世の中には、完璧な演奏と言うべき演奏があります。それは“ひとつのミスもなく音楽が流れ続け、私達の心に感動を与えてくれる”…そんな演奏の事を言うのでしょう。でもこれは、CDのように録音された音源ならともかく、生演奏であるならば、プロであっても、なかなか難しい事のようです。たいていの演奏には傷があるわけだけれど、その演奏の傷があっても、観客に感動を与えられるのがプロの演奏なんだろうと思います。
ですから、生演奏であれば、ミスして傷のある演奏は、ある意味当たり前なんです。でも、そんなミスして傷のある演奏を当然としてはいけません。少なくとも学習者ならば、完璧な演奏を目指して練習をしていかないといけません。
それを求めていく過程で、経由していく道として『正しい演奏』と『止まらない演奏』ってのがあると思います。
『正しい演奏』とは、ちょっとでも間違えたり、不適切な音を出してしまったら、即座に止まり、すぐに戻って弾き直しをしてから進んでいく演奏の事です。音色にもフィンガリングにも最大の注意を払い、必ず正しい音を正しいリズムで演奏をしていくわけです。H先生に習っているのは、このスタイルです。常に正しくないといけないのです。
『止まらない演奏』とは、ミスタッチやミスブローなどの間違いがあっても、そのまま突き進んでいく演奏の事です。音楽は時間芸術であり、楽音とは刹那な存在であって、正しくても間違っていても、その場で雲散霧消してしまうのだから、間違いを恐れずに、止まったり落ちたりすることを警戒しながら、常に前進しつづけていく演奏の事です。笛先生に習ったのは、このスタイルです。とにかく、間違ってもいいから、音楽を止まってはいけないのです。
もちろん、理想は『正しくて止まらない演奏』であって、そこからより完璧に近いものを目指すのが、学習者の態度としては正しいわけだけれど、悲しいかな“二兎を追う者は一兎も得ず”ではないけれど、この2つを同時に求めていくのが難しいなら、まず、どちらの習得を優先すべきでしょうか?
難しいね。
H先生は元音大の教授です。教え子の中には世界で活躍しているフルーティストさんもたくさんいます。生徒たちをかなり高いレベルまで教え導いていく役割を担っている先生なわけです。だから、生徒のミスは許しません。ミスをミスらなくなるまでしごいていくスタイルです。最初は、すぐにストップがかかって、何度も何度もやり直しをさせられるだろうけれど、やがて生徒が上達してくれば、ストップがかかる頻度も下がり、先生の元で数十年間研鑽を積めば、いつしか腕扱きのフルーティストが出来上がるというわけです。
一方、笛先生は、現役のジャズ・ミュージシャンです。毎日ステージで、バンドとセッションをしています。リハーサル時間なんて、ほとんどなく、大抵が本番一発だったり、楽譜をもらってすぐに演奏をしなきゃいけなかったりという状況の中でフルートを吹いているわけです。許されないのは、音楽を止める事と吹き直しをする事です。バンドで演奏している時は、たとえ何があろうとも音楽は常に前進しているわけですから、たとえ自分が間違えても、バンドに合わせて進まないといけないし、自分が演奏から落ちてしまってもジャジャ~ンと言った感じで演奏に再突入しないといけません。でないと、ステージに大穴を開けてしまいますからね。
どっちが正しいかではなく、どちらも必要な能力なんだろうと思います。おそらく、上達するためなら、ミスをミスのまま放置せずに、ひとつひとつきちんと訂正して、正しく演奏できる癖を身につけるべきだと思いますが、だからと言って、いつもいつも弾き直しをしていては、人前で演奏なんてできるようにはなりません。人前での演奏…つまり、本番では、ミスをしようが何をしようが、知らん顔をして、音楽を前に進めていく必要があります。
ですから『練習の時はミスの無いように正しい演奏を心がけ、本番では音楽を止めないように止まらない演奏を心がける』のが正しいやり方なんだろうと思います。
なので、たとえ発表会のような、緩めの本番であっても、一度舞台で演奏を始めたら、弾き直しは無しだよね。
以前、歌の伴奏を頼んだピアニストさんが、ミスると弾き直しをする癖がある人でした。どうもミスをすると、無意識で弾き直しをしてしまうようで、この人に伴奏を頼むのは、とてもイヤでした。だって、こっちの歌は前に進んでいるのに、ピアノはミスると戻るんだよ。で、その後、歌に追いつくかと言えば、追いつくことはなく、きちんと自分のペースで演奏を続けるわけで、歌っている私の方がピアノに合わせないといけないという、本末転倒な事をやっていました。なんか変な感じでした。
クレームをつけると「歌はピアノに合わせるものです!」と言い切って、はばかりませんでした。“あなたは伴奏、私が主役”って私は思っていたのでムカムカきましたが、おそらくあちらは“私が伴奏をして差し上げているんだから、文句を言わずに着いてきなさい”ぐらいにしか思っていなかったようです。
たぶん、このピアニストさんは、ソリストさんだったんだよね、うん、きっとそうだ。そうに違いない!
