年末ですね。いつもは月末にアップしている“落ち穂拾い”ですが、今月は一週間ほど早くアップ致します…と言うのも、明日からは、年末恒例のあれこれの記事をアップする予定ですから…ね。で、新年に入れば、例によって連載をしたいと思ってます。ああ、記事の書き溜めをして、年始年末は遊びまくるぞ!
以前の声の方が良かった?
以前の私の録音(キング先生に師事していた頃の録音)を聞いて、この頃の歌声の方が良かったとおっしゃる方がいらっしゃいます。
なんであれ、褒めていただけているわけですから、うれしいのですが、ただ手放しで喜べるわけではないのが残念です。
と言うのも、ネットにアップしているのは、所詮、録音ですからね。
力強く聞こえる声は、実は単なるノド声なんです。つまり、ダメな声なんです。
当時の私の歌声は、実際には力強くもなくて、怒鳴り声に毛の生えたような、身近で聞いていると、あまり愉快な声ではありませんでした。耳がざわざわする声…って感じでしょうか? もちろん、そういう声はロックやJ-POP歌手には大勢いますが、クラシックの世界にはまずいません。
それと、当時もそこそこ声量はありましたが、全然遠鳴りはしない声でした(だって怒鳴り声だもの)。むしろ声量にしても、遠鳴りにしても、今の方が比較にならないほど向上しています。
カラオケを歌うならば、マイクが使えますので、音量そこそこで遠鳴りのしない声でも全然構わない…と言うか、そういう声の方がマイクが拾いやすいので良いのですが、私はクラシック系声楽の勉強をしているので、そっち方面の声はむしろ駄目なんです。
声種によって、理想とする声、求められる声は違う
前の話題に続きますが、以前の私の声には“深み”があったとおっしゃる方がいらっしゃいます。まあ、確かに今の私の歌声には、深みなんて無いもんなあ…。
もちろん、以前の声に“深み”を感じられたとしたら、それもまた録音の妙であって、実際は“ノドに落ちた声”なだけで、つまりは“ノド声乙”だったわけです。
それにだいたい、テノールの声は“深み”よりも、むしろ“軽さ”ですよね。
声に“深み”を求めるなら、テノールではなくバリトン歌手の歌を聞いた方がいいと思いますし、実際、バリトンの方々の歌声は深くて美しいです。私も、ああいう声で朗々と歌いたいものだと思う時がありますが、それは無い物ねだりなんですよ。
第一、テノールに深みを求めて、どうするんですか?(笑) 深みを求めるなら、バリトン歌手を目指さないと…ね。
声種によって、理想とする声や求められる声は違います。テノールに必要なのは、深みよりも清廉な声です。それこそ、軽さと輝きが第一です。それを身に着けた上での深みなら大歓迎ですが、基本的に深みのある声なんてものは、バリトンさんに任せておけばいい…と私は思ってます。
“好き嫌い”と“良い悪い”は別問題なんです
私は、マリオ・デル・モナコとかプラシド・ドミンゴと言ったテノール歌手の声が好きです。これらの歌手の声は、テノールでありながら、バリトンの深みを持った声であり、実際問題、ドミンゴは現在はテノールを止めてバリトンに転向してしまいましたし、モナコは現役時代から「高音の出るハイバリトン」疑惑もありました。ですから、彼らはテノールでありながらも、バリトン的な要素の強い歌手だったわけです。
私も、本来ならば、そこを目指したいのです。だって、そういう声が好きだし、そういう声で歌いたいのですから。
でも、そこは目指せないのです。なぜなら、私はモナコでもなければドミンゴでもないからです。私、私なのです。
私は日本人です。クラシック声楽を勉強し、いずれはオペラを部分的にも歌えるようになりたいと思っているアマチュアの学習者&趣味人なのです。
残念な事に、クラシック声楽では、カラダが楽器です。日本人のカラダからは日本人の声しか出ません。ヨーロッパやアメリカで活躍している、白人系のレコーディング歌手たちのような声は出せないし、出しちゃいけないのです。それをすると…カラダに障害が発生し、楽器が壊れます。
以前習っていた先生の指導の中で、今思うと「こりゃあダメだ」と思われる指導は、白人系のレコーディング歌手たちのモノマネをして歌えという指導でした。具体的には、デル・モナコのマネをしなさいっていう指導ね。私の声はテノールの中でも、かなりライトな声なのですが、そんな軽い声の持ち主に、バリトン的な要素の強いモナコの声マネなんて、できないし、しちゃいけないのです。
歌は自分の声で歌わないといけません。私が自分の声で歌えば、どうしたって、日本人の声しか出てきません。それがたとえ合唱っぽくて、薄くてペラペラな声であっても…ね。でもそれでいいんです、それが私のリアルな声ならば、それを受け入れ、それを磨いていく事が目指すべきゴールであり、正解なんですよ。
