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歌謡曲とJ-POPの違いについて、私が考えた事

 厳密な定義は、ヨソのページを見てください(笑)。ここでは、私の感覚的な話をしたいと思います。

 ざっくり言っちゃえば、歌謡曲とJ-POPの違いは、それが昭和の大衆音楽なのか、平成の大衆音楽なのか、と言った時代の違いではないかと思ってます。つまり“昭和歌謡”が“J-POP”に変容して別物になったと考えてます。

 じゃあ、昭和の歌謡曲が平成のJ-POPに変わった時に、何がどう変わったのかと言えば…歌詞が何を言っているのか、耳で聞いてわからなくなった…という点が大きく変わったと思います。

 昭和の歌謡曲は、演歌も含めて、リアルタイムに耳で聞いて理解できたものです。

 「歌を聞いても、何言っているのか全然分からない」という声が聞こえ始めたのは、サザンオールスターズからです。今でこそ、彼が何を歌っているのか、平成の我々は分かりますが、昭和のオジサンオバサンたちには、全く分かりませんでした。それは何故かと言えば、ヴォーカルの桑田佳祐が曲を歌う際に、わざと母音や子音を日本語のそれではなく、外国語っぽいモノに変えて歌っていたからです。つまり「外国語訛りの日本語(それもかなり“なんちゃって”です)」で歌っていたからです。

 実際、当時の若者の耳には、サザンの音楽は、歌詞の日本語訛りにしても、サウンド自体が既存の日本の音楽とは違って、まるで洋楽(ってかビートルズ)っぽい事もあって、ボーと聞いていると、まるで洋楽を聞いているような錯覚に陥ったものです。それも、本物の洋楽と違って、日本語で歌っているわけですから、ちゃんと聞けば、何を歌っているのか分かるのです。本物の洋楽を聞いて、何を歌っているのか分かる日本の若者なんて、当時はそんなにいなかった(今もいないか:笑)わけで、サザンの音楽は、歌謡曲ではなく“親しみやすい洋楽っぽい音楽”だったわけです。

 で、このサザンの音楽が大人気となり、フォロワーが多く生まれ、それらが普及し始めたのが、平成に入ってから…と私が理解しています。

 もちろん、J-POPの構成要素はサザンの“訛った日本語”だけでなく、YMOによる“電子音楽化”もあるし、小室哲哉による“大衆音楽の舞曲化”もあります。それらがゴチャ混ぜになって、今のJ-POPが出来上がったと、私は見ています。

 でも、私個人にとって、J-POPの大きな特徴は“ちょっと聞いただけでは、何を歌っているのか分からない事”なんです。逆に言えば、モー娘。や48グループの楽曲のように歌っている事がちゃんと聞こえちゃう音楽は、ある意味、昭和歌謡に先祖返りしちゃっているJ-POPなんだろうなあって思うわけです。つまり、アイドル歌謡はJ-POPの鬼っ子と言うか、隔世遺伝的で生まれた昭和歌謡の孫なのかもしれません。

 私はオジサンだし、昭和の人間なので、平成の音楽であるJ-POPは、ちょっと苦手です。それは別に、何を歌っているのか分からないからでもなく、コンピューターサウンドだからでもなく、もちろん踊れる音楽だから嫌ってわけでもないのです。じゃあ、J-POPのどこが気に入らないのかと言えば、同時代音楽であるため、玉石混交の石ばかりが目立つ点です。昭和歌謡にも駄作はいっぱいあったけれど、そんなものは時代の流れの中で消えてしまったわけで、今聞くことができる昭和の歌謡曲は、いずれも名曲ばかりですし、私の思い出の中の歌謡曲も、いずれも名曲だらけです。でも、今、街中を流れているJ-POPには、駄作も数多く、つまらない音楽ばかりが目立つからです。良い曲もあるのだろうけれど、悪貨は良貨を駆逐しているせいでしょうか、売れている曲は耳にできても、良い曲はなかなか耳にできない…と思ってます。

 ちなみに私が良い曲だと思う基準は…単純に“歌える曲”です。つまり美しいメロディとか、キャッチーなメロディを持っている曲です。そういう曲って、ほんと、少ないよね。

 別に音楽は、メロディーが無くても売れます。でも、メロディーが無いと、人々が歌い継ぎませんから、やがて時代の中で消費され、消えていってしまいます。J-POPは、昭和の歌謡曲と違って、最初から消費材として作られた音楽が多すぎて、どれだけ残っていくのでしょうか? 私個人にとっては、どうでもよい事ですが、知的な興味はあります。

 百年後の日本人に「平成の時代の音楽って言うと、どんな感じの音楽だと思っている?」と尋ねたい気分です。

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