声楽のレッスンに行ってきました。今回のレッスンでは、先生が気持ち悪いくらいに優しかったです(笑)。
さて、レッスンですが、最初は雑談という名目で、前回のレッスンでモチベーションがダダ下がった私の心の、先生流のケアから始まりました(笑)。いやあ、先生と久し振りに、腹を割って話してみました。
先生がおっしゃるには、もう私にレッスンで教える事は、ほとんど無いのだそうです。だから、レッスンにやって来ても、何かを学べると言う事は、もう無いし、何かコツのようなモノをつかんで飛躍的に上達するなんて事を考えてはいけないのだそうです。“楽しく歌ってお終い”というレベルはすでに卒業し、これからは、地味でつらいレッスンしか、私には待っていないのだそうです。
だからレッスンに来ても、毎回叱られに来るようなものなのです。
今後は、練習は自宅でしっかりやってきて、その練習の成果をレッスンで披露してダメをもらうというレッスン形式になってくるだろうし、レッスンを受けたからと言っても、今後は目に見えるよう上達はないだろうし、おそらく、上達しているという実感も持てなくなるだろうって事です。
これからもレッスンを続けるなら、地味で苦しいばかりで、楽しい事は一つも無く、つらい事の連続で、毎回、心が折れるような事ばかり言われる事になるけれど、それでもレッスンを続けますか?って、尋ねられました。
無論、これ以上の上達を望まず、あくまでも趣味として楽しくやりたいのなら、それはそれで良いし、そういうレッスンも出来ますって話ではあります……だから、レッスンを辞めろという意味ではないようです。
もし私が趣味のままで楽しく歌い続けていきたいなら……テノールは辞めて、バリトンに転向し、オペラアリアも諦めて、歌曲を歌っていく事を薦めるそうです。そっちの方が私にとっては、全然楽なんだそうです。
と言うのも、先生曰く『趣味でオペラアリアを歌う人なんていない』からです。オペラアリアに挑戦するなら、趣味気分は捨てていかないといけないのだそうです。
元々カラダが小さくて高音がヒョイヒョイ出ちゃう人ならともかく、私のような巨漢(キング先生もそうですが)がテノールをやるというのは、本来、とても大変な事なので、このカラダでテノールをやり続けるなら、趣味気分は捨てていかないといけないのだそうです。
バリトンに転向するなら(低音は出ないだろうから、そこは諦めて)無理に高音を出す必要はないし、バリトンとして必要な高音なら、すでに確保されているので、バリトンとして歌っている限り、楽しく歌っていけるだろうし、レッスンで心を折る必要は、特には無いだろうという事です。
さらにオペラアリアを歌うのを諦めて、歌曲に転向すれば、むりやり曲に合わせて声域を広げたりする必要もなくなり、自分の声に合わせて曲や楽譜を選んで歌っていけるので、色々な曲を歌う事ができるわけで、それなら、レッスンも厳しくならないし、楽しんでいけるでしょう。
しかし、私がこれからもテノールとして、オペラの勉強を続けていくなら、当然レッスンは厳しくなり、とても趣味の範囲では収まらなくなるのだそうです。それこそ「命懸けで、高音発声に人生をかけて歌う覚悟」を持って欲しいのだそうです。来る日も来る日も“発声”の事ばかりを考えて暮らしていく覚悟が無いなら、テノールは無理だし、オペラアリアは無理、という話なんです。
テノールとしてオペラアリアを学んで行くなら、レッスンごとに心を折り続けていく覚悟が必要なんだそうです。
別にこれは、私だけの話ではなく、巨漢テノールなら誰でも通る道で、先生ご自身も通ってきた道なんだそうです。
というわけで、先生から尋ねられました。バリトンに転向しますか? テノールで行きますか?
バリトンなら、今のレベルで十分に楽しめるでしょう。歌劇団にもバリトンは必要だし、バリトンなら活躍する場が増えますよ。しかし、テノールなら、まだまだだし、毎回レッスンで心が折られる覚悟が必要です。おまけにテノールには“終わり”というのがあるから、どれだけ努力を積み重ねても、すとんさんがテノールでいられるのは、あとせいぜい10年かそこらだし、その10年間努力しても、テノールとしては完成できないかもしれない。テノールとして終わった後も歌い続けるなら(どっちにしても)バリトンに転向するしかありません。それでもテノールで頑張りますか?
