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生徒だって大変なんだ

 昨日までは、先生の立場から見た生徒さんのタイプ別の話をしましたが、今回は逆に、生徒の立場から先生のタイプを見てみました。

 まあ、はっきり言っちゃえば、生徒から見た先生のタイプと言うのは、大きく3つに分かれます。それは『疑問を感じる先生』『人間的に好感の持てる先生』『師として尊敬できる先生』です。まあ簡単に言っちゃえば、先生の格付けであり、松竹梅なわけです。

 まず最初は『疑問を感じる先生』です。松竹梅で言えば梅クラスの先生です。

 疑問を感じる…の“疑問”には色々あります。例えば「この先生について数年経つけれど、一向に上達しないのはなぜだろう?」とか「この先生に教えてもらっても、ちっとも楽しくないのはなぜだろう?」とか「この先生、会う度に言うことが違うけれど大丈夫かしら?」とか「生徒によって態度がコロコロ変わるけれど、それはなぜ?」とか「レッスンの時に雑談ばかりで時間が過ぎてしまう事が多いけれど、いったいレッスンはちゃんとやってくれる気があるのかしら?」とか「なんでこの先生は、いつもいつも威張ってばかりいるのかしら?」とか「私の言う事なんて、ちっとも聞いてくれないけれど、それはなぜ?」とか「レッスンの日時の変更が頻繁なのはなぜ?」とか、それはもう、音楽的な事から、人柄や人格、金銭問題まで、ありとあらゆる事に関して、色々な疑問があります。それらの一つでも疑問が生じれば、それは先生への不信感につながって行きます。そういう意味で、梅ランクの先生なのです。

 そういう梅ランクの先生に学んでいても、あまり良いことはありませんから、早急に先生を変えた方が良いのだけれど、実際に習っていると、情もわくし、簡単には切れないんですよね。そこが悩ましいところです。

 次は『人間的に好感の持てる先生』です。まあ竹ランクの先生です。

 こういう先生も、その実態は、先の『疑問を感じる先生』と大きく変わりません。違いは、『疑問を感じる先生』は生徒に不信感しか持たれていないけれど、『人間的に好感の持てる先生』というのは、生徒に好かれているので、色々と疑問はあっても、生徒が先生の事を好きなので、疑問はあっても、それが許されているだけなのです。つまり「色々あるけれど、ひとまず及第点かな?」って感じの先生です。

 私にとって、キング先生はこのタイプの先生でした。まあ、習い始めた当初から、色々と疑問に思ったり不満に思ったりする事はたくさんありましたし、この先生について学んでいても、一向に上達した気になれなかったし、実際に上達しなかったのだけれど、それでもキング先生に師事していたのは、彼のお茶目な性格が好きだったし、なにより“遊ばせ上手”だったし、生徒たちとよく遊んでくれた事が…気に入ってました。彼の元で学んでいると、実に楽しいのです。そこは彼の美点だと、今でも思ってます。ま、当初は人間関係も良好でしたし…ね。

 で、最後は『師として尊敬できる先生』です。松タイプの先生です。このタイプの先生には解説は不要ですね。本来の先生としての役割をきちんと果たしている先生方の事です。

 お金をとって教えている以上、すべての先生が松タイプでなければいけないのですが、街の音楽の先生は免許制でもなんでもなく、自己申告制と言うか、名乗ったモノが勝ち、開業してしまえばプロ教師って世界ですから、実際の先生のレベルは玉石混交だし、うっかり石ころを掴んじゃう生徒さんもいるわけです。

 掴んだ先生が、宝石なのか、貴石なのか、それともただの石ころなのか、アマチュアである生徒にはなかなか分からないものです。ましてや初心者ならば、なおさらです。

 だから、疑問があっても、迷いながら、先生に付いていくのです。

 都会ならば、先生ショッピングもできるかもしれませんが、地方には選択肢がありませんから、先生が宝石であろうが、ただの石ころであろうが、そこに食らいついていくしかないかもしれません。

 先生も大変でしょうが、生徒だって大変なのです。

 結局、自分の地元に、まともな先生がいなければ、電車バスを利用して、それどころか、人によっては、長距離バスとか新幹線とか飛行機とかを使って、都会のまともな先生に習いに行く人だっているのです。趣味だからこそ、時間とお金に糸目をつけずに学べる人もいるわけで、その情熱たるや、実に素晴らしいわけです。

 生徒だって、本当の本当に、大変なのです。

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コメント

  1. ドロシー より:

    すとんさん、こんにちは。
    そうなんですよね。
    3タイプの先生に確かについたことがあります。

    ●梅の先生
    ・音大卒で演奏活動なしの先生についたことがありましたが、悪びれもなく「音大卒業してから何も勉強していない」と自分のことを鼻で笑いながら言っていました。
    ・バリバリのプロの先生につきましたが、「どうせアマチュアなんだから、どんどんチャレンジしなさい」と難曲ばかり勧め、基礎をじっくり見てくれません。ただ、他の先生では「私はできない」と言った曲まで見てくれるから、切れません。

    ●竹の先生
    若くて人当りもよく研究熱心な先生でしたが、変なクセをつけられてしまい、何もしない人の方がマシと、某団体主宰者に言われました。

    ●松の先生
    演奏活動が忙しいとか、ものすごくレッスン料が高かったりして、レッスンの回数を増やせない事情があります。

    さらに理想の松タイプの先生というのは、更に上の先生を勧められる、つまり卒業させられる先生でもあると思います。なかなかお目にはかかりませんが・・・

  2. すとん より:

    ドロシーさん

     おっしゃる通り、更に上の先生を勧められる先生って、理想の松のタイプだし、願わくば、そういう先生に当たりたいものです。

     教えることも商売と考えるなら、顧客の囲い込みって大切だよね。つまり、自分が教えている対象を生徒と見ていれば、いずれは卒業させてあげなきゃいけないわけだけれど、顧客だと思っている人は、なんとか囲い込もうとするわけです。

     自分が生徒と見られているか、顧客と見られているか…うまい判別方法って無いものですかねえ?

