞き始めたため、オペラが高尚なものだという実感はないですねー
一昔前だったらこんな人皆無ですね!
どんな音楽も今の時代ネットで聞けるでしょうね!これは良いことでしょうねー
ひょんなことで触れたことのない音楽に触れて興味を持ちライブに行く。ただCDが売れなくなる危険性もありますね。
物事には良い面と悪い面の側面がありますねー
今の時代の楽しみ方を味わいたいと思っている次第です。
tetsuさん
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の後期と言えば、第九シンフォニーの後に作曲されていますよね。よく世間では、第九がベートーヴェンの最後の作品…?みたいな扱いがありますが、あの後に、数曲の弦楽四重奏曲があるんだよ、たまに私は言いたくなります。
未完成の10番シンフォニーがあったかもしれないという話もありますが、現実的には後期の弦楽四重奏曲を書くことで、シンフォニーを書く気分にはならなかったんじゃないのかな?って思ってます。だって、弦楽四重奏曲って、それを素直に発展させればシンフォニーになってしまうじゃない? おそらく、第九であれだけシンフォニーを肥大化させてしまったベートーヴェンは、舵を逆に切って、シンプルな音楽を作りたかったんじゃないかなって思います。で、作られたのが後期の弦楽四重奏曲なんだね。
海外製の高級フルートは、確かに『輸入品』と言うよりも『舶来品』という言葉が、今でも似合いそうな事には同意します。
ショウさん
Queenからオペラに入ったという人は、結構聞きます。私の場合は、Queenよりもオペラの方が早かったんですけどね(笑)。やはり、フレディのヴォーカルと、テノールの歌声には通じるものがあるんでしょうね。
ネットはすべての情報が持っていた(旧来の)序列を破壊し、すべてを並列化してしまいます。現代では、夕飯のレシピもプラスチック爆弾のレシピも、並列化されて検索されちゃうわけです。音楽もある特定ジャンルばかりが持ち上げられる…って事は無くなるでしょう。いやむしろ、検索という、一種の人気投票によるポピュリズムのフィルターが掛かる事で、今求められている情報と、重要視されていない情報とに分けられていくのだろうと思います。
さて、クラシック音楽は、どちらの情報になるんでしょうね。私個人的には、トップレベルではないにせよ、今求められている情報の枠内に入ってくれるんじゃないかな…なんて思ってますが、甘いかな?
こんばんは。
> 第九がベートーヴェンの最後の作品…?
http://rosette-nebula.boy.jp/ws2010/beet/beet_y.htm
ここにある全作品聴こうとおもえばyoutubeなどで簡単に聴けるとおもいますが未だです。
> 弦楽四重奏曲って、それを素直に発展させればシンフォニーになってしまうじゃない?
http://www.fondationlouisvuitton.fr/ja/concert–academie-seiji-ozawa.html
のドキュメンタリー放送をたまたま見ました。
http://www.bs11.jp/special/post-68/
>「カギは 耳にあります。言うのは簡単だが 実際にやるのは難しい。聴きながら 音楽を紡ぐわけだからね。」@小澤征爾
付け加えることはありません。
齋藤秀雄の告別式で演奏して数十年ぶりとかのop.135第3楽章のオケ版を振っていて凄かったです。
うーん
自分の周りでは同年代でクラシック音楽を聴いている人はいないような気がしますね。
一種の人気投票とおっしゃられましたが、人気が出るのはなんだかんだいってテレビが何らかの形で取り上げたりネットで話題になったりの物だと思います。そう考えるとなかなか難しいですね。
今のところは重要視されていないのかなと思います。
La donna é mobileが劇で歌われる一曲であることは知りませんでした。そもそもオペラが劇だなんてことも知りませんでした(笑)
ちゃんと音楽の授業を聞いてなかったからかもしれません(笑)
それに今でこそ抵抗はありませんが、以前はオペラ歌手の声自体に違和感がありました。あまりにも普段聞いている邦楽歌手の歌声とかけ離れていたからです。
こういった面からもなかなか親しみにくい面があるのかもしれませんね。
すいません、ウダウダと駄文になってしまいました。
tetsuさん
改めて作品リストをみると、ベートーヴェンって、ものすごい量の曲を書き飛ばしていたんですね。まあ、当時は著作権もなければ、レコードもないわけで、あるのはコンサートと楽譜出版ぐらいですから、作曲家が生活するためには、新曲を書いて書いて書きまくるしかなかったのかな…なんて思います。それにしても、すごい量です。これがすべてベートーヴェンの作品なんだから、驚きです。
室内楽の楽しみと言うのは、指揮者の不在…なんだと思います。束ねる人がいないから、奏者が互いに目配せ気配せをして音楽を作っていく。観客は、そんなスリリングな現場を奏者と共有する。そういう事なのではないかな?なんて思ってます。
しかし、そのドキュメンタリー、私も見たかったな。
ショウさん
正直、クラシック音楽を楽しんでいる人って、少数だと思うし、その中でもオペラとなると、かなり稀有な存在だろうと思います。割合で言えば、ほぼゼロに近い数になってしまうかもしれませんが、それを日本全体とか世界全体とかに広げていくと、それなりの数はいるんだろうと思ってます。だから、身近にいなくても、同年代にいなくても、気にしない気にしない。まあ、私は幸運にも、同年代にも身近にもクラシックファンがいて、私を導いてくれたので、今の私がいるのですが…。ほんと、私は恵まれていると思いますよ。
>テレビが何らかの形で取り上げたりネットで話題になったりの物だと思います。
それはそう。スケートの荒川選手のおかげで、今やオペラと言えば「トゥーランドッド」でしょ! いやあ、あんなマニアックなオペラが、こんなに人気を得る日が来るなんて、とても信じられません。そう言えば、のだめのおかげで「ベト7」が大人気になったんですよね。私は、それ以前からベト7が大好きだったので、なんか複雑な思いがあります。他にも(古いけれど)キャスリーン・バトルのCMで有名になったのが「オンブラマイフ」だしね。やっぱりテレビは無視できません。
「La donna é mobile/女心の歌」はCMでよく使われますから、まさかオペラのアリアだと思わずに聞いている人もたくさんいるでしょうね。似たようなモノだと「カルメン」の曲とか「椿姫」の「乾杯の歌」などもオペラの曲とは知らずに愛されていると思います。
>以前はオペラ歌手の声自体に違和感がありました。
正直な感覚だと思います。実際、冷静になって聞くと、クラシック発声って奇声以外の何モノでもないですからね。
クラシック音楽も、器楽はなんとか今後も生き残ると思うのですが、声楽は、言葉の問題もさることながら、あの奇声的な発声は一般人には受け入れがたいわけで、そのあたりが今後の生き残りの重要な要素になってくるんだろうと思います。
でも私、あの声に耳に慣れてしまった事もあって、クラシック声楽、好きですよ。あの、刺激的な声、ホント大好きです。