バリトンに転向するくらいだったら、歌を辞めます!
えーと、誤解されないように書いておくと、別にバリトンを否定しているわけじゃないです。単純に『私にはバリトン、無理』って事です。なので、バリトンさんとそのファンの皆さんは、ここで怒らないでね(お願い)。
では、一体、どの部分で『私にはバリトン、無理』なのかと言うと……だいたい、私の場合、性格がオレ様(笑)なんだから、バリトンのような円満な事はできません。声だって、軽くて細いんだし、元々低音は出ないんだから、バリトンはムリムリよ。
そんな私がバリトンに転向する? 全くありえません。バリトンに転向するくらいなら、いっそ潔く歌を辞めます。フルートやヴァイオリンに専念します。それくらい、バリトンは無理だって……と返事をしました。
年老いたテノールがバリトンに転向する?…確かに巨漢テノールならある話だし、あのプラシド・ドミンゴだって、年老いた今となっては、テノールのレパートリーよりもバリトンのレパートリーの方が多いくらいですからね。私がテノールとして終わってしまった時の話は、またその時に考えれば良いことです。今の私がバリトンに転向する事はありません。
ならば、レッスンを受ける態度を改める必要がありますね…って事になりました。
私がレッスンを受ける態度で一番良くないのは「レッスンで何かコツのようなものを、つかもうとする事」なんだそうです。『コツをつかんで、一気に上達』しようと狙っているのがアリアリなんだそうです…が、先生がおっしゃるには「そんなコツのようなものは無いから、諦めてください」って事です。
これからは、日々の努力を積み重ねて、経験を増やして、今まで出来なかった事を出来るようにしていく事だけなんだそうです。
ま、確かにこの点については、私も考え方を改めた方が良いでしょう。私は基本的に文科系のヲタク男子だし、演繹法の人間ですから『やり方を理解する -> 自然とできるようになる』と考えます。だから、大切なのは、その“やり方”を見つけて自分のものとしていくって事、って考えてました。
でもキング先生のおっしゃるのは、体育会系の発想であり、帰納法的発想であって『苦労の末なんとかできるようになった -> このやり方でいけば確実だな』となるわけです。この考え方ならば“やり方”を見つけるというのは、全くの不毛な努力であって、大切なのは“やり方”を見つけるのではなく“苦労”を重ねていき、試行錯誤を繰り返して、とにかく“できる”ようになる事なんです。そして“できる”ようになれば、自然と“やり方”が分かってくるというのです。
私の考え方とは、真逆な事を先生はおっしゃているわけですが……妻に「先生の方が正しい」とあっさり私の考え方を否定されました。妻曰く「だってダンスもそうだもの。カラダを使うものは、まず出来ないとダメだから、理屈抜きでできるようにならないと…」
おっと、しまった、妻は体育会系の人間だった! 文科系人間である私のレゾンデートルを思いっきり否定されました(驚)。
…つまり二人がクチを揃えて言うのは…『馬鹿になれ』って事です。『音楽をやるなら馬鹿になれ』って事なんです。理屈でアレコレ考えたり、上手いやり方を見つけて効率的にこなしていきましょうなんて事は考えるだけ無駄。そんな暇があったら、さっさと練習しろって事です。
…了解。馬鹿になりましょう。発声馬鹿になって、テノール馬鹿になりましょう(あ、だから、テノールは“馬鹿”って言われるんだな:納得)。
と言うわけで、雑談は終わりで、具体的なレッスンに入ったのですが…でも、なんか、ちょっと腑に落ちない。別に今までのレッスンだって、楽しかったわけじゃないし、結構毎回、叱られ続けてきたと思うし、これからの道も大変だろうなあって覚悟がなかったわけじゃない。だいたい前回のレッスンでは、単純に『全面否定をされたまま、解決方法も提示されずに放置されると、モチベーションがダダ下がる』って話じゃなかったっけ?
