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なぜキング先生の元では上達できなかったのか? あるいは、なぜ以前は撃沈ばかりしていたか? その2

 なぜ私はキング先生の元では上達できなかったのでしょうか? その事に気づいたのは、割と最近の事だったのです。

 先日行われたキング門下の発表会に、かつての仲間たちの晴れ姿を見に行った時のことでした。私が見たところ、皆さん相変わらずでした。特に大きな変化はなく、以前から歌える人は歌い、それなりに歌う人はそれなりに歌い、声の小さな人はやっぱり小さいし、がさつな人はがさつな歌い方のままでした。門下生の数はドンドン増えていましたが、知っている顔はだんだん減り、見知らぬ人ばかりになって、少しばかり寂しくなっていました。

 私がちょっとオセンチな気分になっていた時、ちょうど休憩時間の時でしたが、すぐそばにいたオジサン(たぶん出演者の旦那さん)が「ここの教室は下手くそばかりだな。みんなノドで歌っていやがる。あれじゃあ、いくらやっても無駄だな」と結構大きな声で、これみよがしに文句を言ってました。

 なんてひどい事を言うオヤジなんだ。みんな一生懸命に歌っているのに…。そんなにイヤなら聞かなきゃいいだろ、さっさと帰れよ!

 その時はそう思っていましたが、この事は私の心にひっかかって、数日間あれこれと、このオヤジの言葉について考えていました。

 キイワードは“下手”“ノド”“無駄”です。ああ、私がキング門下にいた頃感じていた事と共通しているではありませんか?

 キング門下ではノドで歌うことを奨励しています。もちろん、ノドだけで歌うのはダメですが、だからと言って、ノドを開放して歌うのもダメです。適度に脱力しつつ、適度にノドを絞めて歌うのが吉なんです…が、その適度ってヤツが難しいんですね。どれくらいが適度なノドの締め付けなのかを先生が指導するわけですが、その先生が思う適度と、歌う本人にとっての身体的な適度が違っていたりする事も…ままあるみたいで、そこが厄介です。妻は、先生から見て適度なノドの絞めつけを行った結果、ノドを痛めて声を壊したわけです。ある意味、諸刃の剣のような歌唱法なんだろうと思います。

 私がキング門下にいた頃は、あまり他所の人たちの歌を聴くことはありませんでしたし、コンサートもキング先生のコンサート以外、あまりプロ歌手のコンサートには、出かけていませんでした。でも今は、アマチュア歌手の発表会とかコンサートなどに足繁く出向くし、プロの演奏もあれこれ結構聞きに行きます。その結果、当時は気づかなかったキング門下で多く見られるノドに力の入った歌い方が、あの門下独特の歌い方なんだなって気づくようになったわけです。

 キング式発声法に基づく歌い方は、人を選ぶのだと思います。少なくともキング先生個人にとってはバッチグーでしょうし、キング先生に習った事で飛躍的な進歩を遂げた人もいるので、合う人には、とても効果的で良い発声法なんでしょうが、合わない人には徹底的に合わないのかもしれませんし、ノドや声を壊しかねない発声法だと思います。少なくとも、私と妻には合いませんでした。

 私がなぜ歌が下手になっていったのか? なぜいつまでも高音が出なかったのか? なぜ本番となると、必ず撃沈していたのか? すべては、キング先生がOKを出した“ノドを適度に締め付けた発声”が原因だったのです。

 ノドに力を入れると、声帯付近の筋肉が硬直します。それゆえ、中低音では緊張気味の力の入った声になるわけです。たぶん、これはキング先生にとって良い声…なんだろうと思います。

 しかし高音になり、その人にとっての適度…ではなく“過度”のノドの締め付け(しかし、キング先生にとっては“適度”なノドの締め付け)を行うと、筋肉が硬直するがゆえに、気道がふさがり、ノドが詰まります。これが“ノドがフタされた状態”ってヤツです。つまり、高音を出そうとして、過度にノドを締め付けると、ノドが緊張して力が入って、声帯周辺の筋肉が硬直して気道がふさがり、息が詰まるので、そこにむりやり息を通しても、高音が出なかったり、変な声になってしまったりしたわけです。私の場合は、気道がふさがって息が詰まったので撃沈程度で済みましたが、人によっては、適度な状態から多少強めにノドを締め付け、気道が完全にふさがらない人だと、強い息が過度に声帯にぶつかり続けて、ノドを痛めて声を壊してしまうのだと思います。

 結論。なぜ私はキング先生の元では上達できなかったのでしょうか?

 それは私に合わない歌い方を指導されていたからです。合わないものを無理やりやれば、あっちこっちが壊れていき、その結果、上達どころか下手になっていったわけです。

 でも、そんな事に気づくようになったのも、キング門下から離れて、キング先生の指導について一歩引いて考えられるようになったからです。渦中にいる時は、絶対に分からないものです。ああ、決定的に声が壊れる前に、先生を変えることが出来て、私は幸せです。

 Y先生に師事するようになって、ほぼ3年です。この3年の間に私の声は大きく変わり、いかにもテノールな声になりました。いまやバリトン転向なんて考えられません。歌うことが楽になり、楽しくなりました。もちろん、技術的にはまだまだですが、明るい未来を感じることができます。きっと私、近い将来、歌曲はもちろん、有名なテノールアリアを歌えるようにきっとなれると思います。やがて、悩むのは「この歌は歌えるか歌えないか」ではなく「この歌をどう表現していくべきか」に変わっていきそうな予感がしています。まあ、今はただの予感であって妄想ですが、きっと、そんな日がやってくるんじゃないかと思ってます。

 いや、ほんと、ここんところの私、めきめきと歌が上達しているんですからね。将来が楽しみです。

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コメント

  1. tetsu より:

    こんばんは。

    > みんなノドで歌っていやがる。

    もう歴史上の方なので実名だしますが、マリア・カラスは直接聴いたことはありませんが、かなりクセのある歌い方をしているとおもいます。ノドで歌いながら、でも体のほうもきちんと使っているような感じ(?)。
    こちらの狭い範囲では、声楽専攻の方でマリア・カラスが好きという話は聞いたことがありません。
    結局、詳細は何もわかりません。でも、マリア・カラスのカスタ・ディーヴァは大好きですね。

    失礼しました。

  2. すとん より:

    tetsuさん

     マリア・カラスですか。彼女の凄さは演技力だと、私は思います。声楽テクニックは、当時的には水準以上だと思いますが、発声法や歌唱法に関しては、特に誉める部分は無いと思います。ただ、他人のやらないレパートリーを取り上げてレパートリーを広げていた点は素晴らしいと思います。

    >声楽専攻の方でマリア・カラスが好きという話は聞いたことがありません。

     カラスの歌は、玄人筋には評判は悪いです。彼女は有名な割に全盛期が短いんですよ。10年かそこらだったと思います。声を壊して歌えなくなってしまったんですね。その理由は色々と取り沙汰されていますが、どっちにせよ、無理があったんだと思います。そこも玄人筋に嫌われる原因だと思います。

     カラスには名演の数々がレコードとして残っていて、今でも聞けますが、その中でも特に私は『蝶々夫人』が大好きです。あれは、マジですごいです。鬼気迫ります。アレを超える『蝶々夫人』はない…と言うか、あんなふうに『蝶々夫人』を歌ったら、普通、ノドがやられます…ってか、そんな事ばかりやっていたから、カラスは壊れたんだと思います。

     マリア・カラスって、本当の本当に、ノドが強い人だったんだと思いますよ。

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