「何事にも先達はあらまほしきものなり」と言いますが、やはり、先輩とか先生とか師匠という存在は“あらまほしきもの”であると思います。
なぜそう思ったのかと言うと…アニメの話で申し訳ないけれど『ドラゴンボール』というアニメで、主人公である悟空と、そのライバルであるベジータの関係に思いが及んだからです。
二人とも、戦士と言うか、格闘家で、互いに競い合う関係なんですが、いくらベジータが修行を重ねて強くなっても、決して主人公である悟空には敵わないのです。二人とも、格闘の天才という設定だし、それぞれ(アニメですから)人知を超越したような無茶苦茶な修行をして、想像を絶するほどに強くなるのですが、それでもベジータは決して悟空よりも強くなれないのです。
まあ「アニメだから…」「主人公だから…」と言ってしまえば、それだけですが、それ以外に理由はないものかな?と思ったので、ちょいと色々と考えました。
やはり、二人を取り囲む人間関係の違いに原因があるかなって思いました。
ベジータは孤高の天才なんです。部下はいても友人はいない…という寂しいタイプの人(でも嫁さんはいる)なんです。一方、悟空は高度なコミュ力を持っていて、至る所に友人知人がわんさかいるタイプなんです。
やはり、孤高な人よりも、友人の多いタイプの方が、何事であれ、芸を学ぶには有利ですよね。「我以外、皆、我が師なり」とは、小説「宮本武蔵」の中で、作者である吉川英治が武蔵に言わせたセリフですが、人間って知らぬうちに多くの事を他人から学ぶものなんですよ。そういう点では、友人が多い人間は、ボッチよりも物事を学ぶには有利な環境にあるわけです。
とりわけ師匠の有無は大きいかも。ベジータには、もちろん、師匠はいません。でも、悟空には、入門期には亀仙人が、達人クラスになってからは界王様という師匠がいます。さらに短期間に限れば、それ以外の名人達人にも弟子入りをして多くの事を学んでいます。
師匠について学ぶ人である悟空と、独学で孤高なベジータ。この違いが、力量の違いの根本にあって、だからベジータは悟空を追い抜けないのかもしれないって思いました(ちなみに、悟空の息子の悟飯と悟空の師匠はピッコロさんで、孫悟空自身はウーブの師匠になります)。
話を一般化すると、だから独学はダメだ…と言いません。独学でも上達する人は上達するし、名人になれる人はなれるからです。でも、師匠について学ぶよりも、非効率だろうし、上達するまでうんと時間がかかるんだろうなあって思います。
師匠について学ぶ事の利点の一つは、間違いのない道筋で、短時間で効果的に上達できるという点があるでしょう。また、師匠についていれば、サボったり怠けたりする事はできないですから、これまた上達速度は増すでしょうね。
さらに言えば、師匠は、身近な手本であり、目標であります。芸事における一つの到達点が自分の師匠なわけですから、常にゴールを見定めて学べるし、師匠の芸を見ながら(真似をしながら)上達できるわけです。
やっぱり、師匠について学ぶ事って大切ですね。
さらに、師匠を通して、兄弟姉妹弟子との関係も大切ですね。ある意味、師匠から学ぶ事とは別の事を多く学び合えるわけです。悟空には、クリリンという兄弟子がいたわけだし。
そういう事になると、芸事の上達には、コミュ力が最も必要って事になるのかな?(笑)。
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コメント
師匠について学ぶか、独学で学ぶか、という一般化に対して、
誠に僭越ながら申し上げると、
良い師匠について学ぶ、ということが重要でありましょう。
すとん様は今回、師匠の良し悪しについて、
敢えて触れなかったのかもしれませんが。
フルートであれ、歌であれ、経済学であれ、
師匠・先生という母集団100%の内、
上位50%に比べれば、下位50%は、平均以下の師匠・先生であり、
できることなら、上位50%、平均以上の師匠・先生に学びたいもの。