まあ、いいか。解決方法なんて、きっと無いんだろうな。全面否定をされ続けても、気にせず、ひたすら、馬鹿となって、努力を積み重ねていけばいいだけの話なんでしょう。努力を積み重ねていけば、やがてそのうち、出来るようになるかもしれないし、出来るようにならない限り、本当の解決方法は無いって事なんだろうな。こりゃ、確かに覚悟が必要な道のりだし、時間もかかるし、頭の悪いやり方だな…。
だいたい先生は、最初から私がバリトンに不向きで、私自身もバリトンを目指していないって事は、よくよく知っているわけだし、その上でああいう言い方をしてきたと言う事は…『趣味のオジサンとして楽しく歌う』事はサッサと諦め、今後は『(アマチュア)歌手として覚悟を決めて、人生掛けて歌っていきなさい』って、事を言いたいんだなと思いました。
つまり『これからも歌い続けるなら、ここらで一つ、覚悟を決めろ』って事なんです。
と言うわけで、ひとまず覚悟を決めました。オイラはヘタッピだけど、歌手なんだな。歌手なんだから、歌で泣き言を言っちゃあいけないんだな。音程が悪い? 音感がない? 悪い音程は良くすればいいだけの話だし、音感がなければ身に付ければいいだけの話で、そのために、練習をたくさんして、努力して、音程や音感を身につければいいだけの話って事ですね。…ゴールは遥か彼方で今は見ることもできません(涙)が、やるしかない…っと。
あ、ここまでで、随分と記事が長くなってしまった。具体的なレッスンの話は、また明日、アップします。
コメント
そうですか…ちょっと辛いですね。
私も声楽を始めて、オペラアリアが最近やっとまとも(人様が聴いて、聞き苦しいと思わない程度)になってきたかなって
所です。
子供の時(11才)から合唱で歌い始めて、今、50近く。
歌の道は長いです。
合唱の曲も、今は何を持って来られても平気って言えるようになりました。
難しい曲だと、絶対完璧に歌ってやる!とファイトが出ます。
歌は体育会系で、確かに時間と金が掛かるもんなんです。
楽器は、その人の喉だけなので、ゴージャスな音楽でも
あるわけなんです。
歌って言ったって、歌唱法は、山ほどあります。
自分の年齢・経験・体に合った歌い方を探していけば
いいのではないでしょうか?
自分が楽しむって事が、一番重要だし、それで人の心が
動かせたらすごい!と思います。
音が苦になったら、困るもんネ。
新たな目標を立てて、頑張ってみて下さい。
私の母は、そろそろ82ですが、まだまだ頑張ってます。
見倣わなくてはいけない、と思う娘です。
私は歌う時にはその歌にどう自分の身体を合わせていくかという事しか考えてません むしろ何も考えずにやってる としか 言いようがないです。合唱をしなくなってからは好きな曲しかしてないので とやかく言える立場でもありませんが。合唱を辞めたといってもアンサンブルは好きですよ[E:notes] 私のいた合唱団は音が取れないからアルトは嫌だ とか ソプラノはステータスだから 音がぶら下がってもしがみつくの なんていう ナンチャッテソプラノだらけでしたからね なんで3点ハの出る私がメゾで 2点トがやっとなアンタ達がソプラノなのよってワケで合唱団ごと蹴飛ばしてやりましたわ[E:impact]というのはウソ。高音がきちんと(あくまでも自分レベルで)出るようになったのはソロオンリーになってからですね。やはり合唱でメゾで ソロはソプラノなんて真似は素人には禁物[E:ban] あっと何のハナシだったかな?私はアリアより歌曲の方が余程難しいと思っているので 先生のお話が以外でした。歌曲はどうしても自己中モノなんですもの。楽しく歌うというのはどういう事か分かりませんが 少なくとも自分に甘い点を付けるというのではなさそうです。それにしても おぷー様のお母さまって素敵、敬服[E:crown]
私のことのように読ませてもらいました。私もフルートの先生に楽しく吹くだけならもう既に出来てるし、そこそこのレベルまできてるよ、って言われたことあります。でも、私は巧いアマチュアになりたいんです(笑)
ずっとノリで済ませてきたことを見直して、細かな細かなレッスンです^^;音大生ならこれは出来て当たり前な基礎とか・・・。時代背景から、なんやらかんやら教えてもらってます。
