フルートは独学でも十分学ぶことが可能だと結論づけた私ですが、では歌に関してはどう言うべきか…というのが今回の記事となります。
フルートでも“吹ける”の基準をかなり下げた私ですが、同様に歌でも“歌える”の基準をかなり下げれば、独学でも歌は学べる…と言いたい気もしますが、そこは器楽と声楽の違いもあり、なかなか言い切るのが難しいと思ってます。
結論を言ってしまうと、歌に関しては独学は意味がないと思います。なぜなら、歌える人は学ばなくても歌えるし、歌えない人は独学したくらいじゃ歌えるようにはならないからです。
分かりやすく言えば、フルートを独学で学ぶために必要な、楽器(フルート)と初心者向け教則本は、ちょっと立派な楽器店に行けば売っているので、それを購入して始める事ができますが、歌に関しては、楽器(歌声)も初心者向け教則本も、楽器店では売っていません。つまり、歌に関しては言えば、楽器も買えなきゃ、教則本も入手が難しいのが現実なのです。
つまり歌に関していえば楽器(歌声)は購入できないので、必ず自分で作らないといけないわけだし、教則本も無いので、歌を上達するための決まりきった練習法もない…ということは、歌う人それぞれの得意不得意に合わせて練習メニューを考えていかないといけないわけで…そういう点を考えるならば、歌に関しては独学で学んでいくのは、ほんと、難しいと思うわけです。
結局、歌に関して言えば、演奏法を学ぶ前に、楽器を作らないといけないし、作った楽器は一品物なので、その操作法も個別に学ばないといけないわけで、だから歌は、個人的に学ぶ以外に上達していく道はないのかもしれません。これは、クラシック声楽だけの話ではなく、合唱であれ、カラオケであれ、演歌であれ、民謡であれ、ロックやフォークであっても…です。
歌は個人的に学ばないと、いくら経験を積んでも、決して上達しない事は、市民合唱団に行くと分かります。
多くの市民合唱団では、個人レッスンはしません。演奏会に向けての曲の練習以外だと、せいぜい発声練習という名の準備体操をするくらいです。定期的に練習に参加すれば、歌うための筋肉が自然と鍛えられますから、入団直後と比べると、多少、地声が強くなる事はあるかもしれませんが、まあ、たいていはそれどまりです。
合唱団では、音程の良い人は、最初っから良いですし、音程の甘い人は十年歌っていても甘いままです。よほど指導者の腕が良いわけでなければ、市民合唱団の歌などは、十年経っても二十年経っても、大きくレベルが変わるわけではありません。
歌は、歌っているだけでは上達しないのです。
だから、バンドのヴォーカルなどは、最初から歌える人が担当する事が多いのは、そういう事だからです。ギターを始めとする楽器たちは、最初は初心者で全然弾けなくても、練習をしていけば、やがて弾けるようになりますが、ヴォーカルに関しては、最初に全然歌えない人が担当してしまうと…いくら練習しても、たいして上達しないので、そのバンドはやがて行き詰まってしまうので、最初から歌える人がヴォーカルを担当するわけです。
市民合唱団などは、歌えるメンバーが数名いれば、後はむしろ歌えなくて声も出ないメンバーがたくさんいると良いのだと思います。なにしろ、歌えなくて声も出ないメンバーは、演奏の邪魔になりませんし、団を(会費によって)経済的に支えてくれるし、運営も手伝ってくれるから、団としては、とても助かる存在なのです。
むしろ市民合唱団等では、歌えないけれど声が出ちゃうメンバーというのは、大変毛嫌いされます。なぜなら、彼らは演奏の邪魔だからです。
彼らが練習に真面目に参加していれば、やがて必ず上達するなら、誰も彼らを邪魔者扱いはしないでしょう。迷惑かけるのも一時の事であって、やがて上達して大事な戦力になる…と思えば、団だって彼らを大切に育てていくでしょうが、現実的には、彼らの歌が上達することは、まずありません。1年歌っても3年歌っても5年歌っても上達はしないのです。やがて上達しない自分に肩身の狭さを感じて彼ら自らが合唱を辞めてしまうか、そうでもなければ、団のお局さんたちが彼らをいびりまくって追い出すか…とにかく、邪魔者はやがて排除されてしまうわけです。
