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キリスト教における一神教とは?

 タイトルは何やら小難しそうですが、私が書くので、そんなカタい話にはなりません(笑)。
 キリスト教は一神教だと言われていますし、実際そうでしょう。で、一神教の対義語が多神教だと学校で習うわけです。「この世に神様は一人しかいないのが一神教で、たくさんの神様がいらっしゃるのが多神教」って習うわけです。
 私は、この一神教と多神教を対立させる事が間違いなのではないかと思うわけです。だって、この定義に従えばキリスト教は多神教って事になってしまうからです。
 キリスト教の世界には、実は大勢の神様がいます。それは聖書を読めば一目瞭然です。キリスト教の神様に対抗する他の神様として、有名な神様としてはバアル神がいます。もう、やったらめったら聖書の中に登場します。もはや、主要キャラと言っても言い過ぎではありません。その他にも、ダゴン神とかモレク神とかまだまだたくさんいます。つまり、キリスト教の世界の中にはたくさんの色々な神様が存在していて、その中の一人であるヤハウェ(またはエホバ。どっちにしてもキリスト教の神様です)だけを信仰しなさい、他の神様を信仰してはいけません…というのが一神教なんだと思います。
 なので、整理して言うと、
 1)この世にはたくさんの神様がいる。
 2-1)それぞれの神様を自由に信仰していくのが多神教。
      ->神様同士が仲が良くて、神様社会が出来上がっている。
 2-2)その中から一人の神様を選び、その神様だけを一心不乱に信仰していくのが一神教。
      ->神様同士は仲が悪く嫉妬深い。良くも悪しくも個人主義(個神主義?)
 ま、こんな感じ? 実際、聖書の中で神様自身が「私は嫉妬深い」って言っちゃっているしね。
 なので、学校で教えてくれる一神教の説明って、違うなあって思うわけです。で、なんで、そんな勘違いが生じるのかと言えば、聖書を読んだことの無いのに分かったふりをしているから…って思うわけです。聖書を読めば、そんなつまらない間違いなんてしないもの。
 ちなみに、キリスト教信仰の有無に関わらず、聖書は読んでおいた方がいいと思います。なぜなら、キリスト教のみならず、ユダヤ教やイスラム教など、世界の大半の人々が信仰している宗教の聖典は聖書(またはその類書)であり、世界中の人々の行動原理や価値基準の根本にあるのが聖書だからです。
 世界の主要国の中で、聖書の価値観に基づかない人って多くないです。いわゆる仏教徒がそうですが、仏教国って、タイ、ミャンマー、スリランカ、ベトナム、カンボジア、ラオス、ブータン…ええと、まだあるかな? 日本と中国を無理やり仏教国に数えたとしてもそんなモンです。あの韓国ですら、実は仏教徒よりもキリスト教の方が多くて、アジアにありながら仏教国とは言えません。あえて言えばキリスト教国なのです。
 とにかく、世界には200国ほどありますが、その中で非キリスト教国は少数派であり、非キリスト教徒は少数派なのです。地球人類的には、聖書を知らない人の方が少ないわけです。
 なので、我々日本人的には、聖書の教えを信じる信じないは信仰の問題だから横に置いておくとしても、知識としてはキリスト教や聖書を知らないというのはマイナスでしかありません。
 少なくとも、クラシック音楽の鑑賞にはキリスト教に基づく教養は不可欠だと思いますよ、マジでね。だから聖書は読んだ方が良いと思います。聖書なんて、本屋に行けば売っているし、有料無料さまざまなアプリもあるしね。読もうと思えば、いつでも読めるのが聖書です。聖書の内容って、世界の常識だから、常識を知っている事って大切だと思うわけです。

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