楽譜上のリズムはとれるけど、曲のリズムがとれていなかったり、ハーモニクスが崩れたり。。。出来ていると思っていたことが出来てなかった!ひぃぃぃぃ
けど、楽しいんですよね(笑)地道な練習していると、それが案外上達の近道になっていることに気づかされたこと数回。
あ、私ももともと体育会系でした( ´艸`)
高校の時は何度も同じパッセージを繰り返したり、疲れてもやりきる!みたいな運動部系練習でしたが、いまは、やみくもに繰り返して練習するのではなく、身体と向き合って、今コレが出来ないのは身体のバランスが崩れていないかってこともチェックしながらぼちぼちしてます。
やるからには少しでも上達しないとつまらなくなるものね。
文系、体育会系取り混ぜての練習方法。
私には合ってるみたいです^^
おぷーさん
>そうですか…ちょっと辛いですね。
まあね…「すとんさんに三行半をつきつけてやった!」と後で先生がおっしゃっていましたからね。先生的にはいつか言ってやろうって思っていた事らしいです。まあ、ある意味、全面否定で放置されるよりもヒドイ事を言われたような気もします(笑)。ま、私の方も、先生が三行半をつきつけている間、頭の中で次にお世話になる先生を素早く検索していましたから、似たようなものですが(爆)。
私は20代で一度声楽を始めて、色々あって、一度歌を捨てているんです。それから20年、何もしないで来ましたから、この年になって再開したって、たかが知れている事は十分自覚してますし、先生も「もっと早くから始めていれば…」とおっしゃいますが、時間は逆に進まないので、仕方ないです。それにもしもあの時、歌を捨てなければ、今頃、売れないプロ歌手になって苦労していたかもしれませんから、そういう意味では、これでいいんだと思います(負け惜しみ)。
私は自分があまり年寄りだという自覚がないのですが、客観的に見れば『人生は後片付けの時代』にいるわけで、そこで何か新しい事を始めようというのが、そもそもの間違い…なのかもしれません。
>自分の年齢・経験・体に合った歌い方を探していけばいいのではないでしょうか?
それが“テノール辞めろ、オペラ諦めろ”って事なんだと思います。この年令、この経験、この体じゃ、テノールでオペラアリアは無理だぞって事なんですよ。
でもね、無理だからと言って、テノールでオペラアリアを諦めたら、もうそこで私の歌人生はお終いになります。なにしろ、これからの人生の中で、今日が一番若い日なんですから。これから先は老いていく一方ですからね。希望は今日にしかないんです。キング先生がダメと言うなら、余所の先生についてお世話になるだけの話です。私の決意は不退転ですから(笑)。
だってね、テノールというのは声種じゃないんですよ。人格なんですよ、レゾンデートルであり、パーソナリティーなんです。今更、テノール辞められません。テノール辞めるなら、歌そのものを辞めないとね。
せっかく神様から良いノドをいただいたのですから、これをきちんと使い切らないと、モッタイナイじゃないですか? 無理は百も承知です。頑固と言えば頑固ですが、私の年令なら、頑固であっても、もう許されるんじゃないかな? なんて思ってます。
それにしてもおぷーさんの母君はすごいですねえ。見倣いたいですが…長生きで元気も一つの才能ですから。私は短命の家系の人間ですから、そんなに先の事までは考えられません。
グレッチェンさん
>私は歌う時にはその歌にどう自分の身体を合わせていくかという事しか考えてません。
おそらく男声でそのレベルを求めるなら、やはりバリトンになるしかないんだろうと思います。テノールというのは、プロであっても、そこまではたどり着けない…んじゃないかなって思います(おそらくね)。
テノールって、プロになっても、音楽の事よりも発声の事、とりわけ自分が歌わないといけない高音の事ばかりを考えている人種なんですよ。あのパパロッティでさえ、コンサート前には、高音が裏返らずにきちんと歌えるかどうか、そればかりが不安だったって、インタービューで言ってましたよ。だから、年を取って高音を捨てたドミンゴは、ある意味賢い歌手なのかもしれません。
つまり、テノールなんて、大なり小なり、みんな無理して歌っているんですよ(笑)。ただ、私の場合「その無理にも程度ってものがあるだろ?」ってだけの話で、本当の本当に無理な事を無理やりやってしまおうとしているだけなんです(笑)。
