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結局、フルートは思いで吹く楽器

 フルートの音程を決めるのは運指です。ドの運指で吹けばドの音が出るし、ミの運指で吹けばミの音が出ます。

 何を当たり前の事を言っているのか!…とお叱りを受けそうですが、厳密に言えば、運指だけではフルートの音程は決まりません。なので「フルートの音程を決めるのは運指です」と断言しちゃうのは、ちょっと違います。

 確かにミの運指で吹けばミの音は出ますが、それは低音のミですか? それとも中音のミですか? って話です。この2つの音の運指は全く同じで、それを息の違いだけで吹き分けているわけです。

 もうちょっと言えば、それらと同じ運指で、高音のミも出ますし、中音のラも出ます。もっと他の音だって、出そうと思って吹けば出ちゃいます。これらは、いわゆる倍音って奴で、フルートは倍音を巧みに利用して、広い音域を確保している楽器です。

 なので、運指はもちろん大切ですが、いくら運指が正しくても、楽器に吹き込む息が適切でないと、正しい音程では吹けないし、全く違った音を発音する事すらあるわけです。

 そのあたりの事を、意識的であれ、無意識的であれ、熟知している奏者の音程は正しいし、音色は美しいのです。そこの意識が不足して、運指のみに頼って演奏している奏者の音程は不確かであり、音色もさほど美しくないのです。

 結局、フルートって、息なんだよね。息を楽音に変えて演奏する楽器だから、なんだかんだ言っても、息が大切なんだよ。

 息って何? って言えば、もちろん、人間の呼吸活動に伴う、主に呼気の事を言うのだけれど、おそらく、そういう理解ではダメなんだと、私は思ってます。

 息って“思い”なんだと思います。フルートをどう鳴らそうか響かせようかと思う“思い”なんだと思ってます。だから、音程であれ、音色であれ、どういう音で鳴らそうかという思いがまずあって、それを息で楽器に伝える事により、楽器は奏者の思いの音で鳴ってくれる…と私は考えています。だから、息は単なる呼気ではなく、奏者の思いであり、意思であり、もっと極端に言っちゃえば、魂であり、霊であるとすら思ってます。

 だから、フルートを吹くという行為は、奏者の思いを具体的な音に変換していく行為なんだと思ってます。

 オカルト気味の話だけれど、私は結構真剣に、そう信じています。

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コメント

  1. tetsu より:

    こんばんは。

    >フルートの音程を決めるのは運指

    ではありません、と強調したいです。
    例えばBを歌いながらまたはハミングしながらAの運指でフルート吹くと楽器は鳴らないし音になりません。
    声楽で言われているポジションみたいな体の使い方はフルートでも同じです。
    元師匠曰く「楽器の音程は体で作る」。その後モダンスケールに転向(!)されてからは「とても自然」らしいです。
    どこにどのように拘るかですね。

  2. すとん より:

    tetsuさん

     運指はもちろん大切ですが、運指がすべてではありません。tetsuさんがおっしゃるような事も事実です。

     たぶん、ここのところを(無意識であり、自覚的であれ)分かっている人だけが、フルートを美しい音で鳴らせるのではないかと思うわけです。

     ソノリテなんて、そのあたりを無意識に体に叩き込むメソッドなんではないかと…最近の私は考えるようになりました。ならば、最初に自覚しちゃえば、ソノリテなんてやる必要はない…なんて乱暴な事すら思うようになった私だったりします。

     ちょっと言い過ぎかな(笑)。

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