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コメント
だったらミスらなきゃいいのに…
「歌はピアノに合わせるものです!」
そういうピアニストさんいますよね。私も伴奏者で嫌な思いをした経験があります。私のレベルの素人発表会ですら、ピアノの先生で左右されますもの。伴奏の上手な方はアンサンブルができて、人を導くのも、人間的にも素敵な方が多いと勝手に思っています。
ソリスト的な方でも、余裕の有る人は伴奏だって上手でしょ?!
私のフルートの先生は、ミスをすると、即座にストップです。
一小節の音の音量を揃えるところまで注意されます。もう何が何だか初めは分かりませんでしたが、少し意味が分かり始めました。へたっぴにも妥協せずに取り組んでくださって、、、有難いです!?
ともさん
そりゃあ、一流のプロでも無理な相談ですよ(笑)。まあ、観客の耳があまり良くなくて、ミスに気づかないってのはありますが…。ミスのない演奏はCDなどの商用音源ぐらいです。だって、商用音源は、たとえ『ライブ音源』と銘打っていても、必ずミスったところはオーバーダビングして修正してますからね。ライブDVDだって、音声のみ修正するなんて当たり前。画像の方はさすがに撮り直しってのはあまり無いようだけれど、そんなものは編集作業でどうにでもなるからね。
初音ミク以外の演奏者は、必ずミスります(笑)。そういうものです。だって人間だもん。
うさぎさん
>私のフルートの先生は、ミスをすると、即座にストップです。
H先生もそうです。ミスすると、ストップどころか、最近は怒鳴られますよ。「何、やってんのー!」って感じです。まあ、そんな怒声にいちいちビビってたら、H先生には習えませんので、平気の平左でやり直します。レッスンに真剣であるがゆえに、ついつい怒鳴っちゃうんだと思ってます。だって、H先生って、レッスンが終われば、人の良い好々爺ですからね。オンオフで人格がガラっと変わるわけです。
でも、こっちも上達したいわけだから、それくらい真面目に向き合ってくれる先生でよかったと思ってます。
> 完璧な演奏と言うべき演奏
CD録音ですが、ポリーニによるショパンのエチュードとかブーレーズの第2ソナタを聴いたときは「完璧な演奏」に聴こえてマジ衝撃でした。
ブーレーズは2,3回の練習で暗譜したとか、ほんまかいなです。
メカニカルなピアノにはあてはまりそうですが、弦、声楽、フルートなどの管楽器、オーケストラの演奏ではこの言葉があてはまりそうな感じがしないしメカニカルではないところで楽しんで聴いています。
> 『正しい演奏』と『止まらない演奏』
どちらも技術的な面を強調されている感じがします。技術と表現、というほうが選択する軸としては分かりやすいかとおもいます。
ちなみにアマオケの本番では休みを数え間違えたり周りに聞きほれてしまい落ちることはあっても、吹き直しなんてありえません。
フルートの先生、いろいろありましたが、技術(指を上げすぎないとか)をおっしゃる先生と表現(音符に全部歌詞をつけるみたいな)をおっしゃる先生がいらっしゃいました。
どちらもなかなか厳しかったです。
失礼しました。
tetsuさん
まあ私は『技術vs表現』のネタでよく書きますので、たまには“表現”はさておき…と言った感じで記事を書いてみました。
>ちなみにアマオケの本番では休みを数え間違えたり周りに聞きほれてしまい落ちることはあっても、吹き直しなんてありえません。
確かに、アマオケの吹き直しは聞いたことはありません。合唱団も同じようなもので、アンサンブル系は“落ちる”か“止まる”しかないと思います。…ってか、止まったら最悪ですね(笑)。
ちなみに、技術と表現は、技術がなければ表現できないし、技術しかなくて表現する中身のない演奏は虚しいし…ってところでしょうね。時期が来たら、もう少し掘り下げてみましょう。
補足です。
> 止まったら
ヴァイオリン協奏曲のコンサートで1楽章の冒頭でしたが、ソリストの弦が切れて、いきなり止めました。
ソリストが弦を交換して最初から演奏を再開しました。
会場は静かでしたし、何事もなかったようにコンサートは終わりました。
オケパートの弦では弦が切れれば交替の楽器があるので順番に回すらしいです。
ソリストの弦が切れたとき、代わりの楽器を置いているのは見たことないし、それほど頻繁に通っていませんが、弦が切れて最初からやり直しというのもこのときだけです。
tetsuさん
ヴァイオリンのソリストが切れて、弦交換で、演奏が止まりましたか! それはなかなか貴重な体験ですね。
>弦が切れて最初からやり直しというのもこのときだけです。
…ですよね。通常の場合は、ソリストの弦が切れた時は、即座にコンサートマスターの楽器を奪って自分の楽器と交換する事になっているんですよ。で、楽器を奪われたコンサートマスターは次席奏者の楽器を奪い…以下同じことの繰り返しで、末席の奏者が弦の切れた楽器を持って舞台袖に引っ込んで、弦交換をする事になってます。
ソリストさんがよほど自分の楽器にこだわりを持っていたのか、あるいはテンパッていて通常の手続きを忘れてしまったかのどちらでしょうね。どちらにせよ、貴重な体験をされましたね。