もちろん、相性というものもあって、
客観的には上位50%内、平均以上の師匠・先生であっても、
どうしても合わない、ということもありましょう。
そんなことを、敢えて書いてしまった私を、
ああ、すとん様、お許しください。
ところで、ところで、ところで、
ひとこと欄に、何やら、刺激的なことが。
憲法改正、思考停止、移民法、などなど。
習い事以外については、
あまり詳述なさらないかと思いますが、
いつか、憲法に関するお考えについても、
詳しくお聞かせください。
おしまい
こんにちは
師匠の何気ないアドバイスが先に進む道筋を与えてくれます
日本人の気質なのかなぁ
積極的に先生に質問しないとか(^^;)
疑問は教えてくれるの待つより聞くが早し(^^)v
師匠の相性というか出会いはなかなか、縁もありますよね~!出会う時期により理想の師匠の形も変わってきますしね。
声楽は先生を段階というか成熟度合いによっては代わるのありな感じがするので怖がらず、門をたたいてみるのもよいですね!先生により得意分野や声種が違いますから
。また、イタリアものドイツもの、フランスものが得意な先生、各々、発声にも多少の違いがありますし音色も違いますから、できたら同じ声【重さも】でイタリアものを得意としたいなら、それを得意とする先生につければよいですよね!
現役の先生、できたら舞台に頻繁に出番のある方なら完璧だと思います!あとは、これと思った師匠に出合えたなら、頑張って鍛錬のみです!先生の息づかい、表情、身のこなし、話し方、全て勉強させて戴きます(笑)
続稿失礼します!すとんさんの趣旨から外れたことばかり書いてしまってました。すみません[E:sweat01]。独学といえば、私個人は先生にならう前に8年程、独学し、頭でっかちな感じで学問的に理解してから先生につきましたが、以外と無駄ではありませんでした!普通に習うよりも色んな意味で理解に早く吸収できてるかな~と思ってますよ!
operazanokaijinnokaijinさん
よく巷で耳にするのが「私はあまりに下手すぎるから、少し独学で学んで上達してから、先生について学ぼうと思う」という類の言い訳。下手なんだから、先生について学ばないといけないと思うけれど、先生について学ぶには下手すぎるって…どれだけエライ先生について学ぼうと思っているのかしら…と思ったりします。
フルートのH先生は、独学の人やブラバンの人を基本的に生徒にしません。先生曰く「悪い癖がついていて、その癖を取るのに何年もかかってしまうから」なんだそうです。先生が生徒に加える人は、子どもと、本当の初心者と(良い先生の元で習っていて)癖のない人なんだそうです。「癖のない人は、すぐに前に進めるから好き」なんだそうです。特に子どもは大好きみたいですよ。子どもの生徒さんをみっちり仕込んで、プロ奏者にしてあげるのが楽しみみたいです。
>すとん様は今回、師匠の良し悪しについて、敢えて触れなかったのかもしれませんが。
師匠の良し悪しとなると、これはこれで一つの記事になってしまうくらいの問題なので、とりあえず先送りです(笑)。師匠の良し悪しは重要な問題です。下手な先生についてしまうと、人生の不作ですからね。
>いつか、憲法に関するお考えについても、詳しくお聞かせください。
一つの記事にできるほど、きちんと考えているわけではありません。ただ、事実として、日本国憲法は世界の中で最も古い憲法として有名です。“古い”と言うのは、改正も修正も追加もされずに原型のままでいる期間が長いって事です。大抵の国では、憲法というのは、もっと手軽に頻繁に時代に合わせて改正修正されるものです。日本国憲法は1947年の施行ですが、これ以前に施行された憲法で、改正されていない憲法は、少なくとも先進国にはありません。もちろん、日本国憲法よりも後に施行された憲法だって、たいていは何度も改正修正されています。
日本と同じ敗戦国であるドイツだって、戦後は60回近く憲法改正してますよ。何かと日本に文句を言う、中国や韓国だって、10回程度憲法改正しています。日本に憲法を押し付けたアメリカだって6回ほど憲法改正しています。