  3. ドロシー より:

    すとんさん

    >自分が生徒と見られているか、顧客と見られているか…うまい判別方法って無いものですかねえ?
    どなたかそのような先生がいたら、聞くしかないですね。
    ただ、プロか音大進学を目指す生徒に対してはそのような先生もいるかもしれませんが、趣味の大人に対してそのようなことをする先生自体がなかなかいないものです。
    私も、プロを目指している人から勧められたために決めた先生だったのに、その人にはさらに上の先生を紹介、自分の先輩となる生徒は殆どアマチュアということになってしまいました。

  4. すとん より:

    ドロシーさん

     まあ、音楽への向上心ってヤツが関係してくるんだろうと思います。例えば、プロ志望の生徒さんなら、次の先生を紹介したとして、その先生が…例えば、片道電車で2時間ぐらいのところであったとしても通ってくれるでしょうが、アマチュアの方だと、そこまでの向上心やら熱意やらが不足していて「次の先生、片道2時間なら、行きません」とか言っちゃうかもしれないでしょ。

     実際、私も、遠方の先生ならば、通いきれないかもしれませんし…。

     そうなると、先生も簡単に次の先生を紹介するわけには行きませんからねえ。

  5. tetsu より:

    こんばんは。

    師匠弟子の関係が全くない某笛吹きの方と地元でのアマチュアを含めた音楽会のようなところでお知り合いだったことがあります。
    その方は某地方から某先生(東京在住、名前を言えば知らない笛吹きはいない方)のレッスンに飛行機で通っていたことを自慢にしていて、「あなたも先生を選びなさい」と言っていました。
    当時は地元駅前の楽器屋のフルート教室へただ吹くだけのために通っていたくらいで先生を選ぶとか考えたこともありませんでした。こんな見方がなかったことを教えられたことは感謝しています。
    その後何年(?)かたってその方のレッスンを受けたいとか言ったこともないのに面と向かって「あなたは〇〇スクールには入れないわよ」(〇〇はその方のお名前)と言われてビックリしました。タダの笑い話です。この業界狭すぎてイロイロな方がいらっしゃいます。

  6. すとん より:

    tetsuさん

     確かに音楽業界は狭いです。本当に、知り合いの知り合いは、たいてい知り合いだったりするわけで、その狭い世界でうまく立ち回れる人は上手に生き抜いていけますが、そこらへんが苦手な人は、なかなか辛そうです。

     ある意味、音楽業界って、村社会のようなものだからね。水が合えば、助け合いの精神が発揮されるし、そうでないと、いつまで経っても、どなたともお近づきになれず、仕事も回ってこない…ってわけです。私、音楽家にならなくてよかった…って以前に、才能が無いから無理無理無理なんですが(笑)。

     ちなみに、その面識のない方は、tetsuさんを牽制したんじゃないですか? こんな人がやってきたら、アタシ達の居場所が無くなっちゃうわとかなんとか。ありそうな話じゃないですか。

  7. tetsu より:

    こんばんは。

    牽制とは感じませんでした。その方は生徒さんが何人も音大に入ったり、集まりでは親御さんは準備から昼食おやつまで全部用意したりで、その方はお城の山にいらっしゃったような感じです。何だったのか当時他の方と話したときも笑い話でした。

    別件ですが、敬愛する元師匠がとある理由でこちらのレッスン続けられなくて、近所で楽器の傾向が近いとある方を紹介してただきました。
    この方のレッスンで言われることは違うので楽しかったのですが、ある曲のレッスンで「アマチュアはこれだからな」と突然捨てゼリフを言われてしまいそれ以来個人レッスンに通っていません。某アマオケでの指揮者と周りの方のコメントと元師匠に言われたことが支えです。
    敬愛する元師匠のレッスンは今まで言われたことをどう超えるか準備の不足と行くだけで何言われるかわからない緊張で、アポとろうとすればいつでも行けそうですがなかなか行けません。ただのビビリです。

  8. すとん より:

    tetsuさん

     お互い、人間的に合わなかったのでしょうね。音楽をやる人って、プロもアマも、まあ良く言えば個性的、悪く言うと変人が多いですからね。孤高の人が多いんです。こんな事を書いている私だって、社交的とは言えない性格ですしね(自覚あるんですよ)。

     普通の人同士でも、マッチングは難しいのですが、音楽をやる者同士は、音楽を媒介にして、ようやくつながっているわけで、そこを飛び越えちゃうと、なかなかに難しいんだと思います。私も昔を思い出すと、そんな感じです。

     音楽でつながっているから、なんとかなっていたわけです。

     捨てゼリフを言う人って、日常生活の中で、頻繁にセリフを捨てますよね。あれって、道端にタンを吐き捨てるのと同じで、言葉を吐き捨てているんだと思います。周囲は不快ですが、当人的にはセリフを捨てないと、自分の中が気持ち悪くて気持ち悪くて仕方がないんでしょうね。可哀想な人なんだと思いますよ。

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