>私はアリアより歌曲の方が余程難しいと思っているので 先生のお話が意外でした。
私と先生の会話はテノール同士の会話ですから(笑)。歌曲は確かに音楽的な事や文学的な事を考えると、オペラアリアなんかよりも数段深みがあって難しいと思います。でも、テノールにとって、音楽的な事や文学的な事よりも「この高音、どうやって歌う?」ってのが、第一義的な課題であって「難しそうだから、中声用の楽譜を使えばいいじゃん」という逃げが許されるのが歌曲なんです。だって、オペラアリアとかミュージカルナンバーだと、いくら高音が厳しくても、低めに移調して歌うのは厳禁だし、それはテノールのプライドが許しませんから、たとえ必要な高音が自分に無理めであっても、チャレンジするもんなんです。
「なぜあなたは山に登るのですか?」
「そこに山があるからです」
と全く一緒なんですよ(笑)。
「なぜあなたは(無理なのに)その高音にチャレンジするのですか?」
「その楽譜に書かれている(あるいは書かれていないけれど、先輩たちがそう歌っていた)からです。」
なんです。馬鹿でしょ? だから「テノールは馬鹿」って言われるんだと思います。
そんな撃沈も辞さない馬鹿な私が、バリトンになれるわけないじゃない(大笑)。危険だけど気持ちのいい道と、安全だけれどソコソコな道があったら、とりあえず危険な方を選んじゃう私ですから。
えーと 私がここで言ってる 歌に身体を合わせる というのは 要求された高さの音は出すということなのです。つまり移調なんかもっての他!一昨日おいでです。年寄りの冷や水かもしれませんがやるだけはやります。
いがぐりさん
>私は巧いアマチュアになりたいんです(笑)
いいですね。別にプロと張り合うつもりはないけれど、いわゆる“お遊び”じゃイヤなんですよ。やるからには真剣に極めてみたい…ってだけの話なんだと思います。
なんだろうなあ…“壁にぶちあたっている”と言うか“いつまでも初心者面して甘えているなよ”とか、そういう事なんだろうなあって思います。それにしちゃあ、ヘタッピですが(笑)。
>楽しいんですよね(笑)地道な練習していると、
あ、それは分かります。難しい練習課題をやりこなせるようになった時の充実感って、たのしく曲を演奏するのとは、また違った充実感があるし、私はそういう練習課題をこなしていくのもキライじゃないです。
>やるからには少しでも上達しないとつまらなくなるものね。
ですね、ですね。私もこれでも柔道は黒帯の有段者なんです。体育会系の素質がないわけじゃないんです。だから、自分を追いこんでいじめていくのはキライじゃないんですよ。でも、体育会系よりも文科系の素質の方が上回っているみたいで、それに合わせて効率とか能率とかも考えちゃうんです。そこが私のダメなところかもしれません。
もっと単純に馬鹿になる事を目指します。
ご苦労されていらっしゃるようですね。
先生のおっしゃることも、奥様のおっしゃることも、
私にはよくわかります。
(私も体育会系の人間ですからねw)
演劇の勉強をしていたときも同じことを言われことがあります。
「コツなんてない。一気に上達なんてありえない」
「練習した分だけ上手くなる」
「10回でできなきゃ20回やれ、それでダメなら30回やれ」
ってね。
効率が悪く、バカなやり方に思えるかもしれませんが、
その方法でしか身につかないことや、得ることができないものがあります。
利巧な人ほど「効率」や「合理性」を考えるのでしょうけれど、
ここは潔く、「バカ」になりましょう!
エーダさん
>利口な人ほど「効率」や「合理性」を考えるのでしょうけれど、
利口な人間ほど怠け者ですから、労力を惜しむんですよ。で、労力を惜しむために、色々と知恵を使って「効率」とか「合理性」を求めるんです。私も…怠け者(笑)ですし、スロースターターで残り時間の少なさを自覚しているので、どうしても効率を求めていた部分は、正直、あります。
でも、無いなら無いとはっきり言ってくれれば、諦めはつきますし、その段階で、脳味噌を、文科系から体育会系にシフトチェンジしますから(笑)。私は文科系人間ですが、ちょっぴり体育会の素養もあるんですよ。
>ここは潔く、「バカ」になりましょう!