なのに日本だけ憲法を時代に合わせて改正できないなんて、一人前の法治国家とは言えませんよ。私がそう思ってます。
chakoさん
>積極的に先生に質問しないとか(^^;)
あー、私もそうかも。聞きたいことは山のようにあっても、ついつい遠慮しちゃうんだよね。
若い時に習った先生の時は、当然私も若くて物怖じしない若者だったので、ついつい疑問に思う事は先生に尋ねていました。最初のうちは親切に答えてくれていましたが、やがて面倒くさくなったのか「頭でっかちじゃ歌は歌えない」とか言われて、質問しても拒否られるようになりました。それが結構トラウマになっていて、歌に限らず、どんな状況においても、疑問点を質問するのをはばかられるような性格になったのだと思います。
そう言えば、キング先生も、質問は嫌がりましたね。まともに答えてくれた事は、あまりないかな? いつも煙にまいてましたよ。キング先生にも「頭でっかち!」って言われた事あります。たぶん私は頭でっかちなんだと思います。
なので、Y先生にはなるべく質問をしないようにしています。先生に質問をしない事は、良い師弟関係を継続する上で大切な事かもしれません。私の体験からですが…。
アデーレさん
私の最初の声楽の先生は、友人の紹介でした。次のキング先生は、ツテも何もなかったので、カルチャースクールの先生だったのです。今のY先生は、舞台を見て、その歌と演技に惚れたので、生徒募集をしていないにも関わらず、手をつくして生徒に加えてもらいました。
先生との出会いも色々です。縁もあるんでしょうね。
>現役の先生、できたら舞台に頻繁に出番のある方なら完璧だと思います!
そういう先生は、仕事が忙しくて、なかなか生徒を募集していなかったりするし、たまに募集しても、生徒枠が少ないので、あっという間に埋まってしまうんですよね。だいたいマジで演奏で食べている人は、それ以前にお弟子を取らなかったりするんですよね。
なので、舞台に頻繁に出番のある先生って、憧れますが、現実にはなかなか出会えません。そこが問題だったりします。そう言えば、今月は、オテロで日本中を旅巡業しているY先生は、今どの地で歌っているんでしょうね。
こんにちは。
おっしゃるとおりですね。2ちゃん言葉だと「禿同」です。w(古い?)
自分は声楽を始めたばかりですが、いい先生に恵まれました。
何事も師匠がいたほうが早く上達すると思います。
が、とりわけ声楽は、特に基礎の発声の部分でさえ、「自分の声が自分ではわからない」「自分が聞いている自分の声は、人に聞こえている声ではない」という大問題があり、これが独習での上達がとても難しい理由のひとつのようですね。
だから、良い声楽の先生の条件とは、まず基礎の発声については
せまいレッスン室で生徒の声を聞いて、ホールでその声がどのように響くかわかること。
ホールで響くための方法論がしっかりとわかっていて、なおかつ、具体的な指導ができること。
のようです。相性とか、性格とかは別にして。
この上に、いろいろな技術論とその指導法があるわけで、教えるのも大変ですね。
のんきなとうさん
良い師匠の条件というのは、色々あります。
たぶん、一番の条件は、天才ではないって事じゃないかなって思います。芸術家の中には、いわゆる“天才”がいますが、天才って種類の人は、勝手に成長してきたので、あれは別格です。むしろ師匠には、さほど豊かな才能は持っていなかったけれど、努力と切磋琢磨で上り詰めた人の方が良いと思います。
こういう人は、上達するために、多くを学んでいますから、教える立場になった時も、教えるためのノウハウをたくさん持っているからです。
あと、声楽だと、声が分かる事が大切です。たまにいるんですよ、生徒の声種を間違える先生って。自分のところに来た生徒は、何でもかんでも自分と同じ声種に聞こえちゃうみたいです。そういう人の耳は、あまりアテになりません。