体重:106.8kg[+0.4kg:-1.1kg]
体脂肪率:32.2%[+0.4%:-0.6%]
BMI:33.7[+0.6:-0.3]
体脂肪質量:34.4kg[+0.6kg:-1.1kg]
腹囲:105.0cm[+-0.0cm:-0.3cm]
[先週との差:2010年当初との差]
多少ですが、危機感を持っております。まずいなあ…、この体重。しかし、減らすに運動か必要だけれど、そこに立ちはだかるのは“花粉症”の壁って奴です。カラダを動かしたいと思って、外に出れば花粉が飛んでいる。有酸素運動は花粉の飛んでいるところではできません。マスクして運動すれば…と言いますが、汗にまみれたマスクが鼻と口を覆うことを想像してみてください…死にかけますよ(笑)。
…ちょっとしたジレンマという奴です。
さて、今週のエッセイです。少し前のダイエット記事に書きましたが、子どもの頃は、お菓子と言えば“甘いもの”でした。甘くないお菓子と言うのは“せんべい”とか“アラレ”でした。米原料のお醤油味ベースのお菓子ですね。あ、カルビーの“かっぱえびせん”はあったよ。当時から“かっぱ”は入っていなかったけれど(笑)。
それ以外のお菓子と言えば、“まんじゅう”とか“アメ”とか“チョコレート”とか“ようかん”とか“キャラメル”とか“ラムネ”とか“鈴カステラ”とか“甘納豆”とか、そう言う甘いものでした。“棒付きキャンディー”とか懐かしいなあ。滅多に食べられなかったけれど、デコレーションケーキは、生クリームではなくてバタークリームで作られていたっけ。
そういう世代なので、駅のフォームで弁当売りが「べんと~、べんと~、べんと~、おせんにキャラメル~、お茶にみか~ん」と言う奴、実はリアルに知ってます(笑)。もちろん、地元の駅ではなく、ちょっと地方に行った時の話ですが…。
カップラーメンを始めて食べたのは、たぶん、小学校の高学年の時。たぶん、エースコックか何かの奴で、日清のカップヌードルが普及する前の話。
昔は、ペットボトルそのものがなかったので、ペットボトル飲料なんてなかった。ジュースと言えば、駄菓子屋で売っていた5円の鉄人[28号]のパッケージの色付きの砂糖水。砂糖水と言うと聞こえはいいけれど、実態はサッカリン水。小学生になると、たまにバヤリスオレンジを飲ませてもらった。あと、米屋のプラッシー。高校生になると、部活帰りにチェリオだね。ビン入の500mlのコカコーラ(ホームサイズと呼んでいました)を飲むなんて、目が眩むほどの贅沢でした。
ジュースはあっても、スポーツドリンクは、ほぼ皆無の時代で、やっと粉末状のゲータレードが、高価なドリンクとして存在してました。私のようなしがない学生は、部活の試合には、精一杯の贅沢として、蜂蜜に漬けたレモンのスライスを持っていたものです。
そんな中、よく覚えているのが、ポテトチップ。たぶん、ウチの地域で普及しだしたのが、やはり私が高校生の頃。食べたくて食べたくて、でも、あれはアメリカ人の食べ物だと信じていて、なかなか手が出せませんでした。
アメリカと言えば、その頃、米軍基地内で販売されているコカコーラと日本の店で売っている奴とは、確実に味が違いましたね。「やはり、本場ものコーラは違うんだよなあ」とわけもなく、関心したものです。今でも、やはり味は違うのでしょうか?
コーラと言えば、ハンバーガー(笑)。これも同じ頃に普及したと思います。ただ、当時のハンバーガーはとても高くて、ラーメン1杯よりもハンバーガー1個の方が高かったかもしれない。
あと、若者の(店で食べる)貧乏飯と言えば、今なら牛丼かな? 安いよね。でも、私たちの頃は、ラーメンライス。まだ、牛丼が高い時代だったんだよ。主食であるラーメンをおかずにして、主食である丼飯を食べる。うーん、炭水化物祭りだね、体に悪そう。でも、お金が無い時は、ラーメンライスって時代だったんだ。ラーメンだって、今ほど美味しくなかったし…。
そうそう、ラーメンで思い出したけれど、同じ料理名、お菓子名でも、今と昔では、グレードがだいぶ違うと思う。今はどこの店に入っても、ラーメンはかなり美味しい。たまに「これは外したかもしれない」って店は、たいてい中国人が経営している中華屋さんだったりする。おそらく、昔ながらの中国式の調理方法で作っているんだと思う。今や美味しいラーメンは、すでに中国料理からだいぶ違うところに行ってしまったと思う。
、このように、今の子どもたちとは、私が幼い/若い時に食べていたモノは、たとえ名称が一緒でもグレードが、全然違うような気がする。今の子の方が、味も良く、健康にもよさそうなモノを食べているような気がします。なにせ、私たちは子どもの頃に、たっぷりと食品添加物[化学物質]と合成着色料[絵の具]を体内に取り込んでいるからね。日本史上、一番、本来食べられないものをたくさん食べて育った世代だろうと思います。
でも、そんな食品添加物まみれで育った私たちだって、やはり贅沢な世代であって、生意気にも空腹を知らずに育った世代であって、その日の食料に窮して、ひもじい思いをしていた、もっと上の世代から見れば「何を寝言をほざいている」と言った状態でしょうからね。
何だかんだ言っても、自分よりも後の世代の方が贅沢な生活ができる、いわば右肩上がりの時代に生きてきたことは、たいへん幸せな事だと思ってます。いつまでも、この楽園のような生活がおくれる事を私は願っています。
子どもたちが、自分たちが子どもの頃よりも、貧しいもの、危ないものを食べる姿は見たくないですからね。
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