なので、才能がある人はともかく、普通の人は、歌は独学ではダメで、きちんとした人の指導の元で学ばないと、残念な事に決して上達しないのです…と私は考えています。
歌って、誰でも歌えそうな気がしますが、誰もが歌えるなら、世の中には音痴と呼ばれる人たちなんているわけないのです。でも悲しいことに、世の中には音痴と呼ばれる人たちは、少なからず存在します。彼らとて、きちんとした指導を受ければ、決して音痴のままではいないと私は思いますが、多くの音痴な人は、歌を学ぶ事はしないので、いつまで経っても音痴なままなのです。
歌を独学で学ぶのは、とても難しい事だと思います。声楽は器楽ほど、一般人に優しくはない…って事です。
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コメント
私は、合唱を始めた時は自覚がなかったんですが、かなり大きな声だったようです。
そして、周りを見回し、なんか変だぞと、小さな声で歌っていました。
でも「ちゃんと歌わなきゃ、先生が注意してくれない。私に技術的な注意ができるのは先生だけだ」と開き直り、普通に歌うようになりました。
そして、その指導には全面的に従うように心掛けました。
そのかいあってか、まぁまぁ上達している自分がいます。
でも、最近は個人レッスンを受ける人が増えて、その配慮からかあまり厳しく言う団は少なくなりましたね。
残念な気持ちを抱えながら、練習に向かうのでありました。
ともさん
ともさんの団の先生は良い指導者ですね。多くの市民合唱団の指導者の方々は、団全体とか、せいぜいパート単位での注意はしますが、個人一人ひとりに注意をする事は稀です。と言うのも、仲間たちの門前で個人的に注意をする事で恨まれてしまう可能性があるわけで、そこで(よく言うと)遠慮して個人的に注意はしないものです。
でも一部の指導者たちは、たとえ団員から嫌われても、自分のやるべき職務を忠実に行っていこうと考える人たちもいるわけです。たまたまともさんの先生は、そういう普通にプロ意識をもった指導者さんだったのでしょうね。そういう指導者さんが指導している合唱団の団員さんたちは、確かに、上達すると思います。
要は、歌って、一人ひとり違った声(楽器)を持っているわけで、だから指導も一人ひとり違って当然なのです。合唱団であっても、一人ひとりに適切な指導がなされるならば、歌も上達するんだよねえ。
ひとりひとりに直接注意されることはさすがにまれでしたが、
「目立っている声を注意していかなければ全体がまとまらない」と、私の接してきた指揮者のほとんどがそう思っているように感じました。
私が歌っていて失敗したなとか、どうしたらうまくいくのだろうと考えて歌う部分のほとんどは技術的な指導が入りました。
周りの人が私を下手だと遠ざけるのはその人の勝手。
団員の不完全燃焼と、本番の失敗は合唱指揮者の責任。
そう考えるように切り替えたのです。
そういう感じで、毎回の練習がに取り組んできました。
今日も練習がありましたが、他のパートのチェックに忙しくてあまり指導されませんでした。残念。
ともさん
>今日も練習がありましたが、他のパートのチェックに忙しくてあまり指導されませんでした。残念。
ま、そこは割り切りが大切と言うか、期待はしすぎない方が良いと思いますよ。大半の団員さんは、指導者から注意されることなんてないわけですから。だから“言われなくて当然”と思わないと。
学校の授業を思い浮かべてみるとよいのです。集団を相手にした指導者なんて、あんなものです。全体への注意が主であって、よほどの事がなければ、部分とか個人とかへは注意しないものです。ですから、その部分とか個人とかへの注意がある時点で、指導者へは多大な負担がかかっているわけです。
無いに越したことはないんです(だから多くの指導者は避けるわけです)。だから団員的には“指導されなくて当然”という感覚であるべきなんだろうと思うわけです。
ともさんご自身も、先のコメントでおっしゃっていましたが、個人的な注意は個人レッスンで、全体的な注意は合唱の練習で…という流れが、昨今の合唱団にはあるんだろうと思います。
私は、それはそれで健全なんじゃないかなって思いますよ(私感ですけれどね)。