好き嫌いと、良い悪いは、別問題って事なんです。
今月のお気に入り さよならパヨク
今月のお気に入りは書籍です。千葉麗子氏の『さよならパヨク』です。これ、今年の四月に発売されて、あっという間にアマゾンでベストセラーになった話題の書籍なのですが、私、だいぶ前に購入したものの、なかなか活字の本を読むエネルギーがなくて、しばらくの間、積ん読状態にしておりました。
ようやく、まとまった休みが取れて、心身ともに活字本を読む余裕が出てきたので、某所に遊びに行くついでに電車の中で読み始めたら、あっという間に読んでしまいました。それほど、読みやすくて軽い文章です。
内容は、基本的には“懺悔&暴露本”なのですが、私の中にモヤモヤしていたモノへの解答がずばりと書かれていて、目からウロコが何枚も落ちました。いやあ、もっと早く読んでおけばよかった。
ちなみに“パヨク”と言うのは、千葉氏の造語で、意味的には“劣化左翼”の事を指すそうです。まあ、一般的には“サヨク”とカタカナ表記をした時の左翼と同じ内容を指しているんだろうと思います。
そのパヨクと各種市民運動とK産党の関係が分かりやすく書かれている本なのです。
今月には、続巻の「くたばれパヨク」出版されました。つまり年内に続巻が出ちゃうほど売れた本…って言えるわけです。
ちなみに、この続刊。私、購入しましたが、まだ読んでません。だって、他にも読まないといけない本がわんさかとあるんだもの。今度、遠出をした時の電車の中で読もうと思ってます。
今月の金魚
緋ドジョウのヨッチャンの様子がちょっと気になりますが、その他の子たちは、みんな元気で、ミドリのお尻を追いかけ回しております。
今月のひとこと
湘南地方では紅葉が色づきました。木々の葉が紅色や黄色に染まってくると…ああ、秋だなあと感じます。紅葉を見ると、無性に焼き芋が食べたくなるのは…私だけ?(201611月29日~12月4日)
12月になりましたね。師走です。音楽ファン的には“第九の季節”がやってきました。今年の私は、第九を何回聞くのでしょうか(笑)。一応、予定では「今年は生は無し、テレビで2回のみ」のはずでしたが、魚心あれば水心あり…じゃないですが、ひょんな事からご招待券入手で生演奏に行くことになりました。…毎年あるんだよね、こういう事が。さて、今年の私は、第九を何回聞くのでしょうか(爆)。(2016年12月4~7日)
今日(12/7)の夕食は…カラスに食べられてしまったので、ありません。残念。(2016年12月7~12日)
福島県の寺社の御神体やら仏像やらが約100体ほど、某半島人によって破壊されたそうです。信仰の対象を破壊? 2001年にバーミヤンの古代遺跡を破壊したタリバンとやっている事は同じです。日本じゃなければ、某国と戦争勃発しても不思議じゃない事件です(日本人は…こういう時おとなしすぎるんだよね)。これって単なる器物破損じゃなくて、精神的テロ行為でしょ! それにしても、このニュース。もっともっと大騒ぎしても良いはずのニュースなのに、本当に報道されませんねえ…。日本人の心を踏みにじっても、器物破損で済むなんて…日本の法律もザルだね。もっとも、御神体や仏像を悪意を持って破壊する人間がいるなんて、日本の法律の前提にそもそも無いんだけれどね。そう言った点では、今回の犯人は、法の前提をひっくり返した悪人とも言えます。ああ、情けない。ああ、悔しい。(2016年12月12~22日)
ようやく忙しい日々が終わり、これからしばらく、まったりとした日々が過ごせます。別に仕事が終わったわけじゃないけれど、繁忙期が過ぎ、久しぶりに気持ちが楽になりました。このまま、心穏やかに年末年始に突入したいものです。(2016年12月22~24日)
保育園待機児童問題とか、オリンピック施設建設問題とか、豊洲市場移転問題とか、東京都は何かと出費がかさむようです。これって全部税金なんでしょ? これでふるさと納税とかして、税収が減ったら「日本死ね」なんて言える余裕なんて無いよなあ…と他府県住民は思うわけです。それにしても「日本死ね」が流行語大賞(トップテン)に選ばれるなんて…選考委員の品性が残念すぎるよ。まず第一に、特に流行っていない言葉を流行語大賞に選ぶなんて、政治的意図を感じるし、日本人の品性もだいぶ落ちたもんだよなあって思う。だってね、自分の祖国に向かって「死ね」だよ。これって自分の母親に向かって「死ね」って言ってるのと同じじゃん。外国人や移民の人が「日本死ね」と言うのは訳が違うわけだよ。ああ、イヤだイヤだ。そんなのって人間として、どーかしていると思うよ。(2016年12月24~25日)
今月は以上です。よろしくお願いします。
↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村
コメント