本日最後のマスター・クラスを見終えた私たちは、その足で、すぐそばで行われる4K上映の会場に行きました。
4K上映での『ローエングリン』
昨年もやっていた、クラシカジャパンによるオペラの4K上演を見ました。今年の演目はワーグナー作曲の『ローエングリン』の第三幕の前半でした。ローエングリンはベチャワで、エルザはネトレプコでした。
私は『ローエングリン』をちゃんと見たことはないのだけれど、一瞥して思った事は「エルザって嫌な女だな」って事です。この理解は正しい理解なのかな? それともネトレプコが演じているから嫌な女に見えるのかな? さあ、どっちだろう。
去年も書いたと思うけれど、4Kは実に素晴らしいけれど、やっぱりオーバースペックだと思います。自宅のテレビには4Kはいらないね。少なくとも、DVDとBlu-rayの差が分からない私には、4Kのシステムを自宅に入れても意味ないなあ。4Kは大スクリーンで威力を発揮するシステムだと思います。だから、自宅ではなく、映画館とかのへ導入だよね。
最近は、映画館もデジタル化していて、かつてはフィルムで搬入されていた映画が、昨今はBlu-rayで搬入されるという話も聞きます。って事は、映画館でも、Blu-rayのシステムで、あれだけの鮮明な画面で見れるってわけで、そうなると、ますます4Kってオーバースペックなんだなあって思います。
とは言え、技術は常に高めておいたほうが良いわけだから、普及はしなくても、4Kシステムは4Kシステムとして頑張って欲しいと思いました。それに4Kを否定しちゃったら、8Kなんて論外だしね(笑)。
『ローエングリン』の歌に関して言うと、ベチャワもネトレプコも、旧来のワーグナー歌いと呼ばれる歌手の皆さんとは、ちょっと違いますね。旧来の皆さんと比べると、パワー不足と言うか、線の細い声なんだけれど、より精密に歌っているのが分かります。これって、20世紀末にカラヤンが求めていたワーグナー演奏なんじゃないの?って思いました。あの頃は、今と比べると歌手のレベルが(正直)低かったと思います(ごめん)。精密に歌えない代わりに、迫力でごまかしていたような気もします。あるいは、迫力を出すために、精密さを捨てていた…というべきかな
細かい所は目をつぶって、迫力で押し通す歌唱も私個人はキライじゃないですが、カラヤンが目指していたワーグナーは、そういうモノではなかったわけで、あの頃、カラヤンのワーグナーって、玄人筋にはウケが悪かったのは、カラヤンが時代の先を見ていたからであって、同時代を見ていなかったからかもしれません。カラヤンの足元に群がる人たちからすれば「遠くばかり見てないで、少しはこっち見ろよ」って気分だったのかもしれません。
そういう意味では、世の中がようやくカラヤンの理想に近づいてきたのかもしれません。
で、4K上演を見終えたら、ホールEで踊られている阿波踊りを横目で眺めながら、この日は帰宅をした私でした。
で、その翌日は、一日丸々休息に充て、最終日にもう一度LFJに出動したわけです。
ロビーコンサート
さて、LFJ最終日の話を始めましょう。
我々は、東京国際フォーラム…ではなく、日比谷の帝国劇場の向かいにある、第一生命保険日比谷本社に向かいました。その会場では、国際モーツァルテウム財団による、コレクション展とコンサートが開かれていたのです。
コレクション展の方は『ナンネルとヴォルフガング』というタイトルの展示で、ナンネルの人生を通して見たモーツァルトの人生って感じのまとめ方の展示会が行われていました。レプリカかもしれないけれど、モーツァルト一家の肖像画とか、モーツァルト直筆の楽譜とかが展示されていました。
でも肝心なのはコンサートの方で、こちらは『今蘇る、モーツァルトの響き』というタイトルで、モーツァルトが実際にザルツブルグ時代に愛用していたヴァイオリン(実物が現存しているわけです)によるモーツァルト作品の演奏ってわけです。
フランク・シュタートラー(ヴァイオリン),菅野潤(ピアノ)
1)モーツァルト:ヴァイオリンソナタ イ長調 KV305
2)モーツァルト:クラヴィーアソナタ ハ長調 KV330
3)モーツァルト:ヴァイオリンソナタ ハ長調 KV296
ピアノはモーツァルトの愛用品。伴奏の鍵盤楽器は、モーツァルトが使ったかどうかはの説明は無かったけれど、モーツァルト時代に普及した、フォルテピアノでした。今のピアノの原型となる楽器で、実際、モーツァルトのピアノソナタって、このフォルテピアノを念頭において作曲されているんだよね。
まずは、モーツァルトのヴァイオリンだけれど、見た目も音も、ごく普通のヴァイオリンでした(当たり前)。聞きようによっては、古い楽器の音がするような気がします…が、それは21世紀の現代の話であって、モーツァルトの時代には、このヴァイオリンもまだまだ新品だったわけで、新しい楽器の音がしていたのだと思います。それが年月の経過と共に、音も丸く馴染んでくるようになったのだと思います。そういう意味では、ヴァイオリンは確かにモーツァルトのモノかもしれないけれど、我々が聞いている音は、モーツァルトが聞いていた音とは、だいぶ違っているかもしれません。
会場となった第一生命日比谷本社の一階ロビーは、すごい良い場所でした。石造りで、見上げるほどに天井が高くて、まるでヨーロッパの教会堂のような造りになっていました。ほんと、ここ最高ですよ。
私は舞台からかなり遠くに座ったのですが、それでも音量的に不足は感じませんでした…ヴァイオリンに関しては。この会場、ヴァイオリンはよく聞こえたのですが、フォルテピアノは今ひとつでした。フォルテピアノは現代ピアノほど、音量が出るわけでもなく、まだ完成途上のフォルテピアノより、当時すでに楽器として完成されていたヴァイオリンの方がよく聞こえるのも、当然といえば当然なのかもしれません。
私はモーツァルトのヴァイオリンソナタには馴染みがないのだけれど、1)はまるでピアノとヴァイオリンがそれぞれ歌手で、その歌手たちの二重唱を聞いているような感覚になりました。あるいは、ヴァイオリンとピアノの会話を聞いているような感覚に襲われたと書いてもいいかもしれませんね。
2)は、あまり聞こえなかったので、楽しめませんでした。まあ、楽器の特性や性能も関係しているので、多くは語りません。
3)は派手で華やかな曲でした。本当に二重唱のような曲でした。モーツァルトの楽曲は、器楽曲にも歌があふれている…って事でいいですよね。
それにしても、モーツァルトはこのヴァイオリンで、ザルツブルグの宮廷楽団でコンサートマスターをしていたそうです。もちろん、モーツァルトは子どもの頃からピアノの神童として有名だったわけだし、我々がよく知る、天才作曲家でもあったわけで、モーツァルトって人は、音楽に関しては(改めて思ったけれど)超人なんだなあ。いやあ、尊敬しちゃいますよ。
続きはまた明日。
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