ですね、バカになりますよ。
グレッチェンさん コメントの順番が逆になって申し訳ない。
> 歌に身体を合わせる というのは 要求された高さの音は出すということなのです。
おぉ、それは私が誤読をしておりました。申し訳ない。私はてっきり『モーツァルトを歌う時は、モーツァルト歌いの発声にし、シューベルトを歌う時はシューベルト歌いの発声にして…」とか思ってしまいました。実際、そうする方、いらっしゃいますしね。
>つまり移調なんかもっての他!一昨日おいでです。
だからこそのソプラノなんでしょ。だからこそ、イタリアオペラを歌っているんですよね。そこで「移調すると楽かも…」なんて思う人は、オペラアリアに手を出さないって事なんですよ。で、そのレベルは、キング先生に言わせると「もはや趣味レベルではない」って事になるわけなんです。
だからグレッチェンさんも、立派な[アマチュア]歌手さんなんですよ。
もちろん、歌曲であっても、その深みまで表現しようとする方も立派な歌手さんです。
要するに、音高音程を含んだ歌唱テクニックあれ、詩の解釈であれ、音楽の表現力であれ、どこかに腺が引いてあって、そこを越えずに趣味の世界で楽しんでいく人と、アマチュアであっても、その腺を越えていかざるをえない人がいる…って事かなって思ってます。
私はそのあたりの境目を今まで曖昧にしてきたので、そこをはっきりさせられたのだと思います。
>年寄りの冷や水かもしれませんがやるだけはやります。
その姿勢、共感します。私もぜひぜひ見習いたいと思います。
本日の記事を読み、このまま行くと何かまた合唱団のトラブルみたいになるのではないかと思ったりして、心配しました。客観的にはすとんさんも先生も奥さまも、みなそれぞれが正しいことをおっしゃっておられると思われます。けれども音楽に対して体育系とか文科系とか、個人の人格や性格をあまり深く結びつけて考えられないほうがよいのかも知れませんね。どちらにしろいろいろと考えさせられる記事でした。
AKさん
ご心配をおかけしていますが、大丈夫ですよ。この前の合唱団の時とは、モメているレベルが全然違いますから(笑)。あっちは単なる嫌がらせのイジメ。こっちは純粋に音楽に取り組む姿勢に関する注意であって、モメているわけじゃないです。
キング先生が私の事を、単なる“お客さま扱い”をしていたら、こういうトラブルが生じるはずもなく、これは師から生徒へ“愛ある注意”なんですよ。だから、言っている言葉も内容もキツいんです。お互い、音楽に関しては、遠慮のいらない関係ですから。
ま、これも一つの転機だろうとし、後から振り返ってみると、笑い話になっているんじゃないかなって思います。
なーんだか少し涙して読んでしまいました。
私は最近、目標を『メゾ』に切り替えることになりました。
初めてのレッスンで発声を聴いていただいた時に、
『ん、ソプラノ』 と言われて有頂天になっていた分、
自分でも驚くほど落胆してしまいました。
やっぱり高音域は魅力的なのですよね、、。
私はまがりなりにも、短大では音楽学科で曲らしき
ものを書いていましたが、そういえばやたらと高音を使ってました。
当時の師匠に『君のは頂点が分からない』と言われるほど
上へ、より高い音へ。 とどかない天の領域、のイメージです。
もうだいぶ昔に短大を卒業してそんなこと忘れていましたが、
声楽を始めて『高い音を自分の体から出せたらー』、と夢を見てしまいました。
しかーし! めげません! まずはとにかく歌ーう!
・・・という結局オチのない境地です。
すとんさまの明るい声、とても魅力的です。
テノールでいてください。
長々おじゃましました。
モナビーナスさん
>自分でも驚くほど落胆してしまいました。
分かります。決して低音域が嫌いじゃないし、ダメとも思わないけれど、高音域の魅力には逆らいがたい部分があります。
>上へ、より高い音へ。 とどかない天の領域、のイメージです。
高い音は魂を天の高みに飛翔させてくれるような気がします…私も。だからこそ、そこを目指したいです、それも軽々と…まるで声に翼が生えたかのように歌いたいです。でも、なかなか、そうは行かないのですが…。
私は元々、高音のないテノールでした。キング先生のところで発声練習を始めた最初の最初の時は、五線の真ん中のHより高い音を絶対に出しちゃダメと言われ、低音域ばかり歌ってました。そこから始めて、歌える音を少しずつ少しずつ上に広げていきました。今、やっと高いGまで届きました。そんなペースですから、後10年あったとしても、テノールに必要なHi-Cまで届かないかもしれません。それを考えるならば、これからつらいテノール修行をする必要があるのか…? 先生ならずとも疑問に思って不思議ないです。
でも、私はアマチュアだから(笑)。歌が好きだから、ダメ元で高みを目指していきます。
モナビーナスさんも、メゾとかソプラノとか考えずに、まずは自分の声で歌うことを目指していけばいいんじゃないでしょうか? 歌っていけば、やがて道が見えてくると思います。その時に高音域への道が開けたら、改めてソプラノへ転向したっていいんです。まず最初は、歌う声を獲得するところからです。
ま、私も高音うんぬん言うよりも、まずは歌う声をきちんとしていかないといけないので、他人事ではないのですが(爆)。
男性にとって、高音の習得はほんとに難しいだろうなと思います。
ですので、合唱でもテナーの人はすごいと思います。たとえヘロヘロで怒られていても、心折れず(折れているかもですが)頑張っているので。
いや~ 男じゃなくてよかった~ というのは冗談ですが(笑)
すとんさん、せっかくの持ち声や先生との出会いです。ご自身の納得いく道に突き進んで、かつ楽しく歌っていかれますように。
椎茸さん
>男性にとって、高音の習得はほんとに難しいだろうなと思います。
難しいと言うよりも“ほぼ無理”なんだと思います。で、その無理を無理やり押し通して歌っているのが、世のテノールたちなんです。ですから、テノールたちの事は、生暖かい目で見守ってやっていださい(笑)。
女声のように、高い音域は頭声オンリーで歌えたら、だいぶ楽なんでしょうが、それをやっちゃうとカウンターテナーになってしまいます。カウンターテナーは肉体的性別は男性ですが、音声的にはアルト…つまり女声扱いですからね。そこには踏み込めません。男声である以上、どんなに高い音でも胸声の要素は外せませんからね。そこが悩ましいところであり、難しいところなんです。
私はもう少し、テノールとして頑張っていきます、よ。
音楽をある程度やっていくとぶちあたる問題ではあるけれど、歌の場合は体イコール楽器でもあるので、器楽以上に大きな問題となるのではないかな、と思います。
まぁピアノは持ち運び出来ない(する方もいますが・・・みんながミケランジェリじゃないから)楽器なので、私はとうの昔に自分がリスト弾きになることは諦めていますが。手が小さい、開いても限界があるので・・・。
それでも私が弾きたいレパートリーにはリストの曲があまりないから、それほど葛藤を持たなかったのだけど、でもシューマンでも結構手開くしねぇ・・・なんて思ってしまいます。
だけど、今の時点でキング先生にそういうことを言っていただけた、ということは、よいことだと思いますよ。どーでもいい人なら言いません。アマチュアでも真剣にやって行きたいというなら、やはり考えなければならないことだから、そういうことを言って貰えるというのはやっぱりすとんさんもご自身で書いていらっしゃるとおり「覚悟を決めるときがきた」ってことなんですよ。
ちなみに私も文科系頭なんだけど、行動は体育会系です(アレ?)幼児の頃から10年ほど水泳をかなり真面目に、恐怖のスパルタコーチたちのもとでやってきていますので、体育会系全然ナシではないです。そういう効率ムシのところからしか得られないものもありますのでね~。
ことなりままっちさん
>どーでもいい人なら言いません。
そうなんだろうと思います。そういう意味では実にありがたい先生です。おかげさまで、私も覚悟のようなものが、決まりましたもの。
>そういう効率ムシのところからしか得られないものもありますのでね~。
量を増やすことでしか質を上げる事ができないモノ…ってのが、この世にはあるわけで、体育会の世界って、そういう世界なんだろうなあって思いました。
実は先日、某高校野球チームの監督さんと話をしましたが、彼が言うには、選手一人一人に才能の差はあるけれど、あるレベルまでは選手の才能なんて全然関係なくて、専らそのチームが試合に勝てるか勝てないかは、単純に相手よりもどれだけたくさんの練習をしてきたかって事だけだって言い切ってました。だから、才能なんてものは、練習を最大限にやった、その先の世界にまで行かないと、意味がないので、才能うんぬんを言うよりも先に、死ぬほど練習をやらせている…って言ってました。
練習至上主義というか、根性論というか、とにかく努力しろという精神、これが体育会なんだなあって思うと同時に、音楽もやっぱり、こっちの世界のモノなんだなって思いました。
才能うんぬんは、練習してから先の話…なら、才能が無いなんて、嘆くだけ生意気は話って事ですね。才能うんぬんを語るほど、練習をしてきたかって言われれば…練習してませんからね。
理屈こねる暇があったら、練習しろって事で…はい、練習しますよ、頑張りますよ。