声楽のレッスンの続きの続きです。次はイタリア語の歌です。
ここでこれまでなら、ヴェルディの「リゴレット」の「La donna e mobile/女心の歌」を歌うわけだけれど、なんかもう頭打ち?って感じがするので、急遽、この曲は終了って事にしました。またしばらく時を置いから再挑戦って事にしました。
なので、いきなり新曲です。ヘンデル作曲「セメレ」のジュピターのアリア「Where’er you walk/あなたがどこを歩くとも」です。この曲はダ・カーポ・アリア(ABA形式の曲)なので、まずは最初のAの部分だけを歌ってみました。
普通に何も考えずに歌ってみたところ、ちょっぴり残念な感じになりました。と言うのも、いつものようなロマン派的な歌い方というか、ヴェリズモっぽい歌い方では、なんか曲調に合わないのです。やっぱりヘンデルはバロックであり古楽なので、アリアも古楽っぽく歌わないと、な~んか違うわけです。
じゃあ、古楽って、どんな音楽なの?って話になってくるわけだけれど、それは一言で言えば『神々の音楽』なわけです。実際、私が歌っているこの曲は、ジュピターが歌っているアリアなんだけれど、ジュピターってのはローマ神話での呼び名であって、ギリシア神話ではゼウスだもの。神様の中の神様、とっても偉い神様なんだな。北欧神話だとトールでしょ? 英語読みをすればソーだよ、あの“マイティーソー”だよね。アベンジャーズじゃん。
そんな彼が歌っているアリアなんだから、常に高慢ちきで偉そうなんですよ。いや実際偉いんだよね。
だから、絶対に下には降りない。常に高みにいる存在なわけです。だって偉いんだもん。超越した存在なんだもん。だから、アリアでも、そんな彼を表現しないといけません。、そうしないと、下品な感じになってしまうわけです。
歌う時は、メロディに寄り添ってはいけないのです。メロディラインが下がってきても、自分は決して下がっちゃいけないのです。高みにいないといけません。だってジュピターだもの。
つまり、言い方を変えるなら、常にメロディを上から見下ろして歌わないといけないのです。いやー、これ、私が苦手としているヤツじゃん。
音が高い時は、高みにいる自分のそばに寄り添わせればよいのだけれど、メロディが下がって、音が低くなった時は、声を自分から突き放していく感じで歌わないといけません。メロディに釣られて、自分が下に落ちてはいけないのです。うひょー。
自分は常に高みの世界…神々の世界にいるわけですから、声も軽さが感じられないとダメなんです。うわー、苦手苦手。
という訳で、この曲、譜面的には簡単なのですが、様式的な部分で私が苦手とする事にたくさんチャレンジしないといけない事に気付かされました。頑張るぞー。この曲を学ぶ事で、階段を一つ上に登るんだ!
さて、次のレッスンまでに、この曲の次に歌うイタリア語の課題曲を探してこないといけないなあ、次は何の曲にしましょうかね。選曲するのって、楽しいよね。うふふ。
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コメント
ヘンデル、久々に歌いたい、と相変わらず指をくわえてます。
ジュピターって、先日知人のピアノコンサートで、「惑星」の一曲としてやってました。解説が青島広志先生で、ジュピターはホルストの解釈では「快楽」の象徴。歌謡曲では中間の荘厳な部分がとられて、人類愛みたいなことが強調されてるけど、全体の曲想はコロコロ変わる。これは色々なものに変身して美女を物色するしょーもないオジサンとしての側面を表しているのだとか。
ところで、またも思い切り横で申し訳ないですが、結婚相談所などの「ジューンブライド」解説で、語源に言及したものがないのはなぜでしょう?juneの語源はジュピターの奥さんのjunoで、結婚の守り神だ、というところから来ていると思うのですが。
もしかしてこれを明らかにすると、ダンナの浮気に悩まされる宿命までしょいこむのか、と突っ込まれるから、とか。
如月青さん
いやいや“ジューンブライド”は、元々は“結婚の守り神のジュノーの月の花嫁”ってところからスタートしたのかもしれませんが、今や単純に“6月の花嫁”ですよ。あっちじゃあ、6月って気候も良くて快晴続きで、結婚式をするにはうってつけの季節みたいです。だから、そんな結婚式日和に結婚したがるカップルは多いわけで、ジューンブライドは「結婚の季節に結婚した(恵まれた)花嫁さん」って程度の話で、語源まで逆上ったら…さすがにジュノーみたいに“旦那に泣かされっぱなしの花嫁”ってわけにはいかないっすよ。
そう言えば「Where’er you walk/あなたがどこを歩くとも」って、オラトリオ「セメレ」でジュピターが歌っている不倫のアリア(笑)ですが、このオラトリオでも、ジュノーはジュピターの不倫に泣